「弱いつながり」を大切にする。

容易く仕入れる情報からは
大差ない情報しか手に入れられない。

でも、誰もがスルーするような情報からは
非凡なアイデアを生み出すきっかけを
つかめるかもしれない・・・。

今まで興味なかったジャンルの本を
立ち読みしていたら
知らなかった常識が書いてあった。

新聞を読んでいたら
聞いたこともない人が紹介されてて
それが趣味になったきっかけになった。

初めて訪れた街を歩いてみたら
今まで思ったこともなかったことや
新しい習慣に出逢って衝撃だった。

偶然や遠回り、無駄なことに
人生は「気づき」や「面白さ」があると
日々、思っているのですが、
これがあながち外れていないと
思う話を先日、知りました。

社会学者マーク・グラノベッターさん曰く
「人生において有益な情報は、
親しい友人や家族ではなくて、
意外にも【弱いつながり】の人から
得ている場合が多い」のだそうです。

親しい友人達とは
同じような話になりがちですが、
挨拶程度の知人と初めて話し込んだ時の方が
知らなかった情報や気づきに
確かに出逢えることが多い気がします。

ここ2年のコロナ自粛で
なんとなく話す程度の
弱いつながりの人との接触が減ったことで
孤独感が増したと言う人もいるそう。

日常も元に戻ってきつつありますが、
生活のリズムが変わり
考え方、価値感も変わってきました。

でも家に籠りっぱなしにならず、
外に出て【弱いつながり】の人との時間も
積極的に作ることは大事ですね。

※今回の記事は廣田周作さんの
「世界のマーケターは、
いま何を考えているのか?」より
一部抜粋させて頂きました。

パクったものをいかに自分のモノに仕立てて人前で出すか・・

お笑いなんて誰かに教わるようなモンじゃない。
最初から全部お笑いがわかっていて、
なんでも出来ちゃう天才なんていないもん。

笑いの神なんて言われる芸人だって、
最初は誰かのパクリ。
面白いヤツを見て、
「この人、面白いな・・・。」
「こういうのを俺もやってみたいなァ」
憧れからその人の芸や漫才をパクって真似して
自分のモノにしていくわけ。

パクったモノをいかに自分のモノに仕立てて 
人前で出すか・・・  それがお笑いよ。


漫才コンビ おぼんこぼん さんの本
「東京漫才」の読み始めに書いてあった
おぼんさんの言葉。
開始早々、胸に刺さってきました(笑)。

今までに読んだ本に書いてあったり
誰かに教えてもらった知識を
より具体的にその人の言葉で触れた時に
胸の中で大きく刺激を受けます。

これってジェームスWヤングさんが
書いた有名な本「アイデアのつくり方」に
書かれている言葉
「アイデアとは既存の要素の
新しい組み合わせ以外の何ものでもない。」
これの具体的な話に他ならないわけです。

その道を極めようと精進している人や
実際に挑戦して経験を積んでいる人、
成果を出されている人の言葉って
本当、わかりやすくて沁みてきます。

スポーツ選手であれ、実業家であれ、
芸術家であれ、歌手であれ、芸人であれ
その道を極めた人や
極めようとしている人から
滲み出てくる言葉は
本当、素晴らしい気づきを与えてくれます。

ここ数日は半身浴しながら
オール巨人さんの漫才論を読んでいますが、
次は作詞家 阿久悠さんの本を読んで
ゴツゴツと刺激を受けようと
一人で企んでいる5月の終わりです。

区切りをつけることの大切さ

歳を重ねてきたからか
世の中の流れを見てからか
最近、区切りをつけることの大切さを
しみじみ思うことがあります。

時間の流れはずっと繋がってはいますが
やっぱりところどころに節目はあります。

子どもの頃は小学校、中学校、高校・・・と
こちらから気にせずとも節目がありますが、
大人になって結婚し子どもが生まれ
家を建てたりしたら子どものこと以外は
もう節目がなくなってきます。

でも時間の流れは
区切りをつけていかないと
やりたいことも
やらないといけないことも
なんとなくなし崩し的になり
曖昧になってしまうことが多いと思うのです。

物事が達成できる人、
成果がきちんと出せる人、
要は人生楽しく生きてる人って
こういった節目をきちんと作り
いろんなことの〆切を明確しています。

「区切る」と言う言葉は
「けじめ」という風に言い換えたほうが
ニュアンスは伝わるかもしれません。

コロナなどの時代の流れもあり
特に冠婚葬祭は華やかにしなくなりました。

結婚式や披露宴はしないことも多く
葬式も家族葬でされることも増えました。

もちろん形式はどんな形でもいいと思います。

でも披露宴などしなくても
せめて2人だけでいいレストランに行ったり
近場でも新婚旅行に行ったりして
ここから結婚しますと区切りがつけられる
そんな機会は手を抜かずにやったほうが
その先の人生は覚悟が決まるように思います。

〆切を決めるということは
区切りをつけるということ。

区切りをつけると言うことは
けじめをつけるということ。

けじめをつけるということは
覚悟を決めるということ。

昔、住宅営業をしてたとき
結果的に家を買うことができた
お客さんに共通してたのは、

お金をたくさん持っていたわけでも
収入が高かったわけでも
土地を持ってたわけでもなく
「買う」と覚悟を決めた人でした。

生きていく中では
他にもいろんなことでそう思いました。

とすればやっぱり有意義な毎日を送るには
覚悟することは大事で
そのためにはまず人生に、時間の流れに、
きちんと「区切り」をつけることが
大切なんだと思うのであります。

誕生日でも記念日でも我が家は
家族でお祝いすると決めています。

それが本当によかったかどうかは
先にならないと実感することは
できないかもしれませんが
悔いは残らないだろうなとは思っています。

「MASTERS OF WAR ~戦争の親玉~」

今年のGWは3年ぶりに賑やかな感じ。
このまま元に戻ってくれたらな…。

来週にも改めて宣戦布告するといった
物騒なニュースも目にしました。
そろそろお互いの生活を尊重して
戦争もコロナも落ち着いて欲しいと
心から願っています。


約60年前に発表されたボブディランの曲
「MASTERS OF WAR  戦争の親玉」

何十年も経ち生活も環境も変わっても
人間はたいして成長もしないし
変わらないことを教えてくれます。

今の時代における本物のリーダーとは
自分の欲望から発信して導くのではなく、
周りから発信されたものを
正しい方向に導けるように
修正できる人こそを指すのかもしれませんね。

是非一度、歌詞を読んでみてください。
胸に刺さるものがあると思います。

「MASTERS OF WAR 戦争の親玉」
詞:ボブディラン

おい、戦争の親玉たち
全ての銃をつくるおまえら
死の飛行機をつくるおまえら
全ての爆弾をつくるおまえら
壁にかくれるおまえら
机の後ろにかくれるおまえら
おまえらに云いたい
おまえらの正体まる見えだよ

壊すことしかしないおまえら
おまえらはオモチャみたいに
俺の世界をもてあそぶ
俺の手に銃を握らせ
俺から隠れるが
弾丸が飛び始めたら
一目散に逃げる

ユダのように嘘つきで
戦争に勝てると信じ込ませるおまえらだが
その目ん玉も脳みそも
配水管の水のように透けて見えてるぜ

銃の引き金に手をかけさせて
他人に弾かせて後ろから見てる
死人が増えれば官邸に隠れるが
若者の血は流れて泥に埋められる
おまえらは最悪の恐怖をふりまいた
子供を産むことの恐怖
まだ産まれてない俺の赤ん坊を脅かしてる
おまえらはその静脈に流れる血にも価しない

ほんとにわかってるのか
メチャクチャなこと云ってるくせに
「お前は若い」し「バカだ」って
だけど俺にでも分かるよ
神様は絶対おまえらのことを許さないと

ひとつ質問がある
金はそんなにいいもんなのか?
それがあれば許されると思ってんのか?
そのうちわかるだろうよ
おまえらが死ぬときに有り金全部積んでも
その魂は買い戻せやしない

おまえらが先に死ねばいい
おまえらの死はもうすぐだぜ
俺はおまえらの棺桶に付いて行って
墓穴に降ろされて死ぬのを確かめる
そしておまえらの墓の上に立ち
その死をしっかり見届けてやる

コミュニケーション能力とは…

昨日から始まった大型連休。
雨が続いていましたが今日から晴れる模様。
お仕事の方もいらっしゃるでしょうが
遊びに行かれる方も多いと思います。
皆さん、交通安全でお過ごしください。


人を評価する一つに
「コミュニケーション能力」があります。
辞書で調べてみたら
「社会生活において他者と円滑に
意思の疎通が行える能力」とのこと。

能力が高いに越したことはないですが
そもそもこの意味の解釈って
人によって絶妙にズレてるなって
思うことが多々ありました。

いろいろ考えているうちに
ふと気づいたことを書いてみたいと思います。

結論として思ったのは
コミュニケーションは誰に対してでも
できなければいけないわけではないって事。

要は誰とでも
仲良くならないといけないことじゃない。
ここが前提と思います。

誤解しないで欲しいのですが、
だからといって悪口言っていい訳でもないし
ケンカしてもいいわけでもありません。

お互いの考えや意見は尊重して
そのことにおいては距離を保てばいい訳です。

人間関係は「誰とでも仲良く」という前提が
人を苦しめている訳で
気が合う人とは仲良くすればいいし
気が合わない人とは距離を開けたらいいだけ。
気が合わないからと攻撃するからややこしい。

これをきちんとできる人が
コミュニケーション能力が
実は 高いような気がします。

なのでコミュニケーション能力は
「自分が思っていることや価値観を
きちんと相手に伝えられる力」
って思ったほうがいいのではないでしょうか?

誰とでも仲良くといった意味合いではなく
同じ考えの人とは共感出来て付き合い、
違う考えの人とは尊重して距離を保てる人。

極端に言えば
価値観が同じ人にはきちんと好かれて
価値観が違う人にはきちんと嫌われる人。

わざわざ多くの人に嫌われることを
推奨している訳でないですが(苦笑)、
そうしたほうが悩みにくいのではと思います。

誰にも嫌われないということは
言い換えたら誰にも好かれないということ。

恋愛で言えば「いい人」で終わるパターン。
拒絶もされないけど選んでももらえない。
友達が多ければいいのならこれもいいですが
恋人が欲しいのなら考えもの。

営業で言えば「結果がでない」パターン。
どのお客さんからも嫌われないけど
かといってどのお客さんからも選ばれない。
見積提出はできて最後まで残るけど
結局は契約はしてはもらえない。

やっぱり売れてる人、結果出してる人って
8割のお客様からは嫌われたとしても
きちんと2割のお客様からは選ばれている。

そう思ったらやっぱり
自分が思っていることをきちんと伝えて
共感してもらえる人が誰か?
合わない人は誰か?を
きちんと見極めれることが大事ですね。

そしてその価値観が合わない人を
攻撃したり非難するからダメなだけで
その人に「力不足ですみません」と
丁寧に一旦、区切りがつけれる人こそが
コミュニケーション能力が高いと
思わずにはいられません。

「誰とでも仲良く」ではなく
「気の合う人は仲良くする、
価値感が合わない人は距離を保つ。
そして合わないからと言って
攻撃していいわけではないし
攻撃されて我慢しないといけない訳じゃない」
そう思えると人間関係の悩みも
随分穏やかになるのではないでしょうか?

戦争もイジメも差別もない世界になるには
まだまだ時間がかかりそう。
でも、そんな中でも生きていかないと
いけないとしたらこんな自己防衛も
生きてく上には大事な気がします。

最初に誰の話を聞いて始めるかが大事

以前、石嶺和彦という野球選手がいました。
阪急、オリックスを経て最後は阪神に在籍。
現在は沖縄にて社会人野球チームの
監督として活躍されています。

好き嫌いはあるでしょうが、
学ぶべきことが多いので
落合博満さん関連の本を読むことが多い私。

落合監督時代に打撃コーチをされていたので
石嶺さんの話が掲載されていたのですが
読んでいてなるほどなって
感心した話があったのでご紹介。

現在はアマチュアの若い選手に
日々指導されている石嶺氏。

時代も変わる中での始動では
現在っぽい悩みというか思いもあるようで
こんな話をされていました。

『若い選手を指導するのは面白いですよ。
今、youtubeでいろんな映像が
見られるじゃないですか。
若い選手に情報が入りすぎているんです。

ああいう映像はたいがい難しいボールを
難しく打っている打ち方が出ているんですよ。
うまいこと打ったなぁ、のほうが
絵になるじゃないですか。
選手はそれがスタンダードな打ち方だと思うから
練習で急に変な打ち方をし始めたりする。
昨日と打ち方が違うなと思ったら、
誰かのまねをしている。

試しでやるのはいいんですよ。
ただ、スター選手がそこにたどり着くには
やってきた過程があるのに、
そこを無視してサラッとできると思っている。

「何百万円しかもらってないんだから、
いきなり何億円の選手をまねるより、
5000~6000万円の選手の映像を見なさい、
と言ったら、そのくらいの選手の映像は
あまりyoutubeにないんだね。
だから、まずは1回、言うことを聞きなさい。
その過程を説明するから」と。

「お前らよりオレのほうがうまいんだから、
打つことに関しては1回聞きなさい」とね(笑)。』

なるほどな~って思いました。

手軽にしかも無料で
情報が手に入れられる時代になり
とても便利になりましたが、
発信側が善意な人ばかりでないのも事実。

都合よく発信側の考えに洗脳していく…
そんな意向が強いのも
結局は、商売の延長ならば仕方ない話。

とは言え妙に納得させられるのも
向こうの方が一枚も二枚も上なわけで
そうなればある程度の自己防衛は
やっておかないといけないわけです。

石嶺さんの話じゃないけれど
最初に具体的に検討する前に
ニュートラルな考え方を教えてくれる人に
出逢えるかどうかが大事なのでしょうね。

でもこれって昔から変わらない大事な話。

偏った意見ばかりで凝り固まる前に
表も裏も最初にきちんと教えてくれる人に
出逢えるかどうかがポイントだとすれば
結局は「信用」できる人に出逢えるか否かが
何事も大事なことに気づきます。

「これまでにこんな実績を出された」
といった事実に基づいて、
人は相手を「信用」するのですが、

決断するかどうかは
過去の実績は関係なくて、
叶えてくれそうな期待感に基づく
「信頼」で判断するのが事実。
(だから口先の詐欺師に
騙される人がでてくるわけです。)

でも「信頼」させようとする人の話の方が
聞いてて面白いし魅力的だから困ったもの。

その人に「信用」できる背景が
あればいいですが、よくよく聞いてたら
そうでもないこともしばしば。
だから結果、軸や根拠がなくて迷ってしまう。

情報が簡単に手に入れられる現在だからこそ
もしかしたら今まで以上に
一番最初こそ「信用」できる人の話を
聞くべきなのかもしれません。

そしてその「信用」できる人は
スマホやPC画面の中に登場してくる人より
自分の周りに実在している
自分が「信用」している人からの
情報かもしれませんね。

ちなみにそれを昔から
私たちは「クチコミ」と言っています。

ネットでもお客様の声が重宝されます。
誰もが「クチコミ」を参考にしますが
その「クチコミ」を言っている人が誰なのか
発信者が曖昧だと胡散臭いのも事実。

具体的に誰からとわかれば
その情報を信用できますが、
匿名だったり、知らない人からだったり
そもそも存在してるかもわからない声なら
そこには偏った意見に細工されてることも
多いと思わざるをえなかったりします。

その辺りに気づけるためにも
最初はニュートラルな考え方を
知ることが大事だと思うわけです。

ただ「信用」できる人からスタートして
頭の中を整理してからの
「情報」や「作戦」「考え方」においては
ネットの活用がいいのは
言うまでもありませんので
誤解なくよろしくお願いします(笑)。

※今回は「証言 落合博満」より
内容を抜粋させて頂いています。

自由であればあるほど不自由になってしまう矛盾。

先日、本屋で見かけて面白そうだったので
購入して読んだ廣田周作さんの本に
こんな話が載ってて妙に納得しました。

マッチングアプリが普及した現在は
出会いやすい時代になったからこそ
恋愛が難しくなり、
長期的なパートナーをなかなか持つことが
できないことを悩む若者が増えたそうです。

マッチングアプリを使えば、
簡単に出会えてしまうために
逆に1人に決められなくなっている模様。

昔、住宅営業をしている時
たくさんの会社を見すぎて
結果迷って決め手が出せずに
買えなくなってしまった人や
たくさんの土地を検討しすぎて
結果、決めるタイミングを
見失ってしまった人を思いだしました。

比較検討することは全然いいのですが、
「自分はどんな希望を叶えたいのか?」
「自分は何を第一に考えているのか?」
その辺りを明確にせず曖昧にしたまま
なんとなく比べ始めてしまって
結局決め手がないまま動けなくなるものです。

昔で言えば「お見合い」などを
有無を言わさずまとめてしまう
ちょっと強引な親戚の叔母さんや
時には父のように兄のように
説教じみても方向性を出してくれる
人生の先輩がいて
その人に合った内容で
選択肢を絞ってくれたりしましたが
今の時代はこんな人は嫌われるし(笑)、

何よりノープランの状況、興味ない状況から
簡単に情報が仕入れられる時代になったので
迷ってしまうスタートを無意識に切ってしまう
そんな人が多い時代な気はします。

昔のやり方押し付けるのは
褒められたことでもないのでしょうが、
でも良い面もあったのも事実。

選択肢が多いことはいいことでもあるけれど
決断する際にはきちんとステップを踏んで
検討していかないと難しくなるのも事実。

この辺りを今の時代の若い人たちに
説教じみず伝えられないかと日々考えている
お節介な初老になりつつあります(笑)。

最初に書いたマッチングアプリも
ユーザーが長期間使ってくれた方が儲かるので
(慈善事業ではなく商売ですから)
次々と飽きさせないように
魅力がありそうに見える新しい候補を
次々と出逢わせようとしてくるから
これまたタチが悪い(笑)。

真剣であればあるほど迷宮入りしそう。

こういった背景も冷ややかに知りつつ
マッチングアプリをスタートすることも
本当は大事なコツなんだと独り言・・・・。

「人間の本性は常に変わらない」

先日、神戸市民博物館に
大英博物館のミイラ展を観に行きました。

(そう言えば2年前位にも
ライデン国立古代博物館古代エジプト展に行き
ミイラを観に行きました。
ミイラ好きなんかな・・・(笑)。)

ミイラもですが銅像や壺などもあり
古代の時代背景や生活が分かる
なかなか興味深い内容ではありました。

ミイラは作るときには
心臓や胃、肝臓などを取りだし壺に入れ
ミイラの周りに配置します。

大きな耳かきみたい専用の器具を使い
鼻から入れて脳を掻きだすといった流れもあり、
痛そうで思わず身構えてしまいます(笑)。

古代の生活様式を眺めて感じたことは
数千年経ち時代は変わっても
人間の本性や生活はほとんど
変わっていないんだろうなってことでした。

古代エジプト時代でも
人は化粧をし装飾品をつけて
お洒落には気をつけていた模様。

楽しい時は楽器を弾き
歌を唄い、ダンスを楽しんでいるし、
パンやビールやワインを作り
呑んだり食べたりしていました。

亡くなった原因は、
ガンや循環器系の疾患が多く
多くの人が歯周病や虫歯に
悩まされていたようです。

現代の生活と大きく変わりはありません。

そんな生活だけが一緒で、
他が全く違うとは考えにくく
おそらく大きな視野で見たら
今ともほとんど変わりはないのでしょうね。

ここ数年、我々を囲む時代や環境も
大きく変化しています。

新しい考え方を利用したい人は
自分が優位な立場に立つためにも
古くからの考え方を否定することは多々あれど

人間の本性は大きく変わってはいないのが
現実なんだと思います。

ただ本質は変わらないけど
周りの背景や枝葉は変わった。

昔なら情報は本や新聞などが
仕入れるルートでしたが、
今はネット、SNS、youtubeが主流。
方法や手段は変わりました。

昔は、専門家や
実際それをやっている人達からの
発信がほとんどでしたが、
今は誰でも発信できる時代。

容易く数多くの情報が
無料で得られる便利な時代になったけど
選択肢が多くなったばかりに
逆に決められなくなった時代。

でも、誰もが正しい知識や
情報を得たいと願っているのは
今も昔も変わらない話。

とすれば改めて、
変えていいことと
変えてはいけないことは
自分で決めておかないと
決断できなくなり、

うまくいけばいいけど
うまくいかないときに
誰かのせいにして生きるようになる。

そんな人生を自ら選んでしまいます。

例えば、セールスの世界なら
レスギブリンさんが書かれていましたが、

人は大切に思われたい、
敬意を持って扱われたい、
無視されたくない欲求を持っている。

どうせ買うなら気に入った相手から買いたい。

お客様を第一とするのなら
売ろうという姿勢で接するのではなく、
助けて差し上げようという姿勢で接する。

こういったことはいつの時代も
大切なんだと気づくわけです。

何前年も昔にミイラにされた人達が
もし今を見れたとしたら
どんなことを思うのでしょうか?

便利になった近代の私たちの生活を見て
「結局、何も本性は変わってないな。」と
家族や仲間とビールやワインを呑みながら
歌って踊っているのかもしれませんね。

虫歯や歯周病に悩みながら(笑)。

「なぜ、貴方は私で買わないといけないのか?」

販売業に携わってくると
いつも一定の周期で競合先との戦いが
価格勝負にしかならない時期があります。

素晴らしい商品やサービスができて、
最初は高い価値、特徴として
市場に受けいられていたものが
いつの日かその品質が当たり前になります。

商品の違いや差が分かりにくくなり、
同じようなモノの比較にしか
思えなくなった先では
価格でしか違いを比べれなくなる時期が
定期的に来るのが世の中です。

「コモディティ化」と言われる現象。

こういうと売り手や作り手側で
「同じじゃない。違いはある。」と
力説されて反論される方が多いのですが、
ここまで情報化の社会になっても
買い手側にはわかりにくいのは昔と変わらず。

現在の流れを見ても
手作業の仕事や各々の人間がしてきた仕事が
コンピュータや機械でできるようになると
結局、どこの会社の商品も
同じような品質レベルになっていく。

結果、品質で競争できなくなったために
価格勝負にならざるをえない・・・
といった話を聞いても
世の中はある周期で動いているんだなって
思わざるを得ません。

と言うことはいつの時代も
それが人であれ、商品であれ、価格であれ
何でもいいのですが、

「なぜ、貴方は私で買わないといけないのか?」

その理由をいつの時代も相手に
伝えられないといけないことに気づくのです。

その理由を
「付加価値」と言い換える人もいますし、
「感動体験」と言い変える人もいますし、
それが「価格」であってもいいわけです。

とある営業マンの方はその理由を
「私以上にあなたを
幸せにできる人はいないから」と言って
ずっと結果を出されている方がいます。

私は、その言葉そのものよりも
そう言い切られるその営業マンの
「覚悟」に感心してます。

時代が流れていく中で
そんな姿を時代遅れを笑ってる人がいましたが、
その人は昔も今も結果は出し続けられています。

ちなみにその笑っている人は
「品質」を武器に成果を出されている方でした。

でもそれって各々、
得意なことや武器が違うだけで
いかにして相手に自分で買わないといけない理由を
自分の有利で得意な形で言えるかだとすれば
やり方や目に見える部分だけで
あんまり判断しないほうがいいなって思いますね。

自分の長所って
自分の武器って
自分の得意技って何ですか?

いつの時代も自問自答することを大切したいです。

「できない」のではなく「しないでいること」を選択している。

以前に読んでいたスーザンフォワード氏の本を
読み直していたらこんな話が載っていました。

「自分にはできない」と思っているのは、
実際には「できない」のではなく、
「しないでいること」を選択しているのである。

これって昔、自分がよく言っていた
言葉に似ていることにふと気づきました。

以前、住宅営業をしている時の話。
なんだかんだ言っても「家」は
人生においては最も高価な買い物。

(最も高額な買い物は家でなく、
住宅ローンですといった説得トークで
ツッコまれても今日はスルー(笑)。)

色々と今建てるメリットを聞かされ
説得や交渉されたとしても
購入を決めることはなかなか勇気がいるもの。

そもそも人間は決断することは嫌で
理由をつけて先に延ばしがちなのも事実。

周りの人間や営業マンが
購入を無理強いするものでもなければ、
買わないことを非難するのはもってのほか。

決断するかはお客さんの意思であるべきです。

なので私は強引な営業活動を
することなかったですが
迷われている人にはいつもこう言ってました。

「いつ決断されても、どこで建てられても
全然いいのですが一つだけお願いがあります。

今、買うと決められてもいいですし、
今、買わないと決められてもOKです。

でも、今買うか買わないかを決めない事を
決めるのだけは止めてください。」

これって先のフォワードさんの言葉に
意味がとても似ている気がしました。

白黒はっきり決めるじゃないですが
中途半端でグレーなままで止めると
先で本当の決断しないといけない時に
決断できなくなる。

要は、クサいものに蓋をして
問題を先送りにしだして
決めるタイミングも勇気もなくなって
買えなくなった人をいっぱい見てきたので
それだけはしないでとお願いしてきました。

要は今、建ててもOK 。
今、建てなくてもOK。
勿論、私以外のどこの会社で建ててもOK。

でも私は、いつでもどんな形でも
住まいは作った方がいいと思っていたので
住宅を販売してきたこともあり、
それならば先で家を買えなくなる人、
決断できなくなる人にはなってほしくないと
思っていたのでそう伝えていましたね。

だから何事も「できない」って思うより
「今はしないことを選んだ」って思えた方が
次の可能性が残っているように思います。

もし、住宅営業しているのなら
今、建てるってことを選ばれたら
後は私ならできることがこれですと
きちんとお伝えすればいい。

先で建てるってことを選ばれたら
その間はただボーとしているのではなく
こんなことをしておいてくださいって
課題や目安をお伝えして
然るべき時期が来た時に
私がお手伝いしてもいいのなら
お声がけくださいってお伝えすればいい。

「検討します」って言葉は
言うのは簡単で使いがちですけど
それが決断しないまま停止するだけなら
営業マンは絶対してはいけないと思います。

自分の為にも何よりお客さんの為にも。

そんな昔、思っていたことを思いだしたので
今回は色々書いてみました。