「問いが変われば答えが変わる。」

お盆休みの間、本棚の整理をしました。
時間があれば次々読んでいくのですが
お盆休みの間にも
20冊くらいまとめ買いをしたので(笑)
増えていくペースの方が早かったりします。

随分昔に買ったエッセイや雑学本を
整理していて久しぶりに
ひすいこたろうさんの本を見つけました。

結局、片づける時間より読む時間は増え
整理はさほどはかどらずじまい。
まぁ、よくあることなんですが、
久々に読んだら面白いエピソードが
たくさん書いてありました。

「問いが変われば答えが変わる」もその一つ。

とある調味料メーカーが売上が下がったので
どうやったら売上があがるのか?
そんな会議をしてたら
とある女性の意見が採用され
売上があがったようです。

そんな彼女の意見は
「出てくる穴を2倍にしてみる。」

要は他の人はみんな
どうやったら売上があがるか?を考える中、
彼女だけ問いが違っていたんです。

「どうやったら早く買ってもらえるか?」

使っている人の消費ペースが早まったので
購入するペースが早くなり
売上があがっていったという話。

感じ方は人それぞれでしょうが、
私はものすごい感心してしまいました。

だれもが考えそうなことをやってみても
結果が大きく変わらないとすれば
そもそもの「問い」を変えてみたら
「結果(答え)」が大きく変わる。

これっていろんな悩みにおいての
大きなヒントになる気がします。

似たような話で
余命3ヶ月と言われたガン患者の中で
奇跡的に治った人には共通点があった模様。

ほとんどの人は余命3ヶ月と言われたら
「どうやって治すのか?」を考えるそうですが
奇跡的に治った人達は
「残された3か月をどうやって生きるか?
どう充実させるか?」を
考えられた人だったそうです。

医学的にも科学的にも
根拠はないのかもしれませんが
これも「問いが変われば答えが変わる」の
一例のような気がしました。

いざと言う時にこんな感じで
自問自答できることって
人生を楽しむヒントのような気がします。

先週、50歳になりました。
FBやメール、LINE、インスタなどで
多くの方から祝ってもらえました。
ありがとうございます。

素晴らしき50代になるように
いろんな問いを自分自身に尋ねてみて
自分なりの答えを発見していこうと思います。

50代も皆様宜しくお願いします。

〇〇したらうまくいくものは無いけど、〇〇しなかったらうまくいかないことはある。

自分の好きな趣味の
裏話系ノンフィクション本が大好きなので
この手の本を半身浴しながら
毎日読むことが多いのですが、
今回読んだ「確執と信念」って本は
面白くて楽しいひとときでした。

今回も毎度のプロ野球の話(笑)。

スジを通した男たちとして
門田博光、田尾安志、広岡達郎、
谷沢健一、江夏豊と
これまた一癖も二癖もある
たまらないメンツたちのインタビュー。

読み応えのあるやり取りの最後に
筆者 松永多佳倫さんのエピローグに
こんなお話が書かれていました。

膨大な時間をかけて取材してわかったのは
この5人に三つの共通項があったこと。
それは「自分を信じる」
「曝け出す」
「非を認める」だ。
(中略)
これらの三つの共通項を携えていれば
必ず一流になれるというわけではない。
ただ、間違った生き方だけはしないはずだ。

常日頃から私も
似たような感じで思う事が多く
改めて確認したような気になりました。

この本の江夏さんの項でも書かれてましたが
「本を読む人はすべて頭が良いとは限らないが
頭の良い人は必ず本を読んでいる。」や

故 野村克也さんの話で有名な
「勝ちに不思議の勝ちあり、
負けに不思議の負けなし。」のように
こうやったら売れると言うのはないけど
これをやらなかったら売れない
というものはあると思っています。

要は、〇〇したらうまくいくものは無いけど
〇〇しなかったらうまくいかないことはある
という考え方。

これやったら絶対うまくいくなんてないのに
これやったら絶対儲かるなんて
口車を信じてしまったのが
先日のある芸人さんの投資トラブルなわけで。

美味しいければ売れる
いいものさえ作ったら売れると
主張される方も多いですが
これって本当なんでしょうか?

お客さんの前で
弟子や社員を罵倒する親方や経営者のお店は
一度は買っても買い続けないでしょうし、

そもそもずっと付き合い続けたいと
思えるようないいお客さんは
こんな店にまず行かないって話にも
言い換えられるのではないでしょうか?

一度は買ってくれるかもしれないけど
買い続けてはもらえないって感じの方が
しっくりくるかもしれません。

時間を守る
笑顔で元気よく接する
相手に敬意を持つ
マウントをとらない など

これができないと結果的には
自分達が本来望んでいるお客様には
選んでもらえないってことを再確認し
徹底することの方が
先にやることなんじゃないかな?と
改めて思った半身浴での読書でした(笑)。
有意義な1週間でした・・・。

学校は勉強をしにいくところではない?

学校は勉強をしにいくところではない。
周りの人と競って負けることで
自分の得意なことや
自分の才能を見つめるためにいく。

こんな言葉を聞いたとき
なるほどと腑に落ちたのであります。

他人との当たり障りのない付き合い方や
波風立てずに過ごす処世術など
いろんなこともあるのでしょうが
自分にとって得意なことは何か?
気づくことができるのも
学生時代に一番チャンスあります。

何でも好き勝手にしてよくなると
やりたいこととか好きなことしか
接することがなくなりますが、

興味なくても
いろんなスポーツをやってみたり、
やったことのない実験してみたり、
弾いたことない楽器に触れてみたり、

そんな経験の中で
新しい気づきや
楽しいと思えることに出逢えるわけで。

勉強はあんまりできないけれど
マラソンだったらみんなより速いとか
クラスで一番絵が上手とか
自信が持てる何かに出逢えるかもしれない。

工作で入賞したことがきっかけで
将来、ものづくりの世界に進んで
一生の仕事になるかもしれない。

そう思ったら
学校は勉強をしにいくところでない・・・
言い換えたら勉強だけをするところではない。

自分にとって得意なことや才能が何か?を
見つけるために行っている。

向いていないと思ってたことが
実際やってみたら実は自分に向いていると
気づけることが多いのも世の常。

そう思ったらいろんな経験ができる
素晴らしい機会だと再認識できますね。

「今、学生時代に戻れたらもっと勉強する」
よくこういった謎の言い訳をするのも
おっさん特有の発言なのですが(笑)、

今なら私は
「今、学生時代に戻れたら
もっといろんなことをやってみる。」
そんな風に考えるような気がします。

「君にサチアレ」

コロナでまた騒がしくなってきましたが、
ギリギリセーフと言うか
先日、家族で久々にライブに行ってきました。

生で鑑賞する楽しさを娘達に伝えたくて
野球や漫才など連れていっていましたが
コロナでここ2年半は自粛。
今回、久々に観に行ける機会があり
娘達は3回目のライブ鑑賞。
しかもホール鑑賞は初めてでした。

長女が吹奏楽部でバリトンサックス担当。
そんなこともあり今回観に行ったのは
「東京スカパラダイスオーケストラ」
最高のステージで、娘達も大喜びでした。

本編ラストで演奏された「君にサチアレ」
この曲は嫁いでいく娘を祝う父親目線の曲。

演奏中、舞台の背後で流れる映像が
娘が成長していく過程を映したもの。

途中、中学生くらいになった娘を連れて
家族で初めて行ったライブがスカパラって
映像を見た時に
「あっ!まさに私もこんな瞬間や!」
って気づきました。

娘達もあっちゅーまに育って
私の前から離れていくんやな…と
隣で笑顔で手拍子しながら聴いてる
娘達を見ながら思っていたら
大盛り上がりの会場とは裏腹に
1人で泣きそうになっていました(苦笑)。

父親にならせてもらって10数年。
元気に育ってくれることを
嬉しいような、寂しいような
そんな気持ちで感謝しつつ
まだまだお父さん業を
頑張らないといけないなって思った
そんな夏の夜でした。

君にサチアレ・・・・。
娘にサチアレ・・・・。
今日が一番に幸せと毎日言えますように・・・。

良さそうに見える人には注意する。

最近、どんなことにでも
〇〇ハラスメントって言葉が表現されます。

先日、ネット見てたら
「トーキングハラスメント
話したくないのに話しかけられる」とか
「ブリージングハラスメント
呼吸してほしくないのに呼吸される」とか
もう逆にそっちの考えの方が
ハラスメントなのでは?と
言いたくなるようなものから

「イグジスティングハラスメント
存在して欲しくないのに存在している」
といった言ったもはや言いがかりレベルの
ものまで存在するようです(苦笑)。

我々が若かった頃は
若い人や弱者には拒絶する権利はなく
上から傷つけられた世代なので
今の時代のように拒絶できる権利があるのは
いい事だと思いますが、

もう少し線引きをちゃんとしておかないと
逆にコミュニケーションが取り辛い…。

このネット記事でも若い人に
声が掛け辛くなる・・・と書かれていました。

とは言えセクハラやパワハラは
無くなって当然と思いますが、
個人的にはその2つよりも
モラハラの方が先に無くなった方が
世の中よくなると思っています。

セクハラやパワハラは相手が原因なのが明確。
なので相手を憎めるし、
周りから見ても相手が悪いとわかりやすい。

だけどモラハラは相手が全ての原因でも
自分にも原因があるんじゃないかと
自分を責めてしまい、
何より周りに相手が原因だと伝わりにくい。

何故ならモラハラの加害者は
善人面して外面がいいのが共通点。
だからタチが悪いわけです。

例えば、正論で叱ることは
最もらしく見えるのですが
相手が弱い者の時は、怒りの合理化に
過ぎないことがほとんど。

被害者はなかなか回復できず、
環境が悪いからと周りから思われないと
周りの人から我慢できない人だの
ワガママだの責められて傷つきます。

付き合う人が良い人の方がいいのは
当たり前な考えですが、
モラハラの加害者は全て、
善人面して外面がいいとすれば
良さそうに見える人には
注意したほうがいいとなるわけですね。

そう言えばこれまでにも
「人格障害者ほどフェロモンが出ている」とか

結果的に伝説のクレーマーになった人ほど
「最初はいい人だったんですけど・・・」と
聞くことが多かったので
同じような意味合いが強い気がします。

ちなみに私は第一印象が普通の人こそ
結果的に長くお付き合いできる人と思って
ここ10年、過ごしています。
そう思い行動するとあながち外れていません。

第一印象が悪い人はそのまま
付き合えない人が大半ですけど(笑)
良すぎる人は付き合いも長続きせず
紙一重な人が多いことに気づきます。

この見方が正しいかどうかの議論より
そうかもしれないなと一つの考え方として
頭の隅にでもおいて
行動してもらいたいですね。

人付き合いも仕事もうまくいくための
そんなヒントにしてもらえたら幸いです。

(加藤諦三著「モラルハラスメントの心理」
より参考引用させてもらいました)

やる気は、やる前には生み出されない。

「やる気がないからやれません。」
「お金なり、待遇なりをよくしてくれないと
やる気が起きません。」

新しいことにチャレンジしたり
やったことないことに取り組もうとする前に
こんな感じになりがちなものです。

でも、やる気はどうやら やる前には
なかなか生まれないものらしいです。

目標作ってまずはやってみて、
達成しようと頑張ってみる。
苦しい時もあるけれど
やり切ってみた時に達成感を感じる。
その達成感から達成欲が生まれ
やる気は生まれてくるようです。

今の時代は
とりあえずやってみてという指示に
かなり抵抗があるようなのですが、

気持ちは分からなくもないけれど
まずは取りかかることで
スイッチが入るってことも
どこかで覚えておいてほしいですね。

とは言え、そもそも達成欲は
最初ゼロでスタートして
徐々に上がっていくものと思われがちですが
本当は最初に持っていて
徐々に下がっていくものらしいです。

とすれば大事なことは何か?
それは、達成欲が下がらないような
環境整備が大事なことが分かります。

もしかしたら周りのやる気や達成欲を
下げさせている一番の原因は、
相手でなく自分のなのかもしれません。

ちょっと見直してみたいと思います。

(今回は横山信弘さんのお話を参考にしました)

「Amazing Grace / 竹原ピストル」

竹原ピストルさんはソロになる前の
野狐禅時代から大好きなミュージシャン。

有名な讃美歌であるアメージンググレイスに
日本語詞をつけられカバーされています。

実質3分ほどの短い曲なんですが
初めて聴いたときはもちろん、
何回聴いてもポロポロ涙が出てきます。

歳をとったせいでしょうか…。

年老いた母や大切な家族、友人を思い出し、
いつまでも永遠でない日常に改めて感謝して
毎日を丁寧に、謙虚に、真面目に
過ごさねばと何度も思わされる曲です。
(最後にyoutube貼り付けてるので
よかったら聴いてみてください)

「歌」ってものすごい力がありますよね。

励ましてくれる曲、
勇気をくれる曲、
感謝することに気づかせてくれる曲・・・。

何歳になってもそんな曲に
まだまだ出逢えることはラッキーです。

来月50歳になるのですが、
40代の締めくくりとして
今月はいろんなことを考えたいと思います。

「あべこべに群れるから無力」

とある本を読んでいたら
ルポライター竹中労さんのこんな言葉が
紹介されていました。

不意を突かれつつも
妙に納得、胸に沁みたのでご紹介。

「人は無力だから群れるのではない。
あべこべに群れるから無力なのだ。」
(竹中労)

この竹中さんの考えは、
昔聞いてぐうの音もでなかった言葉、
「努力しても成果がでないのは
間違ったやり方でやっているから」に
とてもニュアンスが似ていると思いました。

我慢したり苦労したりすることを
努力だと勘違いしていた私。

それって成果がでなくても
これだけ辛い思いをしているんだから
自分は頑張っているでしょ?
仕方がないでしょう?と

やってる最中から言い訳がましく
自分を正当化していただけの
カッコ悪い自分を鏡に映して
気づかされた時を思い出しました。

努力って行為は、
ガムシャラに何かしたらいいのではなく、
自分なりにこうやったいいかなと考え
やりながらどうやったらうまくいくのかと
試行錯誤していくことが大事。

ノープランでただやってみても
なかなかうまく行かないし成果はでない。
あべこべにやっても仕方がない。
そして結局うまくいかないことの繰り返し。

きちんと考えて行動に移し
そこで修正しながら成果を出せるように
色々とやり続けていくことが大事ですよね。

改めて自分に「喝」を入れてもらった
そんな気づきの言葉でした。

「言葉の意味をちゃんと知っておく大事さ」

先週はコロナワクチン3回目の副反応で
家でダウンしていました。

2回目迄は大したことなかったのですが
今回は翌日の夕方になってから平熱が
1時間程の間に38.5℃まで上がりグッタリ。

世間も少しづつ落ち着いてきてますし、
穏やかな日々に戻ること期待しています。

先日の会話でふと思ったこと。

ある2人が会話してるのを
横で聞いていたのですが、
意見が食い違った感じの平行線のまま。

お互いが「合意」しようと思っているけど
お互いが「同意」させようとしている様子。

会話の間に入りよくよく話を聞いてたら
その確認しあっている言葉の意味を
お互いが違う意味で認識していたので
お互いが納得できないのが分かり、
そこを指摘させてもらったら
折り合いがついたのでありました。

でも、お互いが言葉の意味が異なり
分かり合えたようで分かり合えないこと
身近にも本当たくさんあると思います。

先述の「合意」と「同意」の違いもありがち。
「合意」とは
対等な立場の相手と意思を一致させること。
「同意」とは
こっちの意見を相手に受け入れてもらうこと。
似ているようで違いますね。

これは契約行為で例えるとわかりやすい。

<契約>とは同等の立場同士の
「合意」でないといけないのに
お客の立場を利用して
買い手が法外な値引き要求してきたり、
希少品だからと高圧的な態度で
売り手が強引に売りつけてきたりして
「同意」を一方的に押し付けてくると
気分いい取引にはならないですよね。

合意をしようと思っている売り手と
同意をさせようと思っている買い手が
お互い契約と言う行為をしようとしたら
おそらくその商談は
平行線になるのではないでしょうか?

初対面の人同士集まり
急遽、野球チームを作って
すぐ試合をしてもゲームが成立するのは
認識しているルールが同じだからです。

とすれば日常会話や
コミュニケーションも同じです。

親子間の認識のズレ
社長と社員間の方向性のズレ
夫婦間の価値観のズレ

ジュネレーションギャップや年齢差、
立ち位置の違いもあるでしょうが
もしかしたら言葉の意味をお互いが
違う意味で捉えていることはありませんか?

当事者になるとわかりにくいですが
傍目に見たらすぐ分かったりします。

岡目八目、気をつけたいです。

丁寧さが仇になる。

「丁寧さが仇となる。」

かといって無礼でいい訳ではありませんし、
馴れ馴れしさがいい訳でも
タメ口がいい訳でもありません。

商売には敬意や配慮、丁寧さは必要です。

でも、お客様と話すとき
特に初対面の人と話すとき
丁寧すぎるとうまくいかないことは
多々あると思っています。

例えば、真面目で一生懸命、
誠心誠意対応してるのに
あまり成果のでない営業マン。

傍で見てて何でだろう?と思う反面、
なんか売れない理由もわからなくない。

そんな時によく
「あれ?丁寧さが仇になってる?」って
思う時があるのです。


数ある会社の商品の中から
自分の商品を選んでもらおうとしたとき
比較される以上は言葉は悪いですが
「勝てるリング」で勝負しないと
なかなか結果は出せられないのが現実。

結果が残せる営業マンって
自分が勝てるリングがどこか気づいてるし、
いかにしてそのリングにあげることを
なにより重視しているところはあります。

そして何より困るのがそもそも
お客様がリングにあがってくれないこと。
そんなケースは始まりすらしない訳です。

丁寧であるばかりに
リングにあがってもらえないケースが
結構あるのでは?と問うてみたい。

例えばお電話をかけた際に
「〇〇様、お忙しいところすみません。」
と丁寧に言ってませんか?

「お世話になります。」と
最初に言っていませんか?

もちろん礼儀ですし、言った方がいいです。

でも、真面目な人ほど こう言うと
襟を正して営業に来ました、
満を持して売り込みにきました感がして
言われた方はまずは身構えてしまいます。

「この人は売り込みに来たんだ」と警戒し
拒絶する準備を整える機会を
わざわざ与えてしまってないでしょうか?

売り込み臭をプンプンさせて
売り込みにきたので断って下さいと
暗にメッセージしてないでしょうか?

丁寧であるばかり、
リングに上がらせることに
まず失敗しているケースは多くないですか?

見た目、いいかげんそうな営業マンなのに
やたら進捗が上手な人っています。
そんな人いたらやっかみ半分で
「アイツは口が上手いから」とか
「アイツは人たらしだから」とか言って
成果に蓋をして過程を非難しがちですが、

おそらくこの人はこの人なりに考えて
どうやったらまず自分の話を
聞いてもらえる場が作れるのか、
自分のリングにあがってもらえるのかを
身に着けているからだと思います。

この場合、見習う事はあっても
非難することなんか全然ないわけです。

大事なのは自分なりの方法を
ちゃんと見つけて身に着けてますか?って話。

「どうしたらいいのか教えてください。」
真面目な人ほどそう聞いてこられますが
これは自分で気づいて
見つけるしかないと思っています。

20代の男性と
30代の女性ならやり方は多分違います。
新人とベテランでも違うでしょう。
一概にこうやったらいいって
ひとつの方法ではないわけです。

自分のキャラクターや得意技、
使える武器や背景、環境などで
大きく変わるのならやっぱり
自分なりの方法を見つけるしかありません。

丁寧さは基本、大きな武器になります。
でも伝え方次第では大きなハンデになります。

そこを否定せず受け入れて考え直すことが
自分が大きく変わる秘訣だと思うわけです。
(真面目な人は石頭なので
変化することにブレーキ踏みがち。
そこから否定しない覚悟も必要ですが)

私が営業マンならまずは
こんな風に伝えていくかもしれません。

(お忙しいところすみませんとか言わず)
「自分なりの営業スタイルを
勝てる商談ステップを作っていきたい方いれば
そんなお手伝いもしていますので
いかがでしょうか?
お困りの方いたら私にお声がけ下さい。」

こんな感じですかね(笑)。