新 聞

今日はひな祭りです。
娘2人の我が家は雛人形の前で
毎年、ちらし寿司を食べて祝います。
娘の健やかな成長を日々祈る父ちゃんです。


(当然、我が家の
雛人形ではありません(笑)。)

先日、ポストを見たら
新聞の契約更新申込書が入っていました。
一人暮らしの時期、
取っていない時期もありましたが
結婚してからは奥さんの要望もあり
新聞は継続的にずっと取っています。

最近、本当に新聞を取っている家庭が
少なくなりましたね。
20~30代の人と話していても
新聞を取っている人自体、
見つけることが困難なくらいです。

以前の仕事では折込チラシで
集客、宣伝広告をしていたこともあり
10数年間、折込部数の経緯は
見てきましたが、
全体部数の減少よりも反響数の減少に
そもそも新聞をとらなくなってきたことを
ずっと感じていました。
(反響数に関してはネットの普及や
生活形態、価値感の変化、
宣伝広告の変化なども大きいでしょうが、
そもそも新聞を取っていないから
折込チラシが目に届いていないことも
大きいことは違いないとは思います。)

新聞を取らない人に聞くと
知りたい情報はスマホやPCで簡単に知れるし、
ゴミになるだけで存在に意味がない。
もう新聞の役割は終わったのでは?
といったニュアンスの話を言われます。

私もここまでは思いませんが
確かに情報収集は
もう新聞でなくてもいいんじゃない?
そんな風に思っていたので
以前、奥さんに新聞を辞めようか
言ったことがあります。

そのとき奥さんがこんなことを言いました。

「確かに知りたい情報は
新聞じゃなくても何でも手に入るよ。

でも、今まで興味がなかった情報や
知らなかった情報は
新聞で教えてもらうことが多い。

知りたい情報だけ知れたらいいと
思う人もいるやろうけど
私は知らなかったことを教えてくれる機会は
大切にしたいし、そっちのほうが人生楽しい。
それを教えてくれるから新聞はとり続けたい。」

「・・・・・・・・・。」

もう聞いたとき衝撃。
何も言えずに「・・・はい。」って
言ったことを思い出しました(笑)。

そうなんですよね。
私は今までも自分は
知らないことを知ったときとか
何かに気づけたときに
メッチャ面白さを感じることができると
思って生きてきたのに
そんなこと新聞の存在に
全然思ったことがなかったです。

・・・・反省しました。

会話が面白い人、一緒にいて楽しい人は
「言い回しがうまい」とか
「頭の回転が早い」とか言われますけど
一番は「知識の引き出しが多い人」だと
思っています。

例えば、仕事なら
「経験が多い人、実践を多くしてきた人」
といえるかも知れません。

公式を教科書でいっぱい勉強してきた
学校の先生やコンサルタントのお話は
3回ほど聴いたらもうお腹いっぱいですけど、
実践してきた人のお話って
何回聴いても為になって面白くないですか?

言い回しや比喩表現が巧みで
わかりやすいから話が面白い人もいますけど
そんな人もまずは「豊富な知識と経験」が
あってこそなわけです。


(好き嫌いはさておき
技術は一番だったと思います。)

それは「やりたいこと」や
「知りたいこと」だけをやってきて
身につくものでもありません。

興味があることを「白」
興味がないことを「黒」としたら
白はもちろんとしても
どれだけ白の周りの「グレーゾーン」を
広げるかが勉強だと思っています。

それを身近で簡単に知れる機会として
新聞を有効に使えたらいいなと
思いました。
しかも毎月4000円ほどなら
決して高くはないし・・・(笑)。

取る新聞も全国誌や日経新聞でなく
地方紙に奥さんがこだわるのも
そう思ったら妙に納得できました。

奥さん、お母さんの役割を担う女性は
「地域でのお得情報」や
「子育て話題」や「子どものイベント情報」
今は必要性がなくても
なんとなく知っておいたらいいことを
なんとなく知れる機会は貴重だと思います。

そう思ったら「新聞」って
何かのきっかけをくれるものでもあるので
重宝してみるのも考え方ですね。

なので、2年間継続となりました♪

なのでどこ行く予定もない休日、
我が家のリビングは
父ちゃんと2人の娘は本を読んでて
母ちゃんは新聞を読んでます。

みんな好きなものを飲みながら・・・。
平和な時間ですね。

追伸

欲しいものが翌日、
しかも店頭より安く手に届けてくれる
amazonnなどが普及した結果、
特に姫路という街では
本屋さんやCDショップが激減しました。

最近、本屋さんは復活してマシですが、
大型店舗もタワレコもHMVもなくなった今、
CDやDVDを店頭で買えなくなりました。

昔はお店を1~2時間ウロウロ。
立ち見や視聴して目的外の
新しい何かを発見する楽しさがありました。

そんな時間が無駄という
効率主義の方も多いでしょうが、
そんなグレーゾーンな時間にこそ
発見や成長、気づきがたくさんあるわけで

便利さが時間を短縮したけど
そういった機会も損失していることって
もったいないとも思うのです。

ちなみに音楽好きの私は
昔はたくさんCDを買っていました。
最近は大阪とか東京に行ったら
姫路では売っていないので
CDショップを探して買っています。

ダウンロードしたらいいと言われますが、
ジャケットを眺めたり
歌詞カードを読みながら聞いたり
ライナーを読んだりして
楽しむのも音楽なわけで、
そんな部分も一緒に楽しむのもいいですよ。
音楽好きの独り言でした。


(我が家の玄関です)

愛の反対は無関心

今日は、長女の10歳の誕生日です。
元気に大きくなってくれました。
最近は生意気も言ってきますが、
あいかわらず何をしても可愛いです(笑)。

誕生日プレゼントは「ベッド」になりました。
今日から一人、部屋で寝るようです(笑)。
頑張れ!
父ちゃんはちょっと寂しいですけど・・・。

何をしても娘は可愛いものですが、
最近、テレビを思うことがあります。

正式な名称をなんて言ったらわかりませんが、
いろいろな企業でお勤めの社員さんや
アルバイトの人のバカ動画投稿。

いろんな人がいろんな立場から
意見を言われていますが、
見てて「ほっておけばいいのに」と
思っていたりします。

「そんなバカに言っても仕方ない。」
という人もいれば、
「厳しく取り締まればいい。」という人、
中には、
「こんなことをいちいち刑事事件にしては
その会社に誰も入りたくなくなる。」といった
予想外の上から目線の意見もあって
ちょっと驚いたのも事実です(笑)。

ちなみにこの「こんなことを~」には
私なりにも意見があって、
こうやって迷惑かける人もいれば、
もちろん真面目に働いてくれている
社員さんもかなりいるわけです。

こんな迷惑社員をほっておくと
真面目に働いている人から見たら
「なんであいつらをのさばらせるんだ?」と
快く思わないことが多くでてきます。
結果、この手のスルーは組織において
全然いいことないように思います。

いいことはいい。悪いことは悪い。
小学校でもわかるような規律を保たないと
こんな「特例」が最も空気を
悪くしかねないことを
大きな器で受け止めろ的意見は、危険。

これから入ってくる人ばかり見て、
今、頑張ってくれてる人を
軽視してしまってることが本当、要注意。
そう思います。

で、バカ動画投稿(スゴイ表現ですね)には、
もう「相手にしない」ことがいいと思うのは、
そもそもこういったことする人は
相手にして欲しいからしているわけで
全く相手にしなければ
やがて辞めていくのではないでしょうか?

もちろん、処罰はあって当然と思います。
こういった行為を管理者能力うんぬんで
企業側に問うこともですが、
解雇することで片付くことでもありません。
実際、行なった人に
それなりの処罰はなければ
抑止力にもならないでしょうね。

要は、マスコミなどは
一切騒がずに無視して報道せずに
水面下で責任は問えばいいように思います。

そう思うのは
マザーテレサがいったとされる有名な言葉
「愛の反対は憎しみでなく、無関心」
この言葉通りと思うからです。

学生時代に、いませんでしたか?

注意されても授業中に騒ぐ同級生が。
先生に怒られても素行不良の同級生が。
怒られても怒られても
全然変わらず、迷惑をかける同級生が。

大人になってもいますよね?

何度言っても締め切りを守らない人が。
注意しても全然直す気の無い人が。

なんでこんなことがわからないだろう?と
いつも疑問に思っていましたが、

こういった行動は、

人はいつも相手には見ていて欲しい。
構ってほしい。
だから反発をしても気にかけ続けて欲しい。

でも、反発し続けたり、反論し続けたら
どこかで相手に諦められて
相手にしてもらえなくなる。

そうなったら今度は
悪いことしてでも、怒られてでも
相手にしてもらいたいから
そういった行動をするようになる。

そういったものらしいです。

でも、こんな話を10年以上前に
初めて聞いたとき妙に納得しました。
そんなものかもしれないなと。

とすれば、確かに人としては
いい行いのではないのかもしれませんが、
悪い行為は「無関心」でいれば
いつかは収まることも多いように思っています。

冒頭の話に戻ります。
我が子であれば、
どれほど言うこと聞かなくても
どれほど悪いことはしても
親は見捨てることもなく
無条件で構い続けることもできます。

大人になってからも
どんな人にでも我が子と同じように
無条件で構えるような立派な人が
理想なのでしょうが、
そんな聖人君子ばかりでもありません。

となるとこういった行為が
いかにかっこ悪いかということを伝えて
後は構わないというスタンスも
冷たいようですが、必要だと思います。

ルール違反をし続けても
いつまでも見捨てられないことを望み、
また、いつまでも許されるんだと
学習させることも
その人にとっていい事じゃないですから。

無関心な姿勢を推奨できませんが、
相手から関心を持ってもらえるように
生きる努力をすることを
怠っていいわけもありませんので。

とはいえ、こういった無条件な愛情は
子どもの頃に、たっぷり
与えてもらえないといけないのは事実。
それが親からでも、祖父母からでも
先生からでも誰でもいいので、
大人から与えてもらえていないといけません。

子どもの頃に貰い足りない人ほど
大人になってからも求めるものだと思います。

なので、娘たちには
たっぷりと与えてあげたいと思っています。
最近、ウザがられてきました(苦笑)。

この愛情が娘達にとって
「愛している」でなく
「甘やかしてる」にならないように。

もし、私が娘達と接しているのを見てて
甘やかしてるように見えたら
いつでも注意してくださいね(笑)!
修正します!

365日のうち、
誕生日の1日のプレゼントはベッドですが、
364日のプレゼントは
「愛情」でありたいと思います。

智美、10歳おめでとう!
今晩は、唐揚げを大量に作るね(笑)♪

産まれてきてくれてありがとう!

今日、関東は積雪らしいですね。
交通渋滞など起こりそうです。
みなさん気をつけてくださいね。

最近、報道されている小4児童虐待の事件。
お父さんの異常さ。
お母さんの無関心さ。
児童相談所のマズイ対応など
事実がわかればわかるほど
亡くなった児童がかわいそうで堪りません。

(こういったケースに限りませんが、
大変な事件に巻き込まれそうになったとき
どうも事を大きくせずに解決しようと
する人が多いですが、
その考えが困難を産むと思っています。
私は警察に介入してもらうなり、
周りの人に助けを求めて、事を大げさにして
鎮火するほうを選ぶスタンスです。)

私も2人の娘がいます。
そりゃ、言うこと聞かなくて
怒ることも多々ありますが、
基本は可愛くて仕方ないわけで、
虐待することが本当理解できません。

一説には親に虐待された人が
大人になった時に
我が子に虐待してしまうことが
多いとも聞きます。

自分が我が子を愛せるのも
自分が子どもの頃に愛されたからなら
私も両親に感謝しないといけないですね。

そんなニュースを毎日見て
いろんなことを思う日々の中、
次女の志保(小2)が学校の宿題で
自分が産まれたときのことなどを
親に取材してまとめるために
私と奥さんに話が聞きたいと言ってきました。

コーヒーやお茶を入れて
食卓に私達夫婦が並びで座り、向かいに次女。
それを横で眺めるオブザーバー(笑)のように
小4の長女 智美が座り、取材が始まりました。

最初の質問が
「母ちゃんのお腹の中にいるときは
どんなことを思ってましたか?」でした。

楽しげな顔で質問してくる次女。
それを興味津々で聞いている長女。
打って変わって真顔の父ちゃんと母ちゃん。

少し間を空けて私はこんな話をしました。

「志保が母ちゃんのお腹に来てくれたとき、
母ちゃんは盲腸になったんや。

そのとき、母ちゃんは
志保がお腹にいるって知らなかったから
レントゲン受けて手術をした。
それは12月の慌しい年末の時期やった。
それから退院してから志保が母ちゃんの
お腹にいることがわかったんや。

実はお腹の中に赤ちゃんがいるときに
レントゲン取ったら悪影響があるから
取ってはいけなかった。
しかも調べたらレントゲンを取ったら
一番ダメな時期にしてしまってたんや。

レントゲンの影響で
志保が健康で産まれてこれるかわからない。
もしかしたら障害があるかもしれない、
もしかしたら流産するかもしれない。
そんなことがわかって、
父ちゃんと母ちゃんはこのまま産んでいいのか
ものすごく悩んだんや。
智美も産まれて初めてのお正月休みやったけど
どこにもいかず、どうしようかって
ずっと父ちゃんと母ちゃん相談してた。

志保、産まれてきてくれることを
悩んだりして、ごめんな。
情けないけどそれくらい
父ちゃんと母ちゃんは悩んだんや。

で、お正月休み明けに病院に検診にいった。
先生に父ちゃん、聞いたんや。
『先生、このまま産んでも大丈夫なんですか?
正直なアドバイスをしてください。』って。

そのとき先生がこんなこと言ってくれた。
『確かにこういったケースでは、
産まないという選択をされる方もいます。
また、流産されるケースも多くあるんです。
でも、この子は元気にお腹の中で育って
産まれてこようとしています。
お父さん、お母さん
産まれてこようとしているこの子のことを
信じてやってもらえませんか?』って。

父ちゃん、ハンマーで頭殴られたくらいの
衝撃があったんや。

ほんまやな、
産まれてこようとしている志保のことを
父ちゃんと母ちゃんが信じてやらなかったから
誰が信じてやるんやろ?って。

その瞬間に父ちゃんと母ちゃんは
志保を産むって決めたんや。
病院の駐車場からじいちゃんやばあちゃんに
電話したことも覚えてる。

それから7ヶ月経った夏の暑い日に
志保は元気に産まれてきてくれたんや。

出産に立ち会って志保が産まれてきたとき
父ちゃんは志保が泣くより先に泣いたで。
まぁ、智美が産まれたときも
父ちゃん、智美より
先に泣いたけどな(苦笑)。」

そんな話をしました。
話してたらそのときのこと思いだして
夫婦でホロッって涙してたら、
話を聞いてた志保が大粒の涙をこぼして
泣くのをこらえて聞いてました。

その隣で智美がこらえきれず、
大声で泣いてました。

で、4人でひとしきり泣いて、
智美、志保に
産まれてきてくれてありがとうなって
御礼を言ってからも取材は続行!

そこからはあーでもない、
こーでもないといった楽しい思い出話をして
大笑いしたのでありました。


(随分、昔の写真になりましたが
志保らしい写真です(笑)♪)

この話はもう少し大きくなってから
してあげようと思っていましたが、
これもお話しするいい機会だったと思い、
今回、話をしました。

よく奥さんと話すのですが、
娘達が産まれたから
我々は親になれたんじゃなくて、
娘達が産まれてきてくれたから
我々は親にならせてもらったと思っています。

大変なこともいっぱいありますが、
楽しいことも幸せもいっぱい与えてくれます。
ならせてもらえた親という役割を
存分に味わせてくれることに感謝します。

Thank you for coming into our live.
私達の人生に来てくれてありがとう!

そんなことを改めて思わせてくれた
そんなお話でした。

追伸

今日、2月9日は個人的に節目の日です。
14年前の今日、仕事中に体調を崩し
しばらく動けなくなりました。
2ケ月間の療養を経て、
完全復帰まで1年以上かかりました。

あのときはいろんなことを思いましたが、
今となってはよかったと思えます。

あのときがあったからこそ
出逢えた縁もありますし、
気づけたこともあります。

なによりこのときを機に禁煙しました。
1日2箱~3箱のヘビースモーカーでしたが、
きっぱり止めれました。

いいことと悪いことは表裏一体です。
過ぎた後、どんなことでも
それがいい機会であったと思えるような
人生を過ごしていきたいと思っています。

言い放たれた言葉は消えない。

2月になりました。
1月が、あっという間に終わった感じです。

こうして1年がすぐに終わっていき、
また一つ歳をとっていくのでしょうね(笑)。

先日、報道された明石市市長の暴言騒動。
もちろんこの市長の発言は
許されるべきものではないですが、
一部だけを切り取って報道されていることや
2年前?のことなのに、
市長選挙の直前に騒ぐあたりにも
別の悪意が見え隠れして
なんか見てて釈然としなかったりします。

とはいえ、この市長の発言もかなりのもの。
辞職されましたが、これは仕方ないですね。

このニュースを見てたとき
ちょうど読んでた本に書いてあった話と
内容がよく似ていたので、
その話を書きたいと思います。

先月は、本を10冊ほど読みました。

本屋で見かけて面白そうだなと手にした本。
気軽に読めそうなので
ちょっとした時間つぶしに読もうと
「アフリカのことわざ」って買っていました。

その中にこんな
アフリカのことわざがありました。

「口論はやがて終わるけれど、
言い放たれた言葉は消えない。」

今回の明石市市長の話が
まさにこの通りと思います。

口にした言葉が武器となり相手を傷つけ
それはもう取り返しがつかない。

相手に敬意があれば
話し言葉一つにも注意を払い、
相手に伝えようとするわけですから
立場が変わるほどに、
より丁寧さが必要になります。

自分自身にも戒めて気をつけたい話です。

でも、こういった ことわざ って
「言いえて妙!」ってやつが
たくさんありますよね。

他にも面白い
アフリカのことわざ があったので、
いくつかご紹介させて頂きます。

「人はヤシ酒のよう。
若いときは甘いけれど強さに欠け、
成熟すれば強いけれど、どきつい。」

「あなたを苦しめる煙は、
あなたがこしらえた焚き火によるものだ。」

「シマウマを追っても
必ず捕まえられるわけではないけれど、
捕まえた者は追っていた者。」

「ゾウたちが戦えば、苦しむのは草たち。」

「船長だからといって
船員であることを忘れるな。」

「おしゃべりでみっともないことが3つある。
ここぞというときの前に言う、
言うべきときに言わない、
あとになってから言う。」

「ラクダは重い荷物には耐えられるが、
縛り方の悪いロープには耐えられない。」

などなど。

読んでて胸にグサッ!と
刺さる ことわざ も多いですね(笑)。

もし、他にも知りたかったり、
ご紹介した ことわざ の意味を深く
知りたい方は是非、購入して
読んでみてください(笑)。

「ルール違反」と「マナー違反」

1年でほとんど雪の降らない姫路でも
雪が舞っています。
インフルエンザもかなりの猛威で
広まっているようです。
皆様、ご自愛ください。


(漢方薬の麻黄湯が
インフルエンザの予防になる?と聞いてから
予防で飲んでいます。)

さて、今日はマナーについてのお話。

例えば、家族や友達といった人間関係を
うまくやっていくためには
「コミュニケーション 力」が
大事といった話のように

会社などの組織やチームで
うまくやっていくためには
「ルール」が大事と思っています。

誰がやる
いつまでにやる
それを誰がいつ確認する
どうやって引継ぎする

そんなことを決めて行きながら
ルールを決めていくと
バトンパスしていく業務は、
うまく進んでいきます。

もしそのルールでうまくいかなければ
みんなで再検討して変更すればいいわけです。

①各自の業務内容を明確化する
②変更が必要な時は皆で話し合い変更する。

要は、誰かが勝手にルールを変えたり
やらなくなったりせず
決まったルールどおり運営されているかを
確認する場所が「会議」であり、
確認する人が「責任者(○長)」なわけで

いろいろとスタッフの方と話しているときに
社内で低気圧な不満があるときって
だいたいこのルールを破っているのが
社長や部長などの「長」であったり、

その「長」が
特定の誰かだけを許しているといった
「特例」を作っていたりするときに
いつも何か目に見えない根本の問題を
感じることが多々あります(笑)。

なので、
ルールを決める、守る、実行することが
できたらうまくいくように思っていましたが、
最近は、どうやらそのルール厳守より前に
マナー厳守のほうに
やっぱりポイントがあるように
思っています。

というのも
そもそもルールを守っていても
マナー違反する人が、
やっぱり和を乱す人なわけで

それならまずはマナー違反を
確認していったらいいように思うわけです。

「ルール」とは・・・
規則(行為や事務手続きがそれに基づいて
行なわれるように定めた事柄)。
決まり。

「マナー」とは・・・
礼儀作法(人がその社会生活を円滑に営み、
社会秩序を保つために用いる規範と実践の
総体)。
態度。

実はこういったことをいつも感じるのが
新幹線の中だったりします。

中国では今、指定席に勝手に他人が座り、
トラブルになっていることを
ニュースで見たりしますが、
日本ではまずありえないように思います。

指定席は買った人が座る。
こんな当たり前のルールを破る人は問題外で
日本は、ほぼルール違反者はいないはずです。

でも、これがマナー違反ってなると
結構いるように思いませんか?

①後部座席に人がいるのに、
配慮無くシートを最大限に倒している人。
②PC操作をしているときにやたらと
キーボードを叩く音がうるさい人。
③ずっと貧乏ゆすりをしている人。

個人的にはこの3つを
「新幹線三大マナー違反」と
しているのですが(笑)、
こうした人がいるときにいつも
周りの雰囲気が濁った感じがして
周りの方もイヤ~な気分になってたりします。
(肘掛け独占されるのもイヤですが、
肘掛けは半分?は取り返しにいくので(笑)。)


(肉まんの匂いという人もいるようですが
個人的には結構好きかも(笑)。
ただ、おなかがすいてきますね。)

社内でも
いつも怒っている人や
チヤホヤしないと不機嫌になる人、
そもそも全然、仕事をしていない人、
不平不満を言い続けている人、
口裏を合わせて派閥を作りたがる人、
自分勝手な人・・・・

ルール違反はしてないけど
マナー違反をしている人。

こういった人がやっぱりその組織において
問題の根っこなことが多いわけです。

マナーを礼儀作法に置き換えたら
挨拶や敬語、身だしなみも
大事な事がわかります。

「自分がどうでありたいかより
相手がどう感じるのか・・・。」
ビジネスってそこが大前提ですからね。

自己主張もいいですが、
やっぱり人間関係は相手があってこそ。

不快に思われては元も子もなく
やっぱり話してて気分いい人がいいです。

とはいえ、ルールやマナーを
一方的に押し付けるのはこれまた問題。

「それは抑圧であり、
相手に教えるときに
それを攻撃の材料にしてはいけないわけで、
思いやりのない指摘は
意地悪と変わらないよ。」って意見を
ネットで以前、見たことがあるのですが、
「なるほどな~。」と思いました。

これって以前、私が言ってた
「正論バカ」の一つにすぎません(笑)。

伝え方も とても大切で
それをコミュニケーション力というのなら
もう何が一番最初に大事なのかは
頭の中がこんがらがってきたので

まずは「決まったルールを守り
マナーをもって行動する。」ことから
改めて始めたいと思います。

「満月の夕」

1995年1月17日。
あの日から今日で24年経ちました。
24年前、私はまだ大学生でした。
随分、昔の話になりました。

日々、健康で安全、平和な毎日が
当たり前だと思わずに
体調に気をつけて、
周りの人への感謝の気持ちを忘れずに
毎日を一生懸命生きたいと思います。

娘がまだ1歳にもならなかった頃、
私が毎日お風呂に入れていました。

小さな我が子を恐々抱きつつ
湯船につかっているとき毎晩、
「産まれて来てくれてありがとう」って
言ってたこと思い出しました。

大きくなってきたこともあり、
言う回数が減ってきたかな(自問自答中)。

今、出張中ですが姫路に帰ったら
娘にちゃんと言おうと思います。
もちろん、奥さんにも
「ありがとう。」って言いたいと思います。

そんなこと思った朝でした。

改めて、阪神大震災で
犠牲となられた方々の
ご冥福をお祈りいたしますとともに
ご遺族の皆様方に
心よりお悔やみ申し上げます。

「役割」を演じること

今年になってもうすぐ半月経ちました。
今日、明日は成人式ですね。

働いている子も学生してる子もいますが、
成人式では旧友と再会して
近況報告をしつつお互い祝って欲しいです。

先日、こんなデータを見る機会がありました。

カーネギー工科大学が
1万人の工場労働者を調査した結果、
成功の15%は仕事のスキルで
85%は性格的な要因、
特に他人とうまくかかわる能力によるものと
結論づけたようです。

又、ハーバード大学での研究では
解雇された数千人の男女のうち、
仕事の失敗で失業した人より
人間関係の失敗で失業した人の方が
2倍も多いことがわかり、

著名な心理学者ウィガム博士によると
1年間で失業した4000人の労働者のうち
仕事ができないからと失業したのは
全体の10%にすぎず、
残りの90%は他人とうまくかかわる事が
できないから失業した事がわかったそうです。

ここ最近を見ていると販売においては
買い手(お客様)側は
商品のモノそのものを重視する傾向が
強くなっていて
売り手側もモノにいろんなウエイトを
置いていると感じていますが、

組織においてや売り手側のベースとしては
依然として関わっているヒト側の側面が
大事なんだなと改めて思いました。

働き方改革なんかはまさにそれを
具体化したものの一つですよね。

当たり前といっちゃ当たり前なんですが、
意外とその当たり前が今の時代って
ちょっと軽く扱われている感が否めません。

そんなことを考えたときに
他人とうまく関われることのコツって何か?
と言われたら私は

自ら自分は
誰かに必要とされていると思える事
相手には
私はあなたが必要ですと伝えられる事

こう思えることではないかと思っています。

そしてどうやったら
自分は必要とされていると思えるか
相手は必要とされているか思ってもらえるか

そのために組織には
「役割」があるのではないでしょうか?

私は去年まで社員が10数人いる
会社の社長をしていましたが、
「社長」という肩書きは
「役職」というよりかは
「役割」といういう意味がわかり易いと
思っていました。

(このあたりは言葉の定義が似てるので
ニュアンスの問題なので(笑)、
ニュアンスがうまく伝わってくれたら
いいのですが・・・。)

各自その「役割」を認識して
それを演じきったら次の「役割」が
与えられるものでないといけないと
いつも思っていました。

課長という「役割」を演じきったから
部長という「役割」に
変わっていけるといった感じですね。

それを一定の年齢になったからといった
年功序列的配置の考え方や

社長の息子だからとか言って
その「役割」を無条件で与えたときに
組織内の上下関係って
大変になっているように思います。

それにその会社の各肩書きの「役割」は
どのようなものなのかを定義してないことも
混乱を招く大きな要因です。

そういったことが
部長なのにその部下の面倒をみない とか
課長の「役割」を演じたことがないから
部長になっても何をどうするかわからない、

その結果、部下ばかり重労働、重責務なのに
部長が手伝いも労いもフォローもせず
権利主張だけして定時で一人帰ってしまう。

そんなことが起きてしまいます。
(誤解なく聞いて欲しいですが
定時で帰ることが悪いわけはないですよ。)

それではその部署は
なかなか上手くいかないですよね。

上司だけがいつも正しくて
部下がいつも間違っているわけはないのなら
お互い必要と思いあえることが大事で、

そこには「役割」の定義を決めて
その「役割」を演じて定義を実践してみる事が
とても組織形成には大事だと思うのです。

トレーニングの一環で
「ロープレ」というものがあります。
正式にはロールプレイングと言いますが、
この言葉の定義は
「役割を演じる」という意味です。

お客様役になって「役割」を演じ
疑似体験をしてそこから感じるものは
何かを学びあうこと、

その様を他人事のように眺めて感じるものは
何かに気づくことが大事なのですが、

接客する人の話術やテクニックだけを
学ぶような機会だけになっているケースが
多いのもなんかもったいないですよね?
特に営業でのロープレは。

「役割」を演じきったときに
何かがわかると思ってやられているのなら
販売に置ける顧客との関わり方だけを
ロープレをするのではなく、

社内の人間関係や上下関係などの
各自の「役割」を確認しあう場としても
わかりあえるような
そんなロープレもあっても
いいのではないでしょうか?

普段、無責任な上司に
「俺について来い」みたいな
熱いキャラの役割をさせてみたり、

普段、反発ばかり言う可愛げ気のない部下に
「はい、やってみます!」と
すぐチャレンジするキャラを演じさせてみても
かなり面白いと感じています(笑)。

本人らは嫌がるでしょうが・・・。

でも、そんなロープレが
責めるだけの機会になってもダメですが、
成長には「現実を直面する」
そんなステップは大事なわけで、

その立場においての
各々の現実を直面することも
実は各自その「役割」の中にあるわけです。

それは、立場が上にいくほど
その現実は実績や数字に反映し、
立場が下にいくほど
その現実は勤務態度や姿勢に反映します。

だから、実績が出せない上司は
評価されにくく、
遅刻が多く挨拶ができない部下は
評価されにくいのです。

厳しいけどこれは各自の「役割」と思えたら
それを受け入れる覚悟もできるわけで、
そうしたら人間関係での悩みも
かなり減っていく会社になっていきます。

①自分の「役割」を定義する。
②その「役割」を演じてみて客観視してみる

こんなワークも1年に1回くらい
社長も部長も社員も
会社のみんなが笑って
ロープレできる会社になれたら
それが実はみんなが所属したい魅力ある会社に
近づいているのではないでしょうか?

うまくいかないことの原因は
他人ばかりにあるのではなく
自分の中にも最もあるといった事実を
直面できる人って本当カッコいい大人ですね。

そうなりたいと思っています。

さて、これは今から26年前での
成人式での私の写真(笑)。
体重も26kgくらい
痩せてるようにも思います(笑)。

何故、ハリセンを持っているかはさておき
この時代、男の人生は
40代が一番カッコいい!と
ずっと思っていました。

今年、47歳になります。
私はあの頃、描いていたような
カッコいい40代を過ごせているのでしょうか?

それでは、これから私の大好きな
自問自答をしようと思います・・・・・・。

ご清聴ありがとうございました(笑)。

恒例行事

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

本日1月4日から奥さんが仕事始め。
奥さんが年末の仕事おさめの日に
ギックリ腰になり大変でしたが、
復活して無事出社しました。

私は年末風邪気味だったのか
大晦日は終日、味覚がなくて
全然、ご飯もお酒も味がしませんでした。
元旦は元に戻り、
おせち料理を堪能しました。

まぁ、この正月は娘達が元気だったので
ヨシとしています。

我が家はお正月に
娘達の身長を計るのが恒例行事。
今年は1月2日の朝に身長を計って
柱に書き込みました。

毎年、お正月と
この家に引越ししてきた7月13日の
年2回子どもの身長を計っています。

私は8年半前に家を建てたのですが、
我が家のリビングの真ん中には
構造上無くてもいい柱が1本あります。

家を建てるときに
娘達の成長を家のどこかに刻みたかったので
柱をむき出しにして設置しました。

娘達の成長を印すことと
背中がかゆいときにその柱を
とても重宝しています(笑)。

娘が大きくなっていく様がよく分かり
我が子の成長を喜んでいます。

私は1年の中で
なんでもいいのでその時期に応じて
恒例行事を作って行動することにしてます。

毎年、その時期が来たらその行事をして
1年間、元気で過ごせたことを再確認し
改めて頑張ろうって気持ちにしているのです。


(奥さんの実家恒例 百人一首大会)

例えば、年末年始なら
大晦日の午前中は、
母親と2人で父の墓掃除に行く。
元旦は朝一で朝風呂に入る。
お正月に娘の身長を計る。
これらは恒例行事ですね。

これらをしたら正月だって気が毎年します。


(今年は雪が積もってました)

でも、よく考えたら
大掃除をすることや実家にいくこと、
初詣にいくことも同じです。
年賀状もそんな意味がありますよね。

年賀状はめんどくさいし、お金もかかります。
今年で年賀状は最後にしますといった風潮も
見受けられました。
メールやLINEで充分といった意見も
あるでしょう。

確かにそうなんですけど
なんかそういった側面だけで
無くしていく事にいつも思う事があります。

いらない部分はなくしたとしても
そこにはいい部分もあるわけですから
そこは残して欲しいなとか思うわけです。
(それは何?といった話になると
感情論に発展していき非常にめんどくさいので
こういった話は各々の心の中で
確認するのがいいと思っています。)

何事も物事の変化や改善は
「よりよいものにするため」でないといけなく
「めんどくさい」「楽したい」だけでやると
結果的にいい事にならないのがほとんどです。

仕事ならその改革が
「お客さんが喜ぶから」とか
「みんながうまくやれるから」ならOKですけど

誰かだけが楽になるものであれば
その人は楽になっても
そのしわ寄せが誰かにいくだけだから
やっぱりそれはよくないわけです。
(先日書いた正論バカ(失礼)の人は、
この傾向が強かったりします。
自分だけが正しいと主張する人や
わがままキャラが認められてる人も
そんな人が多かったりしますが、
組織においては
本当にやっかいな人達です(苦笑)。)

何でも辞めるのも
無くすのも簡単にできますが
その前にもう一度よく吟味することは
辞めず無くさず実行したいですね。

なので我が家は年賀状は今のところ
いい部分もあると思っているので
続行することにしています。

今年もいろいろ書いていくと思いますが、
何卒よろしくお願いします。

今年も一年ありがとうございました。

本日は12月30日。
今年もあと2日で終わりですね。
年末になると毎年、何気にこの曲を聴きます。

「年の瀬’93」

しまい忘れた風鈴が
冬の中で泣いてるみたい
今年も暮れるんだ…….

短か過ぎたこの春や
悔し過ぎた夏も終ったのさ
今年も暮れるんだな…….

これ以上 やせないように
これ以上 減らないように
これ以上 しゃべり過ぎぬように…….

ジングルベルで気がついて
あの人達に手紙を書きだす
今年も暮れるんだ…….

これ以上 やせないように
これ以上 減らないように
これ以上 しゃべり過ぎぬように…….

ジングルベルで気がついて
あの人達に手紙を書きだす
今年も暮れるんだな…….

(詞:仲井戸麗市)

まぁ、私はこれ以上やせないと
いけないのですが(笑)、
手紙というか年賀状を昨晩から
書き始めた次第です。

歳をとったせいか
本当一年経つのが早いものですね。

このブログも書き始めて1年経ちました。

この年末、久しぶりにあった友人や知人から
ブログ読んでるよと数人から言ってもらい
メッチャ嬉しかった森下です(笑)。

昨年末を区切りに新しいチャレンジを始め、
なんとか1年やってこれました。
皆様、本当にありがとうございます。

昨晩、奥さんにも御礼を言いながら
日本酒を2合ほど呑んだら
21時に娘と寝てました。
おかげで今日は4時から起きてます・・・。

年の瀬の慌しい街や人混みが大好きです。
いくつになってもワクワクしますね。

ちなみに大晦日は子どもの頃から
1年で1番大好きな日です。
ちなみに大晦日は毎年同じスケジュール。

朝一から午前中は母親と亡父のお墓参り。
18歳のときに他界してから28年。
大雪や寝込んでたとき以外は行ってるので
20回以上になるのかな?

往復3時間の道のりを母親と
今年一年あったことをいろいろ話してます。

昼から家族で大掃除。
娘達と買い物行ったりして
夕方からは実家でご飯。

21時くらいには家に帰って
娘を寝かしていましたが
去年初めて娘2人が0時まで起きていました。

年越し蕎麦の存在を初めて知り、
父ちゃんと母ちゃんはこんなことしてたんだと
驚きつつ、ちょっと大人になってました(笑)。
さて、今年はどうなることやら。

なにはともあれ、
家族が健康で今年も一年無事過ごせたこと、
心から感謝しつつ
皆様にも心から御礼申し上げます。

今年一年、可愛がって頂き
ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

森下泰成

クリスマスプレゼント

今日はクリスマス・イブですね。
娘たちにはサンタクロースが来るようで
うらやましい限りです。

ちなみに今日は家族で
クリスマスパーティーをしますが、
私は奥様より大量の唐揚げとポテトを揚げる
ミッションを頂いています(笑)。

仕事終わり次第、取り掛かります。

今月はたくさんの本を買い込み
移動中や時間をみては読書しています。
先日、ものすごい納得した言葉がありました。

組織内の色々な人の意見を聞いて、
それらをまとめて方向性を決める際に
大変なときがありませんか?

全く歩み寄ってくれない人がいたり、
自分の都合を一方的に押し付ける人がいたり、
すぐに感情的になる人がいたり・・。

そんな中でやたらと正論を
言ってくる人がいるのですが、
この人が本当、タチが悪かったりします。

ちなみに反論が正論であればあるほど
話って、こじれていくんですよね(笑)。

多少の融通性を持ってくれたら
歩み寄れあうのですが、
正論を言う人は歩み寄る気が無い人が大半。

なので、ほとんどのことが決めきれず
うやむやで終わってしまったりします。

これが会社や組織内のことなら
なかなかルールや約束ごととして決まらず
何年経っても問題として残っていることも
多いのではないでしょうか?

レス・ギブリンさんが書いた
「人望が集まる人の考え方」を読んでたら
こんな風に書いてありました。

人間関係における物の道理とは、
相手に正論を振りかざすことではなく、
相手の自尊心を満たす方法を実行することだ。

これを読んで「なるほどな~。」と
一人で感心していました。

こう言われたらその通りなんですけど
こんな簡潔な一言で伝えられることに
本当、感動すらしました。

相手に敬意がなければ
その言葉に心もなく、
上っ面の表現になってしまいます。

それが勝ち負けにこだわる姿勢が
前提であればあるほど
なかなかまとまりません。

高圧的な経営者や上司にこの傾向が強く、
それでは風通しのいい会社にもならないし
まず社員が育ちませんから。

本当、正論って難しいですね。

ここだけの話、
今まで私はこういった正論を振りかざして
聞く耳を持ってくれない人のことを
「正論バカ」(失礼)と呼んで
半ば諦めていたのですが、

これからはそんな人達に
「あなたの意見が正論であっても
それを説く前に、まずは相手を認めてあげる
大人な姿勢になってもらえませんか?」と
伝えてみようと思います。

正論を言う人は
勝ち負けにこだわる考え方な人が多いですが、
そこを非難する前に
その正論を言う人の自尊心も満たすことも
大切なわけですから。

大切なことに改めて感じられて
年末にいい気づきをもらえました。

私にとってこの気づきを強引に
自分自身への「クリスマスプレゼント」に
しようと思います。

大人のクリスマスプレゼントって
味気ないですね(笑)。

まぁ、何はともあれメリークリスマス・・・。