正しいことをいうときは・・・・

本を読んでいても
詩を読んでいても
曲を聴いていても
映画を観ていても
時に胸をグッとつかまれるような言葉に
出逢うことがあります。

例えば、大学生の頃に
桑田佳祐さんの曲を聴いてて
「粋で優しい馬鹿でいろ」って言葉に
初めて触れた時、衝撃を受けた感じ。

例えば、30歳くらいの頃に
茨木のり子さんの詩
「自分の感受性くらい」を読んで、
カッコ悪い自分にハッて気づいたとき。

例えば、37歳で次女を授かった時、
様々なリスクを考えて産むか産まないか
奥さんと悩んでた時に、
産婦人科の先生に
「産まれてこようとするお子さんのこと
信じてやってもらえないですか?」って
言われたあの瞬間。

生きてたら本当、胸を鷲掴みされるような
出会いがしらに ぶつかるような
そんな言葉に出逢えることがあります。

先日、吉野弘さんの詩を読んで
ハッと気づかされる言葉に出逢いました。

「祝婚歌」
吉野さんが姪夫婦に贈った詩。
これから一緒に暮らしていく2人に
こうあったほうがいいと語っていく内容。

その中にこんな言葉がありました。

「正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい」

なんか胸の中でモヤモヤしてたことが
なんかスッキリしました。

時として人は、正論であればあるほど
高圧的に上から目線で語りがちです。

自分は正しい。
自分が正義なのだから
間違ってる相手は傷ついて構わない。

そんな考えで
誰かに攻撃され傷ついたことも
誰かを攻撃して傷つけたことも
思いあたることはあるはずです。

正しいことを言うときに
相手を傷つけるものだと気づいていたら
もっと言葉を選んで
もっと建設的な話ができたよなと
詩を読んだ瞬間にいっぱい頭をよぎりました。

パワハラもモラハラも
根っこはこんなことかもしれません。

正しいことであればあるほど
言い方を間違えたら相手には
一生、伝わらなくなってしまうことも
たくさんあるのではないでしょうか?

本当はそんな結末なんて
誰も望んでいるわけではないのに、
本当はそのことが正しいことを
お互いが分かっているはずなのに、
言い方を間違えただけで
言った方は相手を馬鹿にして、
言われた方は相手を恨んで、
ただ後味が悪いだけ。

親子や夫婦、親しい友人あればあるほど
取返しのつかなくなるときって
もしかしたら内容がどうではなく
言い方がまずかっただけなことが
いっぱいあるように思います。

「それを言っちゃおしまいよ。」でなく
「そんな言い方したらおしまいよ。」
って感じかな(苦笑)。

言い方はどうでもいいんだ。
正しいことは正しいと
受け入れられないといけないんだと
言ってくる人はいるでしょう。

それも正しい考えなのかもしれませんが
それで相手に伝わらなかったときに
相手が悪いと責めるのなら
正しいこと言ってたとしても
その人は嫌われても仕方ないですよね。

なのに、なんで嫌うんだ?と言われても
それはいかがなものか?と思います。
どっちやねん!っていうほうがいいかな。

祝婚歌の最後はこんな言葉で終わります。
夫婦間であれ、友人間であれ
こんな関係でいれるように
相手に敬意をもって生きたいですね。

そんなことを思わされる
素敵な詩との出逢いでした。
いい機会でした。

「健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい

そしてなぜ胸が熱くなるのか
黙っていてもふたりには
わかるのであってほしい」

伊達政宗の「五常訓」

梅雨明けしました。
しばらくは暑い毎日が続きそうです。
コロナも心配ですが、
熱中症や日射病にも気をつけていきましょう。

伊達政宗の「五常訓」ってご存じですか?

これがなかなかうまくまとまった文で
戦国時代を生きぬくことはもちろん、
我々の日々の生活の中でも
ハッとするヒントになりますね。

いろいろありますが、
要は、何事もバランスが大事と
いったことを教えてくれます。

「伊達政宗五常訓」

仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。
礼に過ぎれば諂(へつらい)となる。
知に過ぎれば嘘をつく。
信に過ぎれば損をする。

気ながく心穏やかにして、
よろずに倹約を用い金を備うべし。
倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、
この世に客に来たと思えば何の苦労もなし。

朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。
元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。
今日の行くを送り、
子孫兄弟によく挨拶して、
娑婆の御暇申するがよし。

【意訳】
相手を優しくしすぎたら
自分が弱くなってしまう。
正しいことばかりに囚われては
融通がきかず柔軟な対応ができない。
礼儀正し過ぎたら、嫌味となり逆に失礼。
知識が増え賢くなると嘘つきになる。
他人を信じすぎたら損をしてしまう。

気を楽にして心を穏やかにして、
多少の不自由があっても倹約を心がける。
この世にお客さんとしてきていると思えば、
不足に思うこともないでしょう。

朝食や夕食がおいしくなくても
おいしい言って食べるように。
元々、お客さんであれば
好き嫌いを言える立場でもないですし。

そうやって生きていき、
いつかあの世へ旅立つときには
家族や子供に「ありがとう」と
ちゃんと挨拶をして旅立てばいい。

まずはなんでも「おいしい」って
言いながら食べることにしようっと・・。

「運」がいい人

なかなか梅雨明けしませんね…。
当初の予定では、
明日はオリンピックの開会式でした。
来年どうなることやら。

何よりコロナが落ち着いて少しずつ
元の生活に戻っていて欲しいです。
夏場のマスクは本当、辛いです(苦笑)。

「マンダラチャート」ってご存じですか?

やることが明確になる
目標達成シートでかなり有名なもの。
やられたことがある方も
いらっしゃるかもしれません。

先日、マンダラチャートの話になった時に
メジャーで活躍する大谷翔平選手が
花巻東高校1年生の時に書いた
マンダラチャートの話になったときに
以前、私が感心した話をしました。


(無料テンプレートより)

大谷選手は高校1年のときに
成し遂げたい一番大きな目標を
「8球団ドラフト1位」と掲げていました。

結果、日ハム1位でプロ入り、
メジャーで活躍していて
ある意味、有言実行なのですが、
それを達成するための要素の一項目に
とても感心したのです。

プロ野球選手になるためには
「体づくり」や「コントロール」「キレ」
「160km/h」「変化球」と掲げていきます。
もちろんその通りですし、
誰しも納得のいく項目でしょう。

そして読んでいくと
そんな技術的な面だけでなく、
「メンタル」や「人間性」と並び
「運」と掲げているのが目が留まりました。

世の中の成功者のほとんどが
自分が成功した理由の一つに
「運」と言われているので
そうかもしれません。
でも、まだまだ高校球児の時点で
そう思えていることにまず驚きました。

そして、次は各項目を得るための
具体的な行動目標を書いていくのですが、

「運」の行動目標に
「あいさつ」とか
「ゴミ拾い」とか
「審判さんへの態度」とか
書いてある事に本当に驚いたのです。

その通りだと思います。
でも、大人になっても全然そんなことを
そう思えない人が多いのに
高校1年の時点で思えていたことに
本当に感心しました。

才能や努力があった上であったとしても
こんな考えで取り組んできたから
今、大成しているんだなと
心から納得できました。

「そんなことしても関係ない。」
「それは自分の仕事ではない。」
そんな自分勝手なことを言う人って
本当たくさんいます。

あいさつなんかしても
自分の得には一切ならないって
思っている人も多いと思います。

ゴミ拾いなんて自分がしなくてもいい、
誰かがやればいいって
思っている人も多いと思います。

でも、そんなことをきちんとやることが
自分の運につながっているって
高校1年生で思えていたこと、
それをこうして言葉にしていること。

そりゃ二刀流も成功するはずです(笑)。

「自分がやらなくても責任はない。」
「誰かがやらないといけないけど
誰がやってもいい共通の仕事は
自分がしたら損だからしない。」
そんな人は今までいっぱい見てきましたが、
そんな人って「運」はないように思います。

こんなチームメイトがいて
ずっとこの調子でいられたら
本当、先が見えないチームにしかならない。

こんな人間が我が物顔でいたら

①本当にいてほしい人間が辞めていく。
②本人もどこかで嫌われて辞めていく。
③もし最後まで居続けれても
自分がそんな前例を作っているから
結局、その後に続く人間も
そんな人間しか残らない。

といった3つのいずれかとなり、
どの道、先の見えない結果にしかなりません。

テクニックはコーチが教えたらいいですが、
監督は人間論や生き方を教えてあげるような
そんな人でなければいけません。

できれば抽象的でなく、より具体的に。

みんなが協力しあえるチームを作るために
前職の社長時代、部下達に
家では、親として娘達に
具体的な行動指標として

「用を足したときに
トイレットペーパーが無くなったら変えろ!
その時、芯は置いて出るのでなく、
ちゃんとゴミ箱に捨てろ!」
と言い続けてきました。

何回言っても出来ない人の方が多いので
おそらく「しょうもないこと言ってる」と
思われていたのでしょうが、
これができてない人は
自分勝手でチームワークがダメな人が
多かったように思います。

密室でのことなので誰ができて
誰ができていないかわかりません。
ただ、立証できないグレーなことに
人間の本質が出ます。

そんな人にはおそらく周りの人から
「運」を与えられるチャンスは
与えられないとすれば、
やっぱり「運」がないと言えるでしょうね。

大谷選手ほどの
大きなスケールの人生ではないですが、
自分の人生をよりよきものにするために
「運」に大切にしていきます。

そして「運」が与えてもらえるように
まずは具体的な行動の一つとして
「トイレットペーパーの交換」を
ちゃんとできる環境にしてます。

別にトイレの話だから
「ウン」の話でもないのですが・・・・

お後がよろしいようで(笑)。

海賊がどうして成功したか・・・

今年の梅雨は雨が続いています。
全国で大きな災害が起き、
多数の死者、避難された方がでています。
みなさん、気をつけてください。
1日も早い復旧をお祈り申し上げます。

先日、知って納得したお話。

人間関係を良好に継続するために
「信頼」や「協力」が重要なのは、
子どもでもわかる話ですが、
大人の自分が本当にそれを理解して
日々の人間関係で
実行できているかと言われたら
できていないかも?と
思ったりした先日の昼下がり(笑)。

卑怯な駆け引きしてみたり、
ささいなことだったとしても
相手を顧みない自己主張をしていないか?
自分の行動を見直してみました。

ちなみに無法者でもギャングでも
生きていくためには
「信頼」と「協力」の重要性は
知っていて接していたようです。

なかでも驚いたのは、
乱暴者に見える海賊が
どうして長きに渡り成功したかと言ったら
一番の理由は、
手下を丁重に扱っていたからそうです。

実は海賊の社会は
かなり民主的な世界だったらしく、
成果を出せば報奨金を出すし、
ケガをしたら手当てを出して補償し、
報酬ですら船長も船員も大差なく
分けあってた模様。

「もっと野蛮ではなかったの?」
「もっと上の人は偉そうではなかったの?」

そう勘違いしている人が多いでしょうが、
実際はとても大事にしあっていたようです。

ちなみに海賊の
荒っぽくて野蛮なイメージは
あくまでマーケティングに過ぎず、

いちいち戦ったり、
恐れてもらったほうが手っとりばやく
仕事が円滑に進む。

お金も戦力も余分に消費せず、
成果が出せたから楽に運営できた。

だからそんなイメージ像を作ったと聞いて
あまりにもの巧妙な戦略としたたかさに
ちょっと笑ってしまいました。

歳をとっただけで、
役職があがっただけで、
運がよかっただけで、
自分が偉くなったと勘違いしていないかな?

それが事実で
実際 偉くなっていたとしても
それが勘違いで
ただ偉そうになっていただけだったとしても
誰かを利用していいわけではありません。

成功している犯罪者であれ
利己主義は内部的に評価されないらしく、
仲間を大事にした方がうまくいくって
当たり前の話を改めて聞いたときに、
気をつけようとこっそり思った
一人のおじさんです(笑)

7月7日

今日は七夕。

七夕になったらここ20年間くらい
毎年聴いています。

よかったら聴いてみてください。
遠い青春時代の想い出が
蘇ってくるような気がします(笑)。

判断の目安を持っておく大切さ

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

【解説】
稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、
人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、
小人物ほど尊大に振る舞うものだということ。
(故事ことわざ辞典より)

成功したと言われる人と逢った時、
なんて丁寧で気遣いができる人なんだろうと
感銘を受ける人もいれば、
なんて偉そうで無礼な不愉快な人なんだろうと
二度と逢いたくない人もいます。

この違いって何なんだろう?
本人の心構え次第なのか
そうやって躾けてもらえなかったのか
大人になっても気づけないものなのかと
いろいろ思っていました。

先日、私たちの根本的な個性は
それほど変化しないことが
研究でも示されていて、
例えば、話す時の流暢さ、適応性、衝動性、
謙虚さなどは、幼少期から成人期を通して
ほぼ変わらない話を知って、
なんか妙に納得しました。

要は、よほど本人が変わろうとしない限り、
人はほとんど変わらないし、
変えることも難しいってこと。

最近は、雇用問題で
社内にいる問題社員をどうしたらいいか?
といった話もよく聞きますが、
身も蓋もなく言えば、最初からそんな人を
採用しなけければいいんです。

暴力を振るう旦那を
どうしたらいいですか?といった話なら
そもそもそんな人を恋人や結婚相手に
選ばなければよかったんです。

根本的な個性を
性質や性格に言い換えたら
それはそれほど変化しないのなら
最初からそんな人を選ばなければいいのが
一番、確実なわけです。

経歴や見た目、家柄、収入で選ぶ前に
そもそも価値観や考えが
同じ方向を見ていない相手とは
先で分かり合うことはかなり困難。

そもそも最初からそんな方法があったら
苦労しないという人もいるでしょうが、
ある程度はあるのではないでしょうか?


評価は本人でなく、周りがするものなら
周りの人に聞く耳を持つべきでしょう。
もっと言えば、親や友人を見れば
ある程度、どんな人かは
予想できるかと思います。

「言葉を信じるな、行動を信じよ。」
綺麗な言葉だけ信じず、
その人はどんな行動をとっているのか
そこをしっかり見ないで選んでは
見誤ることは多々あるのではないでしょうか?

明らかに間違うより概ね正しければいいなら
こんな方法もあります。
仮に50人面接して1人採用するなら
応募者数50人を数学定数e(2.718)で割った数
18人までを不採用して、その18人の中で
最も優秀だった人を上回った最初の応募者を
採用すれば概ね正しい結果となるようです。

これらが全て正しいかは分かりません。
でも、判断の目安にはならないでしょうか?

ネットで見かけた話。

プロのカメラマンに
「この写真みたいなステキな桜を
撮りたいんです。」と言ったら
「じゃあいいカメラ買うより、
いい場所を見つけないとね。
ロケハンなんて年中できるんだから、
冬の桜の木を見て、
春満開になった桜の木を想像しなきゃダメだよ。
場所を見つける技術ってすごく大切」って話。

素晴らしい人生のヒントをくれる
大好きなお話です。

男が一番カッコいいのは40代。

先日、奥さんと話してて思い出したこと。

私は中学生時代、
家の隣がレンタルレコード屋さんでした。
年齢はもちろん、そういった環境もあり
音楽が生活のほとんどを占めてました。

中1の時、桑田佳祐さんが
音楽の扉を開けてくれ、
中3の時、布袋寅泰さんが
ギターのカッコよさを教えてくれ、
高2の時、ローリングストーンズを知って
音楽の素晴らしさにのめり込んでいきました。

成績優秀でなおかつ親孝行な息子だったので
高校卒業後、わざわざ1年間神戸まで
予備校に通ってたのですが(涙)、
この予備校が駅まで行く途中に
パチンコ屋やゲームセンターが無数にある
とてもいい環境にありました(笑)。

幸い、私はそこで時間をつぶせるほどの
財力がなかったのでスルーしてましたが、
神戸には地元とはマニアックさが違いすぎる
CDレンタルがあり、そこには通う毎日。

本でしか見た来ないようなアルバムが多数。
当時は日本の古い音楽にのめり込んだので
お金があればそこに行き、
たくさんの音楽を聴きこみました。
(予備校生、勉強しろ!)

70年代80年代の音源を聞く中で
RCサクセション(清志郎)や憂歌団、
サンハウスやルースターズ等のめんたい系、
ウエストロードブルースバンドなんかを
19歳にして聞き始める始末(笑)。

その中でも上田正樹さんは大好きで
ちょうどこの時、上田さんが昔やってたバンド
SOUTH TO SOUTHを再結成してて
この時の映像とCDは何百回聴いたか・・・。
ちなみにこのアルバムが、
人生で一番聴いたアルバムだったりします。

上田正樹さんのライブは
10回以上行ってるので、
一番、生で聴いてるかな?

今でも好きで聴いてるのですが、
19歳の時に知ったとき、
ストーンズしかり、上田さんしかり
みなさん年齢は40代でした。

その時、私はこう思ったのです。
「あぁ、なんて40代のおっさんって
カッコいいんだろう・・・。
男は40代が一番カッコいいな!
よし、俺もどんな人生を歩むか分からんけど
絶対カッコいい40代を過ごそう!」


(違う!こんなんではない!)

そんなこと思い、
カッコいい40代を目指してたことを
思い出しました。
もちろん、忘れてたわけではないのですが、
改めてはっきりと胸に蘇ったのです。

私は2か月後に48歳になります。

「・・・・・・・・・・・・。」
うぉぉぉ~!
40代が後2年しかないことに
今更ながら気づきました(笑)!

19歳の時、心に決めたカッコいい40代を
過ごせてきたのかと自問自答したら
胸をはって「YES」って言えないかも・・・。

なので、2年2か月しかない40代を
改めて大事にして、充実した日々になるよう
もう一度、ふんどしを締め直します。

19歳の時の自分に、
40代最後の日に出逢ったとしたら
胸を張って逢えるようにしたいです。

ちなみにこの映像が約30年前のライブ。
この時、上田正樹さん41歳くらい?
今の自分より6歳年下?
信じられないです(笑)。

19歳の時の私を魅了した歌声を
よかったら聴いてみてください。

街は情報源であり、羅針盤。

6月初旬は、
乗車率10~20%位だった新幹線も
人が増えてきて、
プロ野球も週末に開幕しました。

劇場も再開し始めてきて、
少しずつ元に戻ってきつつあります。
オンラインもいいですが、
ライブがやっぱり楽しみな森下です。

この3か月ほどは外出は最低限しかなく、
情報はテレビがネットから得る毎日でしたが、
6月になり外出が増えて
改めていろんなことを感じます。

自分の内面を見直して
整備することも大事ですが、
自分の周りの環境や条件を無視して
都合よく解釈してもあんまりよくはないな。

本やネットでたくさん情報や知識を
机の上で学んだとしても、
それを誰かに伝えたり
実際、実践してみないと
結局は大事なピントは外れていたり、
一人よがりの正論で終わってたりするな。

自分から改めて言葉で発信したり、
誰かに話して反応を感じることで
いろんなことを確認したりと、
やっぱりリアルとバーチャルの良し悪しは
冷静に認めていきたいなって思いました。

先日、久しぶりにドラッカー関連の本を
新幹線の中で読み直していたら
イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊さんのお話が
紹介されてました。

「売上が落ちた時は街に出て、
そこに行き交う人を見る。
その人たちがどんなものに興味を示すか、
どんなものを手にとって見るか観察する。
街は情報源であり、羅針盤だ。」

シンプルなこの感覚って本当に
大切にしないといけない考えだなと思いました。

世の中には様々な考え方があります。
それは様々な答えもあるということ。

しかし、多くの人が
自分の都合のいい答えだけを
全ての正解だと言い切ってきます。

健康が大事とか
世界は平和がいいに決まってるとか
当たり前のことはその通りですが、
日々の生活や趣味、ビジネスは
年齢によって、
時代によって、
地域によって結構違いはあります。

「それはその地域が遅れているから、
良さが分かっていないんだ。」と
ややディスるように言う人もいますが、
地域によっては、
食べ物の味付けに代表されるように
いろんな価値観や嗜好があるわけです。

なのに、それを頭ごなしに否定するのは
本当に暴力だと思うわけです。

実際、いろんな地域に行って感じるのは
本当、地域性というか
その場所によって考え方や感じ方は様々。

とすれば、いかにしてその地域を歩き、
いろんなものを感じて、
その上で自分がこうだと思う考えを
どれだけその地域の人に伝わりやすい商品に
どれだけその地域の人に伝わりやすい言葉に
形を変えられるかが大事ですよね。

私は海外旅行でも国内旅行でも
一番楽しい瞬間は、
その地域を実際に散歩がてら歩いて
その地域のスーパーマーケットで
買い物することだったりします。

何が流行っているのか
何が陳列されているのか
見て触って本当に楽しいです。
(香港にいったときにスーパーに行き、
陳列されていた「うどん」を
姫路の会社が作っているの見て
嬉しくなり思わず買ってしまいました。
何故に香港で うどんを買う・・・・(笑)。)

スーパーに何が陳列されている?
本屋にはどんな本が平積みされている?
食べ物屋は何を一番、名物にしている?

そんなことを楽しみながら
いろんな街を歩いてみる。
なんてことないことだけど、
それだけで楽しめる。

いろんなことを見て
いろんなことを聞いて
いろんなものを触って
いろんなところに行ってみる。

まだコロナとは
まだ共存しあうような日々ですが、
こんなことをまた経験して、
また楽しんでいけるように
生活も少しづつ元に戻っていくことを
期待しています。

旅行にも気軽にまた行けるような
毎日に早く戻りますように・・・。

人生の成功者

前回、記事にした「無条件肯定」の
お話の続きみたいな内容です。

「人生の成功者ってどんな人なんだろう?」

何をもって人生の成功者というかは
人それぞれではありますが、
一般的には、お金持ちが人生の成功者と
思われてる人が多いように感じています。

人と話してても、ネット見ても
FBでもその傾向が強いですよね?

もちろん、お金は人生において大事。

忌野清志郎が歌ってるように
悲しいかな人生とは
「金が欲しくて働いて、眠るだけ」と
思うときも多々ありますが(苦笑)、
人を騙したり、傷つけたりしないでなら
お金儲けに否定も罪悪感もありません。

健全なお金持ちには憧れすらあります。

個人的には、人生の悩みの9割は
お金で解決できるとも思っています。
(でも、その解決できない1割に
多くの人が苦しんでるのも事実ですが。)

なので、お金持ちになられたことは
凄いと思いますし、尊敬もしているのも事実。

でも、お金持ちになったからだけで
「人生の成功者か?」と聞かれたら
「はい。」とも答えきれないです。

「衣食足りて礼節を知る。」
その通りと思います。

とは言え、自分自身も
食べていくのに精一杯ではなく、
年に一度は旅行も行きたいし、
少しは贅沢できるくらいのお金は欲しい。

でも、その域まで来れたら
後は、お金というより
自分のためにと同じくらい
誰かのために何かできる人生が
もしかしたら納得のいくものに
なるのではないか?と思います。

そもそも成功かどうかなんて
他人が決めるものではなく、
自分が決めるものなんで
何を言ってるんだ?と思われる人も
いらっしゃるでしょう。

私もそう思っていましたが、
稲盛和夫さんが
「幸せと成功は違う。
幸せは自分で思うこと、
成功は他者からの評価。
他人から評価されることが成功することなら
成功することは社会に貢献していること。」
といったような話をされているのを聞いて
考え方が変わりました。

お金儲けして、多くの納税をされているなら
それも社会貢献です。
でもそんな人ばかりでもないのなら
一概にお金持ちになったからと言っても
成功者とも言えないですから。

社会貢献といった大きなくくりで
考えるのも素晴らしいですが、
そこまでの器でない一般人は
まずは身近な誰かを幸せにできる人生を
歩もうとすることが大事ではないでしょうか?

最後にある父と息子のお話のyoutubeを
貼り付けておきます。
確かこのお父さんは仕事も辞めて
息子さんとの時間に専念したはずです。

でも、この映像を見たら涙が止まらなくなり、
なんとも考えさせられました。

このお父さんこそ人生の成功者であり、
この息子さんこそ無条件肯定された人生です。

お父さんが誰かのためにというか
自分のことより息子さんにできることをする
最大限の愛情を見て
私自身の幸せと成功も考えさせられました。

こんな凄いお父さんにもなれませんし、
偉そうにいうほど、
誰かのために何かをしてる人生でもないですが、
大切な誰かに何ができるだろうと自問自答して
今日も一生懸命頑張ります!

無条件肯定

まだ梅雨入り前だというのに夏のような暑さ。

外を少し歩くだけで汗ばみ、
なんなら日焼けもしたりします。
もうちょっと過ごしやすい気候が
続いて欲しいと思う今日この頃です。

世界中に定められた
どんな記念日なんかより
あなたが生きている今日は
どんなに素晴らしいだろう
世界中に立てられてる
どんな記念碑なんかより
あなたが生きている今日は
どんなに意味があるだろう
『Train-Train』詞:真島昌利

ブルーハーツを好きになったのが中3の時。
33年経った今でもたまに聴きたくなります。
15歳の時聴いて素敵だと思った曲を
50歳前に聴いてもいい曲だと思えること。
本当に凄いなと感心します。

子どもの頃に良かったものは
大人になったらつまらないものになりがち。
いつの時代に接しても感動できるものを
作れるのは非凡としか言いようがない。
(これは「こち亀」とかに言えるな・・・。)

そんなブルーハーツの代表曲の歌詞の一部。
これって大人になればなるほど
腹に落ちると言うか、沁みてきます。

人間、誰しも否定されるより、
肯定して欲しいと思って生きています。

でも、生きてたら
肯定されるときも
否定されるときも
無条件より条件付でされるほうが
多かったりします。

テストで100点取ったから誉められる。
契約などの結果を残したから認められる。

もちろん、そういった部分も
厳しい話、仕事や責任においては
時にはなければいけないのかもしれません。

でも、存在や人格においては、
無条件で肯定されなければいけないわけで、
そうでないとなかなか
自分でYESって言えませんし、
自分で自分を認められません。

心が病むときは、
自己否定から始まっていることも
多いのではないでしょうか?

いじめや無視が無条件の否定であるのなら
それは、何をしても認められないこと。
イジメられた方は心が折れてしまいます。

仮に、誰にでも無条件の肯定が
できなかったとしても
目の前の大切な人には言葉にして
伝えてあげるべきです。

「産まれてきてくれてありがとう。」
「傍にいてくれてありがとう。」
「毎日、生きてくれてありがとう。」

親が子どもにしてあげることは、
欲しいものを買ってあげることや
綺麗な服を着させてやること、
豪華なご飯を食べさせてやることが
一番なのではありません。

本当に一番大事なことは、
産まれてきてくれたことに
毎日、感謝してあげて
無条件に愛してあげること以外
ないのではないでしょうか?

(この絵本、最高にいい絵本です。
読んだら涙が出ます・・・・。)

仲がいいことと
慣れあうことは違います。
可愛がることと
甘やかすことは違います。

愛することも
条件付きと無条件では全然、意味が違います。

ブルーハーツの曲は
そんな無条件肯定に溢れた曲が多いから
歳を重ねて、おっさんになってから聴いても
まだ汚れなき(笑)青春時代に聴いても
胸に沁みるのでしょうね。

たぶん、文章が岡山弁なんで
ヒロト氏の発言と思いますが(笑)、
高校生のとき読んだ「ドブネズミの詩」の言葉

「幸せを手にいれるんじゃない。
幸せを感じることのできる心を
手に入れるんじゃ。」

これも未だに胸の中にペタッと
貼りついている言葉です。
いい言葉、言うよな・・・。