娘のお父さん

私には2人の娘がいます。
これがまた可愛くて仕方がない(笑)。

最近は次女も今春に中学生になり
すっかり大きくなってきて
嬉しいような寂しいような気持ちで
お父さん業を楽しんでいます。

昔、読んだ本で お父さんとは
一家を食べさせるという役割の
「土の父」といった顔と
人生とはこういうものなんだと教える
「天の父」といった顔がないと
本当のお父さんにはなれないって読み、

娘は生まれてきてからは
働いて、家事や子育ても妻と一緒にして
時として人生論を熱く語るといった
一見、めんどくさい父親ながら
なんとか10年以上経過する中で
お父さんにならせてもらった日々です。

男として、人として生まれ50年、
娘のお父さんになり14年経ちました。

いまだに「女心」とは全くわからない
奥深き謎の禅問答と思っていますが(笑)、

男の社会では「金儲け」や「出世」「学歴」
こんなことが大事でこだわりがちも
女性にとって男の大事なことで これらは
一番ではないようにも思えてきました。

ある方はこれを「知恵」と「勇気」などと
表現されていましたが、

娘にとってお父さんとは
金儲けが上手なことより、
「愛してくれる」「守ってくれる」
「安心させてくれる」ことの方が
全然大事な感じがしています。

負け惜しみと笑う人もいるでしょうが、
娘が良い子に育ってくれていると
親馬鹿全開で喜んでいるので
後10年はいっぱい愛してやりたいですね。

さて、どんなパートナーを選んで
家に連れてきてくれるのかな・・

娘を大事にしてくれることは勿論、
私の一番の条件は結婚後に
私と一緒に立ち飲みへいってくれるかが
パートナーへの個人的希望です(笑)。

楽しみにしてお父さん業、
まだまだ頑張ります!

丁寧に間違える。綺麗に終わる。

昨日は短時間の中でいろんな事を思いました。

ピアノを習い始めて10年の長女。
昨日はピアノのコンクール。
コンクールは動画も写真も撮影禁止なので
目に焼き付けるかの如く観て
聴き洩らすことなく聴いてました(笑)。

中学生にもなると演奏する子は誰しも上手。
素人目には紙一重の差で
先生達も審査されている感じ。
入賞する子と入賞できない子は
何が違うんだろうと思っていて
ふと気づいたことがありました。

どれだけ上手い子達でも
演奏がノーミスというわけでもありません。
みんな、小さなミスは何回もあります。

ただ入賞した子達は
上手く表現できないのですが
間違いも丁寧に感じました。

コンクールは演奏が止まってしまった時、
そのまま弾き続けなければいけません。
弾き直したら採点は大減点になるはず。

なので間違えてもどれだけスムーズに
弾き続けられるか
ミスをミスとも思わずなめらかに
押し切れるのかで差が開くように思いました。

後、演奏の終わり方が
最後の一音がどれだけ綺麗に終われるかも。

でもこれって仕事の面でも同じですよね。

完璧にやりこなせたらいいのですが
そううまくいかないことが多いのが現実。
失敗する度、落ち込んでも仕方ないし
何よりその先がいいものにはなりません。

開き直って誤魔化したりすることでなく
失敗も受け止めた上で
前向きにやり通せる姿勢は大事だと思います。

終わり方が大事なのも一緒。
仕事でなら断られる時も
綺麗に断られて終わることは
とても大事なことですから・・・
これは気づいている人が少ないですけど。

ピアノを通して娘は良い体験しているなと
しみじみ思った父ちゃんなのでした。

母の日にふと母を想う・・・

今日は母の日。
私も来年50歳になるいい歳ですが、
いくつになっても母親には
頭があがらないものだったりします(笑)。

母の日なので、母との話を書いてみます。

自分を振り返っても
母に限らず、まだ子供だった頃に
親が言った言葉って
いつまでも胸に貼りついてて
何年経っても影響を受けてるものです。
(なので親になった今、娘たちに
言う言葉や感情は気をつけています。)

田中角栄さんのお母さんの有名な言葉

「人間には休養が必要である。
休んでから働くか、働いてから休むか。
そのときには働いてから休みなさい。
それから悪いことをしなければ
住めないようになったら、
家に帰ってきなさい。
また金を貸した人の名を忘れても、
借りた人の名は絶対に忘れてはなりません。」

15~16歳の頃に母に言われた角栄さんは
この言葉が生涯、胸に貼りついていました。

私自身、そんな偉人でもなければ
母も一般人のごく普通の母ですが、
そんな私でも貼りついてる言葉あります。

それは私が高校生だった頃の言葉。

我が家は母以外は全員、男といった家族。
ガサツで騒がしい家だったでしょうし、
勿論、女性の気持ちなど気にしたどころか
考えたことすらなくスクスク育ちました(笑)。

そんな息子なので母は心配したのでしょう。
こんな言葉を言いました。

「高校生になったら女の子と二人で
遊びに行くこともあるやろう。
その時はどこに言っても意図的に
こまめにトイレに行きなさい。」
と言われました。

「なんで?」って聞いたら
続いて母はこんな風に話しました。

「年頃の女の子は誰しも自分の気持ちを
ストレートに話せるわけじゃない。
その子は恥ずかしくてトイレに行きたいって
気軽に言えない女の子かもしれない。
アンタにはわからへんやろうけど
女の子には月に1回、生理があって
体調がいつも万全じゃない。
何よりこまめにトイレに行けないと困るもの。
遊びに行く先にはトイレがあるか?
アンタが何回もトイレに行くのなら
ついでに恥ずかしがってる女の子でも
気軽に行きやすいやろ?
そういうことを黙って配慮してあげれる
そんな男になりなさい。」

10代の私はそう聞いて
なんと女性とは面倒くさいんだと思いつつも
了承しました。
そしてその言葉は胸に貼りつきました。

なので今でも、女心とやらは皆目わからない
難問のままではありますが、
若かりし頃の私は見た目によらず
紳士的に振る舞ってたように思います。

言われるがまま女性に気遣い、
こまめにトイレに行きたいと言う
そんな男になっていったわけですが、

何処に行ってもすぐトイレに行こうというので
そんなことを気遣っていることなど
相手に真意は伝わらぬまま
単なる「トイレが近い男」として
空回りの青春時代を送ったことは
令和になった今でも内緒話です(笑)。

でも、いまでも胸に貼りついてる
親の言葉は今でもいくつかあります。

親になった今、今度は逆の立場で
娘たちが素敵な女性になれるような
父親としての素敵なアドバイスを
してあげれるように
いまだに日々、修行中の我が身です・・・。

よき人間関係はプロレスである。

今年も後5日で終わりです。
1年過ぎるのは本当に早いですね。
今年を振り返り、新しい抱負を胸にして
来年、新しいスタートを切れるように
1年のまとめをしています。

昨日はクリスマスでした。
今年は24日のイブではなく
25日に家族でパーティーをしたのですが
子どもは学校、奥さんは仕事だったので
晩御飯は私が一人で作りました。
一人でキッチンに立ち、楽しい時間でした♪


(昨晩のご飯です。いい感じでしょ?)

皆さんのお子さんはいつまでサンタさんを
信じていましたか?
我が家の2人の娘は、小6と小4なので
さすがにサンタさんは誰なのか
もう知ってはいるのでしょうが
まだお互い、トボけたままの状態です(笑)。

なので24日の夜、クリスマスツリーの下に
未だにプレゼントを置いています。

私が幼かった頃は枕元におもちゃを
置いてもらってましたが、
小3の秋頃に不意に父に
「サンタの正体って知ってるん?」と聞かれ
「うん、父さんやろ?」と答えた瞬間から
サンタさんが来なくなりました(笑)。

12月にプレゼントの希望を言ったのですが、
「サンタさんがいないこと知ってるんやから
もう今年から来ないやろ?」と
父に拒否されたあの日から
自分が親になったら我が子にもしてやろうと
企んでいるイジワルを察知しているのか
娘たちはいまだに面と向かってサンタの正体を
言ってこなかったりします(笑)。

でも、お互い知らないフリして
いい意味でとぼけてやり取りする
プロレス的な関係ができていることを
実はこっそり親として喜んでいます。

何故なら円滑で楽しい人間関係は
プロレスができないとうまくやれないので
それを幼いうちから教えられているからです。

(ちなみに私はプロレス大好きな側から
発言していますので、揶揄ではなく
愛を持ってプロレスに例えています♪)

真実だからと言って
ズケズケ言っていいわけではありません。
自分が正しいからと言って相手を責めて
やっつけていいわけではありません。

そんな感じでお互いの意見を尊重し、
受け合いながら関わっていくことが
できるように育てているつもりなので
それが実感できる機会なのです。

父ちゃんのことを傷つけないように
気を遣っているだけかもしれませんが(笑)。

例えば、同じ友人達と呑んでたら
同じ昔話を繰り返すときも多々あります。
それを鬼の首を獲ったかのように
「前にその話は聞いた。」と
話の腰を折ってくる人ほど
会話がつまらなかったりしますし(笑)、
一緒にいるのがしんどくなったりします。

それを笑って聞いて話しさえすれば
楽しい時間が過ごせるわけで
同じ話でもそれを受けて膨らませれる方が
人生100倍楽しいのになと思うわけです。

正しいか正しくないかといった基準だけで
判断する「正論バカ」にはならないように、
相手を立てていい意味でやり過ごせるように
時にはサンタの存在をとぼけながら
やりとりできるような術を身につけれるように
もうしばらくの間は娘達ともトボけて
クリスマスを過ごしてみようと思っています。

とは言え長女は来年、中学生。
もう今年で終わりなのかもしれません(笑)。

年内のブログ更新はおそらく今回が最後かな?
今年一年ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
皆様にとってご多幸ある1年でありますよう
心から祈念申し上げます。

結婚記念日

最近は本当、
穏やかな天気が続きますね。

昨日5月10日は、
我が家の12回目の結婚記念日でした。

ちなみに、
今日5月11日は奥さんの誕生日です。

毎年、GW明けに
母の日と
結婚記念日と
奥さんの誕生日が
確実に重なるか連続するので
私もうっかり忘れることがありません(笑)。

そんな行事が続くこともあり、
昨晩は何かご馳走でもしようと言いましたが、
奥さんのリクエストは娘2人に
料理を作ってほしいとのこと。

結果、娘2人がカレーを作ることになり、
私は娘2人の料理指導と、
せめてカツカレーにしようということになり、
トンカツを揚げる指示を承りました(笑)。

包丁を使う姿を見てたら
特に次女が危なっかしいこと・・・。

「左手はネコの手にする!
ネコ!ネコ!ネコの手!」と
鬼軍曹父ちゃんの声が響く中、
不揃いながらも野菜を切りました。

途中、父ちゃんの協力が
かなりありましたが(笑)、
カレーができあがりました。

とても美味しかった。
キッチンが無茶苦茶になりながら
娘たちとカレーを作るのも面白かったです。

片づけは2人がほとんど頑張りました。
「偉い!」と親馬鹿炸裂したのは
親の義務ということで・・・・。

食後には娘たち2人から
結婚記念日のお祝いに
ミッキーとミニーのシャーペンを
プレゼントしてもらいました。

コロナで外出なんかしてないのに
いつ買ったの?って聞いたら
買えなくなりそうだからと
3月の初旬には買ってくれてたようです。
ちょっと感心しました。

ただ、渡す直前になって
どこに隠したかわからなくて
部屋中をひっくりかえし
探していたことは見ないふりした
半笑いの夫婦・・・・(笑)。
でも、嬉しかったです。

結婚して12年。
そう大きなケンカもなく
家族4人健康で仲良く暮らしています。

毎年恒例行事の5月に家族で写真撮影も
昨日、行ってきました。

長女、小6。次女、小4。
もうちょっとしたら反抗期が来るのかな?
穏やかで家族一緒に過ごせる今を
もうちょっとの間、堪能したいと思います。

もう5年もしたら、
女3人VS男1人といった図式で
肩身が狭くなるでしょうから(笑)。
ハハハハハ。

雨傘と長靴

「暑い!」
口にすればするほど暑いですけど
ついつい言葉にしてしまいます。
本当に暑い日が続きますね。
皆様、熱中症や日射病に気を付けてください。

6年前に自分が書いたブログ記事を
読む機会があったのですが、
今、読んでも改めて胸に沁みた言葉が
あったので紹介します。

シンガーソングライター
ヴィヴィアン・グリーンさんの言葉。

「人生とは嵐が去るのを待つ場所ではなく、
雨の中でもダンスをして楽しむことを
学ぶ場所である。」

確かに、人生って
そんな楽しいことばっかりじゃないし、
しんどい時や苦しい時でも
それを楽しんでやり過ごすくらいじゃないと
人生を楽しむ達人にはなれないなって
今更ながら強く思ったりします。

自分の人生を振り返ったら
若い頃は毎日が土砂降り続きで(笑)、
とてもダンスを楽しむゆとりなんて
なかったように思いますが、
あの頃にこの言葉を知っていたら
もうちょっといろんなことに気づけたり
感謝できたかもしれませんね。

今月47歳になりますが、
大雨の日にでも少しはダンスを
楽しめるようになったのは、
偶然出逢った大きめの雨傘と長靴のおかげ。

ちなみにその大きめの雨傘は奥さんで、
長靴は二人の娘達。

その雨傘と長靴は、
時に意味なく晩飯をせびってきて
焼肉か焼き鳥、回転寿司を奢らされ
時には高くつきますが、

私の人生の雨の日にダンスの踊り方を
手取り足取り 教えてくれるので、
安いものだと強引に自分に
言い聞かせています(笑)。

人生、山あり谷あり。

しんどいときこそ人生を楽しめるように
今日のような晴天の日には、
庭に雨傘と長靴を干して、
手入れを怠らないように気をつけます♪

「見捨てない」ということ

今日は5月10日。
我が夫婦の結婚記念日です。
11年経ちました。
あっという間の11年でした。

この1年も奥さんの尻に敷かれて
日々平和に過ごしていきたいと思います。

さて、そんなおめでたい今日ですが
朝から我が家は騒がしかったです。

というのも、最近、小5の長女が
悪知恵が働くようになったのか
要領よく手を抜く術を覚えたのか
やらないといけないことをやらずに
ごまかしていることが目につき始めました。

これはこれで成長していることなので
まぁいいかと思う気持ちもありますが、
だからいって親としてそれを
見過ごすわけにもいかないわけで
なんだかんだ叱っちゃいます。

第一子にありがちな
真面目でいい子ちゃんと思ってましたが、
要は普通の子でした(笑)。

でも、実際いい子すぎるのも困りもの。
いい子すぎる子は成長していく中で
時として困ったちゃんになることが多いので
逆に安心したのも親の本音です。

あんまり叱りたくもないのですが、
ここ数日同じことが続いているので
叱らざるをえない状態。

私は外面がいいのか(笑)、
前職時代のお客様の奥さんが私に言ったり、
また、子どもの友達のお母さんたちが
うちの奥さんに私のことを
「いつもニコニコしてて、ご主人は
お子さんを怒ったりするんですか?」と
言われるようですが、
ご期待に沿えず申し訳ありませんが
すみません、しっかり叱ります。

しかも、怖いくらいに(笑)。
(娘達は父ちゃんは
世界で一番優しいけど、
世界で一番怖いとも思っているようです。)

でも、自分の自己満足、やつあたりに
ならないように怒らずに
子どもの成長を願って
しっかり叱るようには気をつけてます。

叱るときは感情的にならず
冷静に諭すようにつめていくので
娘達もイヤでしょうが(笑)、
同じことを毎日叱り続けないといけないのも
こっちもあんまり
気分がいいものではありません。

でも、これって
子どものことを思えばの行動であり、
我が子のことを思えば
面倒くさくても言い続けれるわけです。

もうこんな奴いいやと見限っていいのなら
楽チンなわけです。

子育てや家事って大変って言いますが、
それは早起きしてご飯を作ることとか
毎日洗濯をするといった行動が
大変と思いがちですが、
じつはそうではなく、
相手を見捨てないと言うことが大変なんだなと
最近、改めて思うのです。

学校の先生も
部活のコーチも
会社の上司もみんな一緒ですよね。

もうこの子の成長は諦めよう。
面倒くさいからと辞めていいものなら
実はたいして大変でもなかったりします。

それがどんな相手でも
いくら言うことを聞かない相手でも
言い訳ばっかりしてている相手でも
見捨てずに相手をし続けないと
いけないから大変なわけです。

そう思ったら見捨てるこということは
本当の指導ではないわけで、
相手のわがままを安請け合いして
見過ごしていくことも
指導者としていかがなものか?と
思わざるを得ないわけです。

大人の世界では
度を過ぎればその相手を見限ることも
周りの人への影響を含めても
仕方がないことですが、

未熟な相手、
それが子どもや新人相手なら大人は
見捨てることは決してしてはいけない、
安易に相手を未熟さを受けてはいけない、
勇気をもって怒らず叱っていく。

真剣に相手に言い続けられないのなら
やっぱりこっちも上から目線で
偉そうには言ってはいけないわけです。

ちなみに娘達は小学生ですが、
まだ子どもだからと言って
簡単にスルーはしないのが我が家の方針です。

場の空気を読めずに騒がしくしていても
それが子どもだから仕方ないと
許したことはありません。
そもそも騒いだこともなかったですが・・・。

子どもだからといって仕方がないよと
したり顔で甘やかし、許してしまったから
騒いでも子どもは許されるんだと学習して
言うことを聞かなくなったわけです。

そして、そんな子どもが大人になったときも
そのことがいけないことでも
叱られたこともなけりゃ
怒られたこともないから
20歳を越えてもルールが守れないコトナ
<大人の見た目で中身が子どものこと。
by前田日明(笑)>になってると思います。

そして、それを本人も悪いと思ってないから
タチが悪いわけです。

これに似た話が以前、
ダウンタウン松本氏が言われてた
「新幹線で子供がうるさい。
子供に罪は無し。
親のおろおろ感なしに罪あり。」
ってコメントですね。

もし、我が子が
後輩が、教え子が、部下が
いくら言ってもできなくても
よっぽど致命的なモンスターでなければ
その相手を見捨ててしまっては、
自身の値打ちも下がってしまいます。

だから教育、指導、育てることって
本当に大変なわけで、
責任を持って言い続けること、
見捨てないことが
親、先生、上司の大事な業務なわけです。

ちなみに私は娘を叱るときはもちろん、
いつも言ってる台詞があります。

「父ちゃんのことをうるさいなと
嫌うならどうぞ嫌ってください。
こんな奴、嫌いと思ったのなら
どうぞいつでも嫌ってください。

父ちゃんは嫌われても全然OK!

父ちゃんの願いは、智美と志保に
自立した素敵な女性になってほしいこと。

そんな女性になってくれたら
父ちゃんは本望です。
だから、大人になるまではいつまでも
あなた達に悪いことは悪いと
言い続けます。
でも、いいことしたときは全力で
いいことしたねと誉めます。

あれ?いいことしたのに
父ちゃん、全然誉めてくれないなと思ったら
いつでも言ってきてください。」

こっちも真剣だから娘も真剣に聞いてます。

二人が素敵な女性になってくれて
大人になったとき、
一緒にお酒が呑みにいけたらなというのが
私の父親としての最大の願い!

そのためにもいつまでも見捨てない
真剣の父親であり続けたいと思っています。

「人の値打ちと 煙草の味は 煙になって わかるもの」

3月になり少しずつ暖かくなってきました。
季節の変わり目か蕁麻疹がでて
皮膚科に通う森下です。

今月の7日で会社を設立して
なんとか1年経ちました。
なにかと気遣い、心配りを頂き
ありがとうございます。
また、この1年頑張っていきます。

今日、3月9日は思い入れのある日です。
9年前の今日が我が家の上棟予定日でした。

しかし、その2日前に
可愛がってくれていた母方の祖母が
96歳で亡くなり、
告別式が9日になりました。

母はおばあちゃんに気を遣うことなく
上棟を優先したらいいと言いましたが、
私自身がおばあちゃんと
きちんとお別れしたい気持ちが強く、
また3月なのにこの日は
雪が降ったこともあり上棟を1日延期。
おばあちゃんの告別式に
行ったのでありました。

(翌10日に実施した上棟。
夕方、餅まきもしました。)

最後の10年間ほどは痴呆になり
ほとんど会話もできませんでしたが、
とても可愛がってもらいました。

私だけでなく、たぶんみんな
可愛がってもらったのでしょうね。
告別式には娘である母や
叔父さんたちはもちろんのこと
ほとんどの孫たちが帰ってきて
おばあちゃんを見送ったのでありました。

近隣はもちろん、
遠方の方や懐かしい方も
たくさんの方が参列してくださりました。

そして子、孫はみんな大泣きでした。

普通のおばあちゃんだったのに
こんなに多くの人から愛されて
見送られているのを見て
孫としてなんだか胸が熱くなりました。
そして嬉しく思いました。

私が都都逸(どどいつ)で好きな言葉に
「人の値打ちと煙草の味は
 煙になってわかるもの。」
というのがあります。

死んでから値打ちがついても仕方ないと
言う人もいるでしょうが、
その人の値打ちはその人のためでなく
残された家族や関係者のための
ものなんじゃないかな?と思います。

それが子や孫なら
「あの人から産まれてきた、
あの人に育ててもらった。」
そのことを誇りに思わせることが
残された人にできる
最期の贈り物のような気がします。

(昔、これまた可愛がってくれた
近所のおじさんの告別式に参列したとき
娘さん3人が
「お父さん、ありがとう。ありがとう。」
って言いながら
棺に花をいれてるのを見たとき
「おっちゃん、よかったな。
ねえちゃん、よかったな。」って
心から思いました。
私が死んだときも娘達がそうしてくれたら
私自身も娘達も本当にいいなと思ってます。

そのためには日々の積み重ねですね。)

予定ではまだまだ先の話ですが(笑)、
先で自分が煙になったときに
「オマエらの父ちゃん、アホやったわ。」と
周りの人から娘達が言われぬように
「オマエらの父ちゃん、アホやったけど
ええ男やったぞ。」と言われるように・・・
(どの道、アホなのは変わらないんやな・・・。)

慢心することなく
勘違いすることなく
地に足をつけて生きたいと思います。

都都逸も過去、
一度しか聴いたことがありませんが
機会があったら聴いてみたいですね。

おそらく一番有名な都都逸は
学生時代、社会で習った
「散切り頭を叩いてみれば
 文明開化の音がする。」ですね。

「恋に焦がれて鳴く蝉よりも
 鳴かぬ蛍が身を焦がす。」とか
「立てば芍薬 座れば牡丹
 歩く姿は百合の花」も有名ですが

有名でなおかつ一番耳にしたことある
都都逸はこの方のこれかもしれませんね。

「一度でいいから見てみたい
女房がへそくり 隠すとこ。

桂歌丸です・・・・・・。」

お後がよろしいようで。

新 聞

今日はひな祭りです。
娘2人の我が家は雛人形の前で
毎年、ちらし寿司を食べて祝います。
娘の健やかな成長を日々祈る父ちゃんです。


(当然、我が家の
雛人形ではありません(笑)。)

先日、ポストを見たら
新聞の契約更新申込書が入っていました。
一人暮らしの時期、
取っていない時期もありましたが
結婚してからは奥さんの要望もあり
新聞は継続的にずっと取っています。

最近、本当に新聞を取っている家庭が
少なくなりましたね。
20~30代の人と話していても
新聞を取っている人自体、
見つけることが困難なくらいです。

以前の仕事では折込チラシで
集客、宣伝広告をしていたこともあり
10数年間、折込部数の経緯は
見てきましたが、
全体部数の減少よりも反響数の減少に
そもそも新聞をとらなくなってきたことを
ずっと感じていました。
(反響数に関してはネットの普及や
生活形態、価値感の変化、
宣伝広告の変化なども大きいでしょうが、
そもそも新聞を取っていないから
折込チラシが目に届いていないことも
大きいことは違いないとは思います。)

新聞を取らない人に聞くと
知りたい情報はスマホやPCで簡単に知れるし、
ゴミになるだけで存在に意味がない。
もう新聞の役割は終わったのでは?
といったニュアンスの話を言われます。

私もここまでは思いませんが
確かに情報収集は
もう新聞でなくてもいいんじゃない?
そんな風に思っていたので
以前、奥さんに新聞を辞めようか
言ったことがあります。

そのとき奥さんがこんなことを言いました。

「確かに知りたい情報は
新聞じゃなくても何でも手に入るよ。

でも、今まで興味がなかった情報や
知らなかった情報は
新聞で教えてもらうことが多い。

知りたい情報だけ知れたらいいと
思う人もいるやろうけど
私は知らなかったことを教えてくれる機会は
大切にしたいし、そっちのほうが人生楽しい。
それを教えてくれるから新聞はとり続けたい。」

「・・・・・・・・・。」

もう聞いたとき衝撃。
何も言えずに「・・・はい。」って
言ったことを思い出しました(笑)。

そうなんですよね。
私は今までも自分は
知らないことを知ったときとか
何かに気づけたときに
メッチャ面白さを感じることができると
思って生きてきたのに
そんなこと新聞の存在に
全然思ったことがなかったです。

・・・・反省しました。

会話が面白い人、一緒にいて楽しい人は
「言い回しがうまい」とか
「頭の回転が早い」とか言われますけど
一番は「知識の引き出しが多い人」だと
思っています。

例えば、仕事なら
「経験が多い人、実践を多くしてきた人」
といえるかも知れません。

公式を教科書でいっぱい勉強してきた
学校の先生やコンサルタントのお話は
3回ほど聴いたらもうお腹いっぱいですけど、
実践してきた人のお話って
何回聴いても為になって面白くないですか?

言い回しや比喩表現が巧みで
わかりやすいから話が面白い人もいますけど
そんな人もまずは「豊富な知識と経験」が
あってこそなわけです。


(好き嫌いはさておき
技術は一番だったと思います。)

それは「やりたいこと」や
「知りたいこと」だけをやってきて
身につくものでもありません。

興味があることを「白」
興味がないことを「黒」としたら
白はもちろんとしても
どれだけ白の周りの「グレーゾーン」を
広げるかが勉強だと思っています。

それを身近で簡単に知れる機会として
新聞を有効に使えたらいいなと
思いました。
しかも毎月4000円ほどなら
決して高くはないし・・・(笑)。

取る新聞も全国誌や日経新聞でなく
地方紙に奥さんがこだわるのも
そう思ったら妙に納得できました。

奥さん、お母さんの役割を担う女性は
「地域でのお得情報」や
「子育て話題」や「子どものイベント情報」
今は必要性がなくても
なんとなく知っておいたらいいことを
なんとなく知れる機会は貴重だと思います。

そう思ったら「新聞」って
何かのきっかけをくれるものでもあるので
重宝してみるのも考え方ですね。

なので、2年間継続となりました♪

なのでどこ行く予定もない休日、
我が家のリビングは
父ちゃんと2人の娘は本を読んでて
母ちゃんは新聞を読んでます。

みんな好きなものを飲みながら・・・。
平和な時間ですね。

追伸

欲しいものが翌日、
しかも店頭より安く手に届けてくれる
amazonnなどが普及した結果、
特に姫路という街では
本屋さんやCDショップが激減しました。

最近、本屋さんは復活してマシですが、
大型店舗もタワレコもHMVもなくなった今、
CDやDVDを店頭で買えなくなりました。

昔はお店を1~2時間ウロウロ。
立ち見や視聴して目的外の
新しい何かを発見する楽しさがありました。

そんな時間が無駄という
効率主義の方も多いでしょうが、
そんなグレーゾーンな時間にこそ
発見や成長、気づきがたくさんあるわけで

便利さが時間を短縮したけど
そういった機会も損失していることって
もったいないとも思うのです。

ちなみに音楽好きの私は
昔はたくさんCDを買っていました。
最近は大阪とか東京に行ったら
姫路では売っていないので
CDショップを探して買っています。

ダウンロードしたらいいと言われますが、
ジャケットを眺めたり
歌詞カードを読みながら聞いたり
ライナーを読んだりして
楽しむのも音楽なわけで、
そんな部分も一緒に楽しむのもいいですよ。
音楽好きの独り言でした。


(我が家の玄関です)

産まれてきてくれてありがとう!

今日、関東は積雪らしいですね。
交通渋滞など起こりそうです。
みなさん気をつけてくださいね。

最近、報道されている小4児童虐待の事件。
お父さんの異常さ。
お母さんの無関心さ。
児童相談所のマズイ対応など
事実がわかればわかるほど
亡くなった児童がかわいそうで堪りません。

(こういったケースに限りませんが、
大変な事件に巻き込まれそうになったとき
どうも事を大きくせずに解決しようと
する人が多いですが、
その考えが困難を産むと思っています。
私は警察に介入してもらうなり、
周りの人に助けを求めて、事を大げさにして
鎮火するほうを選ぶスタンスです。)

私も2人の娘がいます。
そりゃ、言うこと聞かなくて
怒ることも多々ありますが、
基本は可愛くて仕方ないわけで、
虐待することが本当理解できません。

一説には親に虐待された人が
大人になった時に
我が子に虐待してしまうことが
多いとも聞きます。

自分が我が子を愛せるのも
自分が子どもの頃に愛されたからなら
私も両親に感謝しないといけないですね。

そんなニュースを毎日見て
いろんなことを思う日々の中、
次女の志保(小2)が学校の宿題で
自分が産まれたときのことなどを
親に取材してまとめるために
私と奥さんに話が聞きたいと言ってきました。

コーヒーやお茶を入れて
食卓に私達夫婦が並びで座り、向かいに次女。
それを横で眺めるオブザーバー(笑)のように
小4の長女 智美が座り、取材が始まりました。

最初の質問が
「母ちゃんのお腹の中にいるときは
どんなことを思ってましたか?」でした。

楽しげな顔で質問してくる次女。
それを興味津々で聞いている長女。
打って変わって真顔の父ちゃんと母ちゃん。

少し間を空けて私はこんな話をしました。

「志保が母ちゃんのお腹に来てくれたとき、
母ちゃんは盲腸になったんや。

そのとき、母ちゃんは
志保がお腹にいるって知らなかったから
レントゲン受けて手術をした。
それは12月の慌しい年末の時期やった。
それから退院してから志保が母ちゃんの
お腹にいることがわかったんや。

実はお腹の中に赤ちゃんがいるときに
レントゲン取ったら悪影響があるから
取ってはいけなかった。
しかも調べたらレントゲンを取ったら
一番ダメな時期にしてしまってたんや。

レントゲンの影響で
志保が健康で産まれてこれるかわからない。
もしかしたら障害があるかもしれない、
もしかしたら流産するかもしれない。
そんなことがわかって、
父ちゃんと母ちゃんはこのまま産んでいいのか
ものすごく悩んだんや。
智美も産まれて初めてのお正月休みやったけど
どこにもいかず、どうしようかって
ずっと父ちゃんと母ちゃん相談してた。

志保、産まれてきてくれることを
悩んだりして、ごめんな。
情けないけどそれくらい
父ちゃんと母ちゃんは悩んだんや。

で、お正月休み明けに病院に検診にいった。
先生に父ちゃん、聞いたんや。
『先生、このまま産んでも大丈夫なんですか?
正直なアドバイスをしてください。』って。

そのとき先生がこんなこと言ってくれた。
『確かにこういったケースでは、
産まないという選択をされる方もいます。
また、流産されるケースも多くあるんです。
でも、この子は元気にお腹の中で育って
産まれてこようとしています。
お父さん、お母さん
産まれてこようとしているこの子のことを
信じてやってもらえませんか?』って。

父ちゃん、ハンマーで頭殴られたくらいの
衝撃があったんや。

ほんまやな、
産まれてこようとしている志保のことを
父ちゃんと母ちゃんが信じてやらなかったから
誰が信じてやるんやろ?って。

その瞬間に父ちゃんと母ちゃんは
志保を産むって決めたんや。
病院の駐車場からじいちゃんやばあちゃんに
電話したことも覚えてる。

それから7ヶ月経った夏の暑い日に
志保は元気に産まれてきてくれたんや。

出産に立ち会って志保が産まれてきたとき
父ちゃんは志保が泣くより先に泣いたで。
まぁ、智美が産まれたときも
父ちゃん、智美より
先に泣いたけどな(苦笑)。」

そんな話をしました。
話してたらそのときのこと思いだして
夫婦でホロッって涙してたら、
話を聞いてた志保が大粒の涙をこぼして
泣くのをこらえて聞いてました。

その隣で智美がこらえきれず、
大声で泣いてました。

で、4人でひとしきり泣いて、
智美、志保に
産まれてきてくれてありがとうなって
御礼を言ってからも取材は続行!

そこからはあーでもない、
こーでもないといった楽しい思い出話をして
大笑いしたのでありました。


(随分、昔の写真になりましたが
志保らしい写真です(笑)♪)

この話はもう少し大きくなってから
してあげようと思っていましたが、
これもお話しするいい機会だったと思い、
今回、話をしました。

よく奥さんと話すのですが、
娘達が産まれたから
我々は親になれたんじゃなくて、
娘達が産まれてきてくれたから
我々は親にならせてもらったと思っています。

大変なこともいっぱいありますが、
楽しいことも幸せもいっぱい与えてくれます。
ならせてもらえた親という役割を
存分に味わせてくれることに感謝します。

Thank you for coming into our live.
私達の人生に来てくれてありがとう!

そんなことを改めて思わせてくれた
そんなお話でした。

追伸

今日、2月9日は個人的に節目の日です。
14年前の今日、仕事中に体調を崩し
しばらく動けなくなりました。
2ケ月間の療養を経て、
完全復帰まで1年以上かかりました。

あのときはいろんなことを思いましたが、
今となってはよかったと思えます。

あのときがあったからこそ
出逢えた縁もありますし、
気づけたこともあります。

なによりこのときを機に禁煙しました。
1日2箱~3箱のヘビースモーカーでしたが、
きっぱり止めれました。

いいことと悪いことは表裏一体です。
過ぎた後、どんなことでも
それがいい機会であったと思えるような
人生を過ごしていきたいと思っています。