「数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う」

数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う。

政治アナリスト伊藤惇夫さんの言葉。
数年前に偶然、ネットで見かけたときに
昔から胸でモヤモヤしていたことが
スッキリしたことを覚えています。

事実である以上、統計値は信用しています。

でも、数字の話を聞くときに
たまに感じていたあの違和感は、
統計値を都合よく利用している人や
それでお金儲けしている人の
話だったんだなと腑に落ちた時が、
私なりの気づきの時でした。

例えば、平均と言った言葉も
言う側と聞く側の定義がよくズレています。

聞く側は平均と聞いたらちょうど真ん中とか
一番多い層であると思いがちです。

でも、それは言う側のデータが
算術平均(合計数字の平均)なのか
中央値(人数のちょうど真ん中)なのか
最頻値(一番人数の多い層)なのかによって
感じ方は大きく変わりますよね?

平均年収とか平均貯蓄額の話の時に
よく定義がズレてて、言う側と聞く側の
感じ方が違うことが多かったりします。

これは平均と言う言葉の意味が
とても曖昧なことを利用して
種類の異なった平均を使い分けています。

私なりに定義が違うことで、
捉え方が大きく変わる話があります。
それは、離婚率の話。

これもどの意見が正しいかの議論でなく
言う側と聞く側の定義のズレが大きい。
(ちなみに私なりの解釈なのでご了承あれ。)

「夫婦の3組に1組が離婚している。」

そんな話を最近よく耳にしませんか?
確かに離婚される方は身近にもいますが
そんなにも今は多いのか?と思います。

これを平成28年のデータで解説しますね。

平成28年の1年間で熊本県を除く
46都道府県では、
婚姻届は62万531件提出されたそうです。
ちなみに離婚届は21万6531件提出されました。

1年間で出された届を元に計算すると
62万531件÷21万6531件=2.865…
よって、2.86組結婚して1組離婚する。
これが世間でよく言われる3組に1組が
離婚する話の根拠だったりするそうです。

「・・・あれ?」
聞く側の我々はそんな1年のみの数字で
判断するのではなく、
もっと大きな分母で理解してないですか?

ちなみに平成28年時点での
熊本を除く日本総世帯数は4994.5万世帯。
この時点で累計で考えたら
これだけの家庭の数があるわけです。

内訳
①夫婦のみの世帯    1185万   世帯
②夫婦と未婚子の世帯  1474.4万世帯
③単世帯        1343.4万世帯
④一人親と未婚子の世帯     364万   世帯
⑤3世帯          294.7万世帯
⑥その他          333万   世帯

③単世帯と④一人親と未婚子の世帯は
離婚がないので省きます。
すると離婚する可能性がある世帯合計数は
離婚数を分子と考えたら分母は3287.1万世帯。

ざっくり計算としても
21.6万÷3287.1万=約0.66%
⑥のその他の方を省いて計算しても約0.73%
初婚や再婚といったことや
何らか他の原因を含めたとしても
変わったとしても最大1%ほどでしょう。

と言うことは自分の周りで婚姻している世帯を
分母としたら1年間で離婚されるのは
100組に1組と言うのが事実。

過去の離婚した話も含めたら
体感する数字はもう少し高いでしょうが、
とは言っても3組に1組が離婚するというのは
かなり大げさなことが分かります。

全体的に把握すれば1%にすぎないことも
これで何らかのビジネスをしようとする人や
このデータを利用して何かを企む人は
3組に1組の夫婦が離婚しているだの
離婚率が33%といった表現になるわけです。

でも、この話って
数字の嘘は言ってないんですよね(笑)。

集めたデータを捏造するのではなく、
元々からこっちの意のままの集計になるように
意図して集計する相手を選び、
意図して集計する内容にしているわけなんです。

そう思うと、数字の話はなおさらですが
お互いがどういう条件で、
お互いがどういう定義で、
そのことを対話しているのかを
よく理解していないと
本来、自分が思っている理解とは程遠い答に
たどり着いてしまうことがあるわけです。

数字は嘘をつかないが嘘つきは数字を使う。
事実を間違って理解しないためにも
気をつけていきたいですね。

追伸

最後に、こういった数字、データを
正しく理解するためにオススメの本をご紹介。

1冊は約50年前に書かれた本
「統計でウソをつく法」
もう1冊は2年前に出版されたベストセラー
「ファクトフルネス」
この2冊は面白すぎて、
しかもとっても為になる本なので
お時間ある方は是非読んでみてください。

自分が頭のキレた人になったかのように
錯覚できて、気分がよくなります(笑)。

「人を残すは一流」

昨年の2月11日に野村克也監督が
亡くなられて1年経ちました。
多くの実績を残された方でしたが、
多くの言葉も残された方でした。

その中で有名なものに
「金を残すは三流、名を残すは二流、
人を残すは一流」というものがあります。

この言葉も見る角度によっては
いろいろな解釈が生まれる言葉。
(ちなみにこの言葉は類似語も多く
二流の「名」は「事業」や「仕事」に置き換えて
言われている人も多いみたいですね。)

当たり前ですが、
人はまず「金」を稼ぐことを目標にします。

お金が稼げるようになったら次は
「名」を残すことを目標にします。

そして、その2つを達成できたときに
それ以上に「人」を育てることこそが
生きてきた証として、
最後の目標にするのかなと感じています。

年齢を重ね、経験を積んでいく上では
考え方も捉え方も変わって当然ですし。

その上でこの言葉を
私なりに解釈している見方があります。

この3つ全てを残したような
ごくわずかの例外な偉人もいるでしょうが、
どの道、この1つでも手にした人は
人生において成功者と言われています。

仮に、二流と表現されている
「名」「事業」「仕事」を残した人を
この3段階の基準としたときに、
自分さえよかったらいいと思った人が
「お金」だけを残したように見られ、
周りの人をみんなよくしようと思えた人が
「人」を育てられたと思われると
私になりに解釈しています。

「下が上を養うもの」と考えて
子分から尽くすことを要求する親分を
子分は世話になってても慕わないでしょうが、
「上が下を守るもの」と考えて
子に愛情を注ぐ親のことは
子は死んでも慕うことに似ていますよね。

以前にも書きましたが、
海賊の世界ですら成果をほぼ山分けにするから
子分は親分を裏切らなかった話も
こういった話の裏付けになるような気もします。

リーダーになり金も名声も得ると
傲慢になり欲深くなるのでしょうが、
値打ちや評価は他人がするもの。
自己顕示欲、承認欲求が強い欲深い人ほど
本当は歯を食いしばって、
人を育てたほうが満たされるのかもしれません。

噂ではあの世にお金とやらは
持ってはいけないようなので・・・・・(笑)。

「心技体」の「心」とは「お手本になること」

ここ2~3年、娘達のピアノの発表会に
行くことが増えました。

コロナの影響でコンクールは軒並み中止も
発表会のような形では開催されてます。
座席も縮小され、ドアは開きっぱなしで
冬場はなかなか寒かったりしますが。

小学生とは言え、演奏しているみんな
とても上手で感心しています。

自分が子どもの頃は暗くなるまで
外で遊んでいただけなんで
親子でも随分違うものですね(笑)。

ピアノを弾く娘を見て
親としてふと思ったお話。

大相撲の世界でよく言われる
横綱は「心技体」が揃って
備わっていなければならない言い伝え。

でもこれはどの世界にも言えること。
なおかつその世界のトップは
こうでなければいけないなと
ピアノ演奏を聞いている時でも
会社で仕事をしている時でも
なんらかの地域活動をしている時でも
感じる場面が多々ありますね。

辞書やネットで見てみると一般的には
「心」は精神力
「技」は技術
「体」は体力といった意味で
捉えられていることが多いようです。

でも「精神力」や「技術」「体力」って
抽象的で分かりにくいので、
もっと具体的な表現にした方が
自分自身も認識し、誰かにも伝えやすいので
言葉を言い換えてみます。

私は「心」は「お手本になること」
「技」は「日々勉強して練習すること」
「体」は「姿勢」
と置き換えるようにしています。

「技」は知識や変換力、
「体」は元気、佇まい、華
と言い換えてもいいかな?

ただ「心」は「お手本」以外の表現では
私は言いにくかったりします。

横綱でも最後に問われる「心」
強いだけじゃダメ、華があってもダメ。
お手本になるような生き様も
頂点なら兼ね備えてほしいといった願い。

自分だけが偉いと勘違いした人や
自分だけがよかったらいいと思う人がいると
組織って濁りますから。

例えばの話。

会社内で売り頭のトップ営業マンが
周りの人に自分の仕事を押し付けて
自分だけ先に帰る。
総務や庶務の人は自分の奴隷かの如く
利用や使用している。
「誰のおかげで飯が食えてる?」みたいな
態度で部下や他のスタッフに振る舞う。
何より自分だけはルールを破っても
結果出してたら出世していく社風。

こんなことは問題だらけの会社でしか
起きていないでしょうね。
そして、こうした会社の一番の問題は
キチンとやってきた人ほど辞めていくこと。

でも、そんな会社が未だに多いのも事実。

またそんな人を咎めない社長の場合も
スタッフは本当に先が見えなくなります。

とすれば「心技体」は
3つ揃ってこそ始まるとしても
組織が続いていき成長していく為には
「心」である「お手本になる人」が
組織にいなければいけないと思うのです。

ピアノ演奏も評価が「音」だけでいいのなら
ただ「技」だけの話で終わり。

生で演奏している姿も評価するのなら
立ち振る舞いや椅子の座り方など
「体」も見ないといけません。

でも「選曲」や「服のセンス」「練習態度」
「敗者を冒涜しない配慮ある喜び方」など
年齢的にも存在的にも
周りのみんなの上に立つ位置にいるのなら
「お手本となる」ような「心」の部分まで
審査する人には見てほしいと思う訳です。

人によってはそれを
妬み、僻みと言うかもしれませんが
「技」があるだけで勘違いして
自分が万能の神になった偉そうな人って
嫌われ者しか見たことないので(笑)、

親としては娘達に
ピアノは「技」だけを習っているのではなく
「姿勢」と「お手本となる心構え」を
習っているのだと伝えてやりたいと思いました。

とは言え、私は音楽好きですが
「音感」も「音程」も全くない父なので
恥ずかしくて「技」は何一つ
教えてやれないことは
娘達には内緒にしておいて下さい(笑)。
ガハハ。

娘を持つ父親の独り言

コロナによる緊急事態宣言が再発令され、
オンラインによる業務の比率が高くなり
今年入ってからまた在宅ワークが増えました。

今日は土曜日なこともあり
奥さんも娘達も在宅しているのですが、
部屋にこもり仕事をしていたら
ノックして長女が入ってきました。

今春から中学生になる長女。
昨年末に採寸し購入した中学校の制服が
昨晩、宅急便で届いたのですが、
それを着て見せに来てくれました。

制服を着た我が娘を見て
涙がこぼれる親馬鹿な父ちゃんですが(笑)、
節目に娘の成長を感じられて感謝する毎日。

若い頃は大げさに思っていましたが
最近、西川きよしさんと比べても遜色ない
涙もろい感激屋さんになってきています・・・。

欲張っていろんなことを願う時もありますが、
元気に楽しく学校に行ってくれたら本望です。

友達といっぱいおしゃべりしたり、
好きな男の子と一緒に学校から帰ったり、
一般的にイメージしがちな青春時代を
多いに満喫して欲しいなと願っています。

父親として何がしてやれるのか
考えだしたらキリがないですが、
以前にも書いたことのある「無条件肯定」

無条件でただ愛してあげること、
日々の行動と日々の言葉できちんと
愛情を伝えてあげたいですね。

娘とは世代も大きく離れて、
価値観も考え方も全然違います。

娘たちはいわゆる「Z世代の最後」
(Z世代は1995年~2010年生まれの世代)

自己承認欲求と発信欲求が強く
過剰な自意識を持ちつつも
不安や競争は好まない世代。

新型コロナにおいての不安や怒りは、
米のZ世代は「政府政治批判」に向かうも、
日本のZ世代は「貯蓄志向安定志向」に
向かうような傾向があるようです。

こういった背景も認識しながら
少しでもヒントになるアドバイスが
父としてからだけでなく、大人として
人生の先輩として、できたらいいな・・・。


また、父親として愛情を娘に伝える言葉は
黒川伊保子さんの言葉をお借りして
私なりの言葉で伝えていこうと考えています。

黒川さんの言葉を最後に紹介しておきます。

「何かに勝たなくたって、
誰よりも優れていなくたって、
きみはきみでいればいい。
きみが笑えば、
お父さんは生きる力をもらえるんだ。
そのことにうんと価値があるし、
その価値をお父さん以上に
わかってくれる人たちに、
君はきっと出逢える。
人生とは、そういうものだよ。」

黒川伊保子「娘のトリセツ」より

「やったら しまい」

今日は2020年12月13日。
亡き父の命日です。
亡くなったのが1990年でしたから
今日で30年経ちました。

当時高校3年生だった私も
今では50歳前のおじさんになりました。
年月の過ぎる早さに改めて驚いています。

30年も経つと父との想い出も
随分薄れてきたように感じますが、
頭の中にある「映像」や「写真」は
どんどん色褪せていくも
口癖や躾などの「言葉」は逆に
どんどん色濃くなっていくような気がします。

例えば、亡き父に口酸っぱく言われた事は
「挨拶をしろ」
「部屋を出たらドアはきちんと閉めろ」
「履物は揃えろ」
この躾の3つの言葉でした。

私と長女の年齢差は私と父と一緒。
成長のタイミングも一緒なこともあり、
今では同じことを娘に言ってます(笑)。

娘に言いながら昔言われてた自分を思いだし
一人で半笑いになっています。

そして、亡父はよく
「やったらしまい」って言葉を
口癖のように言ってましたね。

「(どんなことも)やったら終い(おしまい)」

やりたくないけどやらないといけないことって
日々の生活の中でもたくさんあります。
それをブーブーと愚痴ってダラダラやるなら
さっさと終わらせてしまったほうがいい!
そんなニュアンスだったように思います。

改めて思うのですがこれって結構、
私の中の骨であり、肉になっています。

嫌なことだったり、やりたくないことだけど
やらないといけないことほど先に始める考え方。
ご飯食べてても嫌いなものほど先に食べて
好きな食べ物は最後に味わって食べる感じ?

どんなことも取り組んだら
必ず終わるって考え方。

「誰がしてもいい仕事はみんなの仕事。
自分がやったら損だからやらずにいよう。
誰かがやってくれるから楽しよう。」

そんな考えでは生きれなくなりましたが(笑)、
おかげでそれでは見えなかったものが
見えるようになり分かるようになり
改めて有難かったなと50歳前の今、
しみじみ思っています。

考え方は人それぞれですが、
親分と言うか人の上に立つ人こそ
実はこんな考え方が必要なものなのに
できない親分が実になんと多いことか(苦笑)!

「人の上に立つこと」と「偉そうにすること。」
「人の上に立つこと」と
「部下を道具や駒のように使うこと。」
「人の上に立つこと」と
「しんどいことを部下に押し付けれること。」

これらは全く意味が違うものだと
歳とってから一層、理解するためには、
この言葉は本当に大切だなと思っています。

「やったらしまい。」

積極的に取り組む姿勢ってとても大切で
何歳でも忘れてはいけないことですから。

もしかしたら親から引き継ぐ遺産とは
お金や不動産ではなくて
価値観や躾、生き様かと思います。

30年経ってそう思えるのなら
幸せなのかもしれません。

父さん・・・・
別れてから随分、時間が経ちましたね。

私の家族を逢わせたい気持ちもありますが、
ふたりでサシ呑みしながら
いろいろ語り合いたいです。

まだ逢うには早いですから(笑)
随分先の天国で逢うことあれば
酒の一杯もご馳走しますね。


(45年くらい前かな・・・)

思い込みからの脱皮

朝は冷え込んできました。
コロナの予防もですが、風邪の予防にも
気をつけないといけない季節。

今まで通り手洗いやうがい、マスク着用を
しっかり注意していきましょう。

料理研究家の土井善晴さんってご存じですか?
テレビ番組にもよく出られているので
見たことある人は多いのではないでしょうか?

土井さんが勧めらている「一汁一菜」の考え。
世の中にもっと広まればいいのにと思います。

古くから日本は和食の献立として
「一汁三菜」を良しとしてきました。
ご飯があり、汁物があり、要はおかずが三品。
ここまで出来たらいいとは思いますが、
毎日となるとなかなか大変で負担も大きい。

ましてや今は働いている奥さんも多いので
プレッシャーになっている方もいるのなら
ご飯は一汁一菜、昔の生活で言うのなら
「ご飯、みそ汁、漬物」でOK
それより具沢山の味噌汁さえあればそれで充分。
2品でも一汁一菜になるといった考え。

家にいるときは私もご飯を作っているので、
この考えは本当、大賛成だったりします。
っていうか栄養面も味も満足いくし、
そもそも同じ理屈の鍋料理なら
1品でもいいのなら おかしな話です。

ただ、古くからご飯の献立は
そういうものだったという思い込みが
視野を狭くし、決めつけているだけで
そんな思い込みから脱皮することこそ
今の時代に合ってないですか?
働き方改革も思い込みからの脱皮です。

そもそも、うまくいかないことや
変化できないことは、
その理由のほとんどが「思い込み」

例えば、成果の出ない営業マン。
いつまでたっても成果の出ないやり方に
執着しすぎて変われないことが多々あります。

同じやり方であれば結果は変わらないのは
当たり前だと思うのですが、
他人のことならよくわかっても
自分のことはよくわからないわけです。

結果の出ない営業マンの最も多い思い込みは
ほとんどの人が自分は違うと認めませんが、
「お客さんのいいなりになることが誠意。」と
いうことだったりするのです。

本当の誠意は、
そのお客さんにとっては耳の痛い話でも
その人のためであるのなら正直に伝えること。

でも、そんな態度は失礼だと決めつけ、
先で問題になることに気づいていても
それをクリアにしないといけなくても
安請け合いして結果迷わせていることが多い。

それはなかなか相手には
受け入れてもらえない話です。

「こうでなければいけない。」といった
思い込みを疑ってみて、
他人事のように眺めてみたときに
課題を執着せずに捨てることができたら
未来が変わるのではないでしょうか?

ちなみに結果が出ないことに気づく
一番簡単な方法は、
自分がなりたい人や成果出ている人の
マネをすることです。

成果が出ていない時に
成果の出ている人のマネをしたら
自分の思い込みのほとんどが
間違いと気づけるでしょう。
偉そうに言いつつも私がそうでした(笑)。

成果が出ていない時に
やっていなかったことは
成果が出ている時には
やってることばかりでした。

成果がでていない時に
大事にやっていたことは
成果が出ている時には
やっていないことばかりでした。

思い込みからの脱皮こそ
生まれ変わりたいときのスタートです。

一汁三菜という思い込みから
一汁一菜でいいと考えになったときに
料理も一層楽しいものになりそうです。

そもそも味噌汁といっても
出汁だけでもカツオにするか
イリコにするかあごだしにするかで変わり、
具材なんてバリエーションにキリがないです。

ちなみに私は豚汁があれば
酒も呑めるし、飯も食えます。
朝でも昼でも晩でもOK!

売れていない営業マンも一緒。
成果の出ない理由の思い込み、
言い換えれば、間違った正義感を
間違いと認めて受け入れた時に
なりたかった自分に近づけると思います。

例えば、高額商品ほど
知識と公式と経験こそあればといいと
思われている人もいますが、
そもそもそれを購入する相手がいてこその話。

そのお客様はどんな生き様の人で
こんな人から買いたいなと思っている
その人物像に自分がなれているのかが
分からないとやっぱり売れないわけです。

このニュアンスは結局、
営業し続けて痛い目にあった人でないと
なかなか伝わらない話。
そんな人が成長する手助けをやっていくのが
私の仕事であるように日々精進します。

子どもは絵本をたくさん読んだ方がいい

9月になってから朝晩は、
少し暑さも和らいできました。
ちなみに今年は「8月の平均温度」が
過去最高の暑さだったようです。
コロナにも注意ですが、
まだまだ暑さにも注意ですね。

今回は児童文学者であり、
翻訳者でもある渡辺茂男さんの言葉をご紹介。

「実在しない生き物が
子どもの心に椅子を作り、
それらが去った後に実在する大切な人を
座らせることができる。」

いかに子どもにとって、
ドラえもんやアンマンパンに夢中になることが
意味があり、素晴らしい事なのか…

子どもたちが大人になったとき。

大好きな誰かに出逢えたときに
その大好きな相手を大切にするためにも
心の椅子が1つでも心の中に持ててるように
大人は手伝ってあげないといけないですね。

今のような簡単に情報を手に入れられる時代、
実在しない生き物と触れ合うのは
手段は何でもいいと言われる人も多いでしょう。

ただ、ネットやDVDは便利ですけど
簡単に情報がたくさん入ってくる分、
深く考える行為は少ないように思います。

やっぱり、絵本や本を読んだ方がいいかな?

実在しない生き物だからこそ
想像力を膨らまさないと
心に椅子が作れませんし、
誰かが椅子を与えてくれないと
心の中に置けなくても困ります。

人生の答えは自分で作り出すもので
他人が与えてくれるものではありまえん。
それをお金で買おうとしても
ヒントは買えても答えは買えませんから。

映画やドラマ、アニメも面白いですが、
登場人物の心理状態や本音は
小説や漫画ほどわかりにくいもの。

行間に滲み出てくるト書きが
絵本や本にはあって、
それこそが頭の中で絵が描ける
最大のヒントなわけですから
デジタルが全て正解でなく、
アナログの素晴らしさも
活かしていきたいですね。

大きくなってきた今、
youtube見たりしてる娘達ですが、
それこそ10歳くらいまでは
夫婦の方針で、絵本と本を読ませてました。

デジタルを有意義には活用したほうが
いいのはこのご時勢、分かってます。
なので、成長に応じて触れさせてます。

流行りもあるでしょう。
便利もあるでしょう。
でも、デジタルでは得られないものも
あると思っているので、
アナログな読書も大事にしてほしいです。

テスト勉強、特に暗記は
鉛筆で紙に書いてナンボといった
昭和テイストな方針も含めて・・。

ちなみに私が読んだ小説を
長女はその後、すぐ読破して
父ちゃん以上に理解してました(笑)。
スゲー!

どうやら読書も楽しんでるようです。

こうやって、心に椅子を一つでも多く持って
我が人生を謳歌して欲しいものです。

「人はやらなかったことを最も後悔する。」

前回、97歳で亡くなられた
内海桂子師匠のお話を書かせてもらいました。

人生の先輩として、高齢の方の経験した話を
色々聞いたり、読んだりするのもいいなと
思っていた先週末に突然、
奥さんのおじいちゃんが亡くなりました。

内海桂子師匠より1年長生きの享年98歳。
大往生の人生でした。
前日まで元気だったようで、
長く苦しむこともなく旅立たれたことは
よかったかなと思います。

コロナの影響でお通夜は奥さんのみ参加。
告別式は私も参加したのですが、
こういった機会は自分自身の人生のことを
色々考えさせられます。

1回しかない人生ということを言い訳に
好き勝手に生きたい気もしますが、
他人様に嫌われて知らん顔されたり、
子どもに迷惑かけていい訳もありません。

失敗しても仕方ないですが、
ただチャレンジだけはしていって、
悔いなく生きたいとは改めて思いました。

「人はやらなかったことを最も後悔する。」

うまくいかなかったとしても、
結果、私たちは失敗を正当化して語れますが、
何もチャレンジしなかったことについては
正当化ができません。

要は、何も試みなかったら
うまくいかなかったことの言い訳すらする
根拠がないわけです。

また、一説には
人は10代の時に手にできなかったものを
生涯、執着する傾向があるそうです。

それが学歴なのか、友情なのか、
恋愛なのかは人それぞれですが、
自分自身や周りの人をに見ても
あながち外れてないかもしれません。

後、人間は歳を重ねていくと
良いことだけ都合よく覚えていて、
悪いことは忘れていくようですから、
失敗ばかり一杯しても
いろんなことに挑戦したほうが、
歳をとったときに幸福感が増して、
孫に武勇伝が語れるそうです(笑)。

お金をたくさん儲けないと
世間で言う「成功者」にはなれませんが、
失敗ばかりしても挑戦し続けたら
「幸せな人生」だったと思えるのなら
悔いなく生きるためにも
何か新しく興味を持ったことに
チャレンジしていきます!

最後に私の大好きな
ネイティブアメリカンの教えをご紹介。

「あなたが生まれてきたとき、
周りの人は笑って、
あなたは泣いていたでしょう。

だからあなたが死ぬときは、
あなたが笑って、
周りの人が泣くような人生をおくりなさい。」

こんな人生がおくれるように精進します・・・。

偶然の産物

暑い日が続きます。
私が子どもの頃は、ひと夏で
30℃超える日はあっても2~3日くらい?
ここ最近は35℃とか当たり前。

コロナもですが熱中症にも
みなさん気をつけてくださいね。

さて、コロナもまだまだ先が見えません。
先日、始発の新幹線に乗ったのですが
結局、東京までに
同車両に乗った人数は私入れて6人!

飲食店の人に聞いても
タクシーの運転手さんに聞いても
まだまだ厳しい状況です。

とは言っても何か手を打ちたいわけで・・・。

業種によってはオンラインで
新しい取り組みにしてコロナ以前より
うまくやられている方もいます。

諦めずに何か考えて、
みんなが上手く行ける方法がないかな?
そんなこと思ったりする今日この頃・・・。

今まででも当初の目論見ではなく
予想外の展開を見せて
成功されたお話なんかを聞くと
まだまだ何かできる可能性はありそうです。

現にコロナ騒動で
今までなら夏に売れてた日焼け止めや
制汗剤などは売れ行きが伸びないのに対して
入浴剤や食品保存袋なんかは
予想以上の売れ行きのようです。

マスクやうがい薬、トイレットペーパーや
ティッシュペーパーも予想外の
品不足になったりしましたね。

例えば、ゲームのテトリスは
当初、教育用のソフトウェアとして
開発されたようです。

サランラップは食品用ではなく
戦場での銃弾、火薬を湿気から守るため開発、
シュレッダーばさみも
最初は刻み海苔を作るためだったようです。

今はビジネスでも遊びでも活用される
youtubeも最初は出会い系サイトとして生まれ、
Googleは図書館の蔵書検索サービスがきっかけ。
バイアグラも当初は
咽頭役の薬として生まれたのに、
興味深い副作用から今の用途として
使われるようになったのだそうです(笑)。

「偶然の産物」と言えばいいのかな?

今の厳しい時代の中では
今まで通りのやり方だけでは厳しく、
少なくともこの1~2年は
乗り越えられないかもしれません。

となると何か新しいチャレンジが必要です。

絶対成功する方法は何かはわかりませんが、
新しいチャレンジしていかない限り、
上記のような偶然の産物にも巡り合えません。

基本、人生は自己責任ですが、
こんな時代の中では
何かを分かち合おうと協力しあうことも
大切なことですよね?

偶然の産物ですら
出逢えるのは何かにチャレンジしないと
出逢えないのなら
その場に立ち止まって愚痴る前に
何かやってみようと思える熱意が
新しい扉を開ける鍵だと思うわけです。

みなさん、お互い頑張っていきましょう!

「運」がいい人

なかなか梅雨明けしませんね…。
当初の予定では、
明日はオリンピックの開会式でした。
来年どうなることやら。

何よりコロナが落ち着いて少しずつ
元の生活に戻っていて欲しいです。
夏場のマスクは本当、辛いです(苦笑)。

「マンダラチャート」ってご存じですか?

やることが明確になる
目標達成シートでかなり有名なもの。
やられたことがある方も
いらっしゃるかもしれません。

先日、マンダラチャートの話になった時に
メジャーで活躍する大谷翔平選手が
花巻東高校1年生の時に書いた
マンダラチャートの話になったときに
以前、私が感心した話をしました。


(無料テンプレートより)

大谷選手は高校1年のときに
成し遂げたい一番大きな目標を
「8球団ドラフト1位」と掲げていました。

結果、日ハム1位でプロ入り、
メジャーで活躍していて
ある意味、有言実行なのですが、
それを達成するための要素の一項目に
とても感心したのです。

プロ野球選手になるためには
「体づくり」や「コントロール」「キレ」
「160km/h」「変化球」と掲げていきます。
もちろんその通りですし、
誰しも納得のいく項目でしょう。

そして読んでいくと
そんな技術的な面だけでなく、
「メンタル」や「人間性」と並び
「運」と掲げているのが目が留まりました。

世の中の成功者のほとんどが
自分が成功した理由の一つに
「運」と言われているので
そうかもしれません。
でも、まだまだ高校球児の時点で
そう思えていることにまず驚きました。

そして、次は各項目を得るための
具体的な行動目標を書いていくのですが、

「運」の行動目標に
「あいさつ」とか
「ゴミ拾い」とか
「審判さんへの態度」とか
書いてある事に本当に驚いたのです。

その通りだと思います。
でも、大人になっても全然そんなことを
そう思えない人が多いのに
高校1年の時点で思えていたことに
本当に感心しました。

才能や努力があった上であったとしても
こんな考えで取り組んできたから
今、大成しているんだなと
心から納得できました。

「そんなことしても関係ない。」
「それは自分の仕事ではない。」
そんな自分勝手なことを言う人って
本当たくさんいます。

あいさつなんかしても
自分の得には一切ならないって
思っている人も多いと思います。

ゴミ拾いなんて自分がしなくてもいい、
誰かがやればいいって
思っている人も多いと思います。

でも、そんなことをきちんとやることが
自分の運につながっているって
高校1年生で思えていたこと、
それをこうして言葉にしていること。

そりゃ二刀流も成功するはずです(笑)。

「自分がやらなくても責任はない。」
「誰かがやらないといけないけど
誰がやってもいい共通の仕事は
自分がしたら損だからしない。」
そんな人は今までいっぱい見てきましたが、
そんな人って「運」はないように思います。

こんなチームメイトがいて
ずっとこの調子でいられたら
本当、先が見えないチームにしかならない。

こんな人間が我が物顔でいたら

①本当にいてほしい人間が辞めていく。
②本人もどこかで嫌われて辞めていく。
③もし最後まで居続けれても
自分がそんな前例を作っているから
結局、その後に続く人間も
そんな人間しか残らない。

といった3つのいずれかとなり、
どの道、先の見えない結果にしかなりません。

テクニックはコーチが教えたらいいですが、
監督は人間論や生き方を教えてあげるような
そんな人でなければいけません。

できれば抽象的でなく、より具体的に。

みんなが協力しあえるチームを作るために
前職の社長時代、部下達に
家では、親として娘達に
具体的な行動指標として

「用を足したときに
トイレットペーパーが無くなったら変えろ!
その時、芯は置いて出るのでなく、
ちゃんとゴミ箱に捨てろ!」
と言い続けてきました。

何回言っても出来ない人の方が多いので
おそらく「しょうもないこと言ってる」と
思われていたのでしょうが、
これができてない人は
自分勝手でチームワークがダメな人が
多かったように思います。

密室でのことなので誰ができて
誰ができていないかわかりません。
ただ、立証できないグレーなことに
人間の本質が出ます。

そんな人にはおそらく周りの人から
「運」を与えられるチャンスは
与えられないとすれば、
やっぱり「運」がないと言えるでしょうね。

大谷選手ほどの
大きなスケールの人生ではないですが、
自分の人生をよりよきものにするために
「運」に大切にしていきます。

そして「運」が与えてもらえるように
まずは具体的な行動の一つとして
「トイレットペーパーの交換」を
ちゃんとできる環境にしてます。

別にトイレの話だから
「ウン」の話でもないのですが・・・・

お後がよろしいようで(笑)。