最初にすべきことは?

最近は子どもの行事が続いてます。
先週は運動会。
昨日の金曜日は、次女が校外学習。

木曜日に出張から帰ってきたので、
金曜日は朝から張りきって弁当づくり。
もちろん、嫁さんの分も(笑)。


(父ちゃん作の弁当)

校外学習、楽しみなのでしょうね。
次女は珍しく6時に起きてきました。
いつもは着替えなさいと言っても
なかなか着替えないのに
この日は6時5分には着替え終了(笑)。

7時半にいつもは家を出るのに
7時15分に出ていこうとする始末。
どれだけ楽しみやねん!と笑いました。
可愛い娘です。

今日は、朝からPTAの廃品回収と
子ども会の公園掃除がありました。
最近は、こうした行事ごとで
同じ町内の方々とお話しします。

子ども絡みの行事を通じて、
初めてその地域に溶け込んでいき
地元の人となっていけると
以前、本で読んだことがありましたが
最近、本当その通りだなと感じてます。

あいかわらず、乱読ですけど
いろんな本を読書しています。

先ほど書いた日々のこともあり、
いまだに「子育て」関連の本は
年に2~3冊は読んだりします。

「子どもの成長は3歳まで決まる!」とか
いまさら言われても
どうもできなくて困りますが(笑)、
いろんな本を読むたびに、
いろんな考え方があるんだなと感心します。

先日、読んだ本で、納得というか
そうだよな~と思ったのは
子どもを伸ばすためには
「まずは夫婦の関係をよくすること。」

子どもには何を言ったらいいかとか
子どもには何を教えたらいいかとか
最初に思いがちですが、
そもそも、まずは親がどうであるのか
こっちがどうであるかのほうが前提ですよね。

その本には、他にも子育てにおいては、
こんなことが書いてありました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
母親が幸せであることが最も重要である。

大事なのは、とにかく話をすること。

幼児期は特にしつけが大事。
しつけは決めたことを守らせること。

親として、子供に厳しく言えないことも罪。

お母さんが子どものことで成長しても
感情的な言動が多く見られるときは、
子どものことで夫に不信感を抱いたとき。

妻と子供がケンカをしたとき、
どちらかの味方をするのではなく、
どちらからも本音を聞けるように、
普段から信頼関係を築いておくこと。

一定の年齢が来たら
親は子どもに本気で本音を語ること。

子育ての基本は、自信を持たせること。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まだまだたくさんありますが、
こんな言葉がかかれてありました。

読み終わって終わったのが
これって子育てだけでなく、
様々な人間関係にも言えるのでは?

そして何より仕事というか、
会社での社員教育に全て言い換えれるのでは?
と思いました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
社員を伸ばすためには
「まずは社内の関係をよくすること。」

社員が幸せであることが最も重要である。
(社長も管理職も社員の一員です。)

大事なのは、とにかく話をすること。

新人は特にしつけが大事。
しつけは決めたことを守らせること。

社長、上司として、
部下に厳しく言えないことも罪。

管理職や社長の奥様が社員のことで成長しても
感情的な言動が多く見られるときは、
会社のことで社長に不信感を抱いたとき。

管理職と社員がケンカをしたとき、
どちらかの味方をするのではなく、
どちらからも本音を聞けるように、
普段から信頼関係を築いておくこと。

社歴や実績がある程度積めたら
社長はその社員に本気で本音を語ること。

社員教育の基本は、自信を持たせること。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

耳の痛いところもありますが(笑)、
いい社員が見つからない、
入ってこないと言う前に
そもそもいい会社なのか?という
自問自答をすることが
大事なんだなと思いました。

子育ては、ある一定の
時期だけかもしれませんが、
人生の先輩として、先生として
若い世代にかかわっていくことは
人間、死ぬまで続くわけです。

しんどいから嫌だという人も
たくさんいるでしょうが、
それで辞めたら成長も学びも
終わっちゃうような気もします。

考え方や価値観が変わり、
今の若い世代にどう言っていいか
どう接していいかわからないとも聞きます。

注意することを何でもかんでも
パワハラだなんだと言われてしまっては
どうしていいかわからない時代。

とは言っても、我々も若い頃は
宇宙人だの、理解できないだの
言われていたはずです。

古代、ピラミッドだかの壁画にも
「近頃の若い者は・・・。」なんて
書かれているらしいので(笑)、
いつの時代も「教育」や「しつけ」は
永遠のテーマなんでしょうね。

そんな重いテーマを一人で受けるのは大変。

冒頭で地域の方と一緒に
子どもに接していくことで
その地域に溶け込める話を書きましたが、
そうやってみんなその時代を懸命に生きて、
次の世代を育てているわけです。

子ども会やPTAに地域行事。
会社の飲み会、個別相談など
めんどくさいからと逃げないで
一つ一つ積み重ねていくしかないのかな?

すぐに答えはでなくとも
関わる人たちと協力し合って
やりきれる環境を作ることが
もしかしたら一番最初に
私たちがやることかもしれません。

土台作りであり、場づくりでもあります。

子どもを伸ばすためには
まずは夫婦の関係をよくすることが
最初にする大事なことと同じように・・・。

明智光秀を知り、いろいろと考える・・・・

令和になって1週間が経ちました。
皆さんはどんな連休を過ごされましたか?

我が家は、なぜかこの連休に
ジャッキーチェンの映画「香港国際警察」を
part1~part3まで家族で観ました。

いつ観てもジャッキーはスゴイですね。
小学校1年生のときに酔拳を観て以来、
私のアイドルの一人です。

さて、このGWは
10連休とはなりませんでしたが、
結構、休ませてもらいました。

1泊2日ですが、平成最後に
滋賀県へ家族旅行に・・・

彦根城や多賀大社、信長の館、
近江八幡、比叡山延暦寺、
近江神宮に琵琶湖ミシガンと
強行スケジュールで観光してきました。
延暦寺はメインの根本中堂が改修中で
しかも雨で大変でしたが(笑)。

最近、百人一首に興味を持ちだした娘達は、
百人一首の聖地、近江神宮では
かなりテンションが上がり気味。

そんな旅行をしたこともあり、
帰ってきてから家族そろって
歴史の漫画をただ読みまくると
いった展開に(笑)。
あっ、百人一首も娘達は
やっていましたが、父ちゃんは爆睡・・・

今回、近江や安土を観光したので
読んだ歴史の漫画も
信長や秀吉、家康、石田三成や
明智光秀といった武将を読みました。

読んでみたら敗者の立ち位置の
三成や光秀がとても優秀で魅力的な
人物であり驚きました。

勝てば官軍。
成功者の言葉しか残らないから
見過ごされますが、
どんな時代でも集団のトップに立った人で
あるなら魅力的な人だったとしても
不思議ではありません。

特に明智光秀が魅力的な人であることを
知れてとてもいい機会でした。

この漫画の台詞を借りたら
光秀はこんな風に紹介されていました。

戦上手とたたえられ
戦国の世を渡り歩いた男

妻と子をこよなく愛し
家臣を大切にした男

領地に善政を敷き
民に慕われた男

比類なき武将 信長に
最も信頼された男

そして
信長を裏切った男・・・・

(朝日新聞出版「マンガ日本史」より)

信長を裏切った男といった側面でしか
見ていなかったことに気づきましたが、
結構、こういうことって多いですよね。

ある側面だけで判断するのではなく、
多面的に物や人をとらえるように
心がけることが大事なわけです。

戸田智弘さんという方が書かれた
「ものの見方が変わる座右の寓話」を読むと
こんなことが書かれていました。

ある日、六人の盲人が象を触って
その正体を突きとめようとした。

一人目の盲人は象の鼻に触り、
「象とはヘビのようなものだ」と言った。

二人目の盲人は象の耳に触り、
「象とはうちわのようなものだ」と言った。

三人目の盲人は象の足に触り、
「象とは木の幹のようなものだ」と言った。

四人目の盲人は象の胴体に触り、
「象とは壁のようなものだ」と言った。

五人目の盲人は象のしっぽに触り、
「象とはロープのようなものだ」と言った。

六人目の盲人は象の牙に触り、
「象とは槍のようなものだ」と言った。

それから、六人の盲人たちは
長いこと大声で言い争い、
それぞれが自分の意見を譲らなかった。


(あくまでイメージ画像です)

傍で見てたら滑稽な話です。
でも私達も物や人の一部分だけを理解して、
それが全てだと錯覚を起こしてしまうことが
多々あるわけですから、笑えない話。

またこの話は、
真実を表現する方法が異なっているだけであり
真実が異なっているわけではありません。

誰か一人が正しくて、
他の五人が間違っているのではなく、
また全員が間違っているわけでもない。
全員が正しいからややこしいわけです。

明智光秀の話もですが、
信長の裏切り者といった側面も真実ですが、
戦上手で渡り歩いたことも、
妻や子、家臣を大切にしたことも
善政で民に慕われたことも
信長に誰よりも尽くし、信頼されたことも
すべて真実なわけです。

ある一面だけでその人のことを
こんな人だと決めつけがちになりますが、
視野を広げて多面的にとらえられるように
ならなければと思った次第です。

ちなみに京の医師、
江村専斎は光秀のことを
「実直で礼儀正しい人だった」と評してますが、
イエズス会の宣教師ルイス・フロイスは光秀を
「裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷。
抜け目がなく、はかりごとの達人だった。」と
評していたようです。

実際、どんな人だったのでしょうか?
明智光秀の本が読みたくなりました(笑)。

「ルール違反」と「マナー違反」

1年でほとんど雪の降らない姫路でも
雪が舞っています。
インフルエンザもかなりの猛威で
広まっているようです。
皆様、ご自愛ください。


(漢方薬の麻黄湯が
インフルエンザの予防になる?と聞いてから
予防で飲んでいます。)

さて、今日はマナーについてのお話。

例えば、家族や友達といった人間関係を
うまくやっていくためには
「コミュニケーション 力」が
大事といった話のように

会社などの組織やチームで
うまくやっていくためには
「ルール」が大事と思っています。

誰がやる
いつまでにやる
それを誰がいつ確認する
どうやって引継ぎする

そんなことを決めて行きながら
ルールを決めていくと
バトンパスしていく業務は、
うまく進んでいきます。

もしそのルールでうまくいかなければ
みんなで再検討して変更すればいいわけです。

①各自の業務内容を明確化する
②変更が必要な時は皆で話し合い変更する。

要は、誰かが勝手にルールを変えたり
やらなくなったりせず
決まったルールどおり運営されているかを
確認する場所が「会議」であり、
確認する人が「責任者(○長)」なわけで

いろいろとスタッフの方と話しているときに
社内で低気圧な不満があるときって
だいたいこのルールを破っているのが
社長や部長などの「長」であったり、

その「長」が
特定の誰かだけを許しているといった
「特例」を作っていたりするときに
いつも何か目に見えない根本の問題を
感じることが多々あります(笑)。

なので、
ルールを決める、守る、実行することが
できたらうまくいくように思っていましたが、
最近は、どうやらそのルール厳守より前に
マナー厳守のほうに
やっぱりポイントがあるように
思っています。

というのも
そもそもルールを守っていても
マナー違反する人が、
やっぱり和を乱す人なわけで

それならまずはマナー違反を
確認していったらいいように思うわけです。

「ルール」とは・・・
規則(行為や事務手続きがそれに基づいて
行なわれるように定めた事柄)。
決まり。

「マナー」とは・・・
礼儀作法(人がその社会生活を円滑に営み、
社会秩序を保つために用いる規範と実践の
総体)。
態度。

実はこういったことをいつも感じるのが
新幹線の中だったりします。

中国では今、指定席に勝手に他人が座り、
トラブルになっていることを
ニュースで見たりしますが、
日本ではまずありえないように思います。

指定席は買った人が座る。
こんな当たり前のルールを破る人は問題外で
日本は、ほぼルール違反者はいないはずです。

でも、これがマナー違反ってなると
結構いるように思いませんか?

①後部座席に人がいるのに、
配慮無くシートを最大限に倒している人。
②PC操作をしているときにやたらと
キーボードを叩く音がうるさい人。
③ずっと貧乏ゆすりをしている人。

個人的にはこの3つを
「新幹線三大マナー違反」と
しているのですが(笑)、
こうした人がいるときにいつも
周りの雰囲気が濁った感じがして
周りの方もイヤ~な気分になってたりします。
(肘掛け独占されるのもイヤですが、
肘掛けは半分?は取り返しにいくので(笑)。)


(肉まんの匂いという人もいるようですが
個人的には結構好きかも(笑)。
ただ、おなかがすいてきますね。)

社内でも
いつも怒っている人や
チヤホヤしないと不機嫌になる人、
そもそも全然、仕事をしていない人、
不平不満を言い続けている人、
口裏を合わせて派閥を作りたがる人、
自分勝手な人・・・・

ルール違反はしてないけど
マナー違反をしている人。

こういった人がやっぱりその組織において
問題の根っこなことが多いわけです。

マナーを礼儀作法に置き換えたら
挨拶や敬語、身だしなみも
大事な事がわかります。

「自分がどうでありたいかより
相手がどう感じるのか・・・。」
ビジネスってそこが大前提ですからね。

自己主張もいいですが、
やっぱり人間関係は相手があってこそ。

不快に思われては元も子もなく
やっぱり話してて気分いい人がいいです。

とはいえ、ルールやマナーを
一方的に押し付けるのはこれまた問題。

「それは抑圧であり、
相手に教えるときに
それを攻撃の材料にしてはいけないわけで、
思いやりのない指摘は
意地悪と変わらないよ。」って意見を
ネットで以前、見たことがあるのですが、
「なるほどな~。」と思いました。

これって以前、私が言ってた
「正論バカ」の一つにすぎません(笑)。

伝え方も とても大切で
それをコミュニケーション力というのなら
もう何が一番最初に大事なのかは
頭の中がこんがらがってきたので

まずは「決まったルールを守り
マナーをもって行動する。」ことから
改めて始めたいと思います。

「役割」を演じること

今年になってもうすぐ半月経ちました。
今日、明日は成人式ですね。

働いている子も学生してる子もいますが、
成人式では旧友と再会して
近況報告をしつつお互い祝って欲しいです。

先日、こんなデータを見る機会がありました。

カーネギー工科大学が
1万人の工場労働者を調査した結果、
成功の15%は仕事のスキルで
85%は性格的な要因、
特に他人とうまくかかわる能力によるものと
結論づけたようです。

又、ハーバード大学での研究では
解雇された数千人の男女のうち、
仕事の失敗で失業した人より
人間関係の失敗で失業した人の方が
2倍も多いことがわかり、

著名な心理学者ウィガム博士によると
1年間で失業した4000人の労働者のうち
仕事ができないからと失業したのは
全体の10%にすぎず、
残りの90%は他人とうまくかかわる事が
できないから失業した事がわかったそうです。

ここ最近を見ていると販売においては
買い手(お客様)側は
商品のモノそのものを重視する傾向が
強くなっていて
売り手側もモノにいろんなウエイトを
置いていると感じていますが、

組織においてや売り手側のベースとしては
依然として関わっているヒト側の側面が
大事なんだなと改めて思いました。

働き方改革なんかはまさにそれを
具体化したものの一つですよね。

当たり前といっちゃ当たり前なんですが、
意外とその当たり前が今の時代って
ちょっと軽く扱われている感が否めません。

そんなことを考えたときに
他人とうまく関われることのコツって何か?
と言われたら私は

自ら自分は
誰かに必要とされていると思える事
相手には
私はあなたが必要ですと伝えられる事

こう思えることではないかと思っています。

そしてどうやったら
自分は必要とされていると思えるか
相手は必要とされているか思ってもらえるか

そのために組織には
「役割」があるのではないでしょうか?

私は去年まで社員が10数人いる
会社の社長をしていましたが、
「社長」という肩書きは
「役職」というよりかは
「役割」といういう意味がわかり易いと
思っていました。

(このあたりは言葉の定義が似てるので
ニュアンスの問題なので(笑)、
ニュアンスがうまく伝わってくれたら
いいのですが・・・。)

各自その「役割」を認識して
それを演じきったら次の「役割」が
与えられるものでないといけないと
いつも思っていました。

課長という「役割」を演じきったから
部長という「役割」に
変わっていけるといった感じですね。

それを一定の年齢になったからといった
年功序列的配置の考え方や

社長の息子だからとか言って
その「役割」を無条件で与えたときに
組織内の上下関係って
大変になっているように思います。

それにその会社の各肩書きの「役割」は
どのようなものなのかを定義してないことも
混乱を招く大きな要因です。

そういったことが
部長なのにその部下の面倒をみない とか
課長の「役割」を演じたことがないから
部長になっても何をどうするかわからない、

その結果、部下ばかり重労働、重責務なのに
部長が手伝いも労いもフォローもせず
権利主張だけして定時で一人帰ってしまう。

そんなことが起きてしまいます。
(誤解なく聞いて欲しいですが
定時で帰ることが悪いわけはないですよ。)

それではその部署は
なかなか上手くいかないですよね。

上司だけがいつも正しくて
部下がいつも間違っているわけはないのなら
お互い必要と思いあえることが大事で、

そこには「役割」の定義を決めて
その「役割」を演じて定義を実践してみる事が
とても組織形成には大事だと思うのです。

トレーニングの一環で
「ロープレ」というものがあります。
正式にはロールプレイングと言いますが、
この言葉の定義は
「役割を演じる」という意味です。

お客様役になって「役割」を演じ
疑似体験をしてそこから感じるものは
何かを学びあうこと、

その様を他人事のように眺めて感じるものは
何かに気づくことが大事なのですが、

接客する人の話術やテクニックだけを
学ぶような機会だけになっているケースが
多いのもなんかもったいないですよね?
特に営業でのロープレは。

「役割」を演じきったときに
何かがわかると思ってやられているのなら
販売に置ける顧客との関わり方だけを
ロープレをするのではなく、

社内の人間関係や上下関係などの
各自の「役割」を確認しあう場としても
わかりあえるような
そんなロープレもあっても
いいのではないでしょうか?

普段、無責任な上司に
「俺について来い」みたいな
熱いキャラの役割をさせてみたり、

普段、反発ばかり言う可愛げ気のない部下に
「はい、やってみます!」と
すぐチャレンジするキャラを演じさせてみても
かなり面白いと感じています(笑)。

本人らは嫌がるでしょうが・・・。

でも、そんなロープレが
責めるだけの機会になってもダメですが、
成長には「現実を直面する」
そんなステップは大事なわけで、

その立場においての
各々の現実を直面することも
実は各自その「役割」の中にあるわけです。

それは、立場が上にいくほど
その現実は実績や数字に反映し、
立場が下にいくほど
その現実は勤務態度や姿勢に反映します。

だから、実績が出せない上司は
評価されにくく、
遅刻が多く挨拶ができない部下は
評価されにくいのです。

厳しいけどこれは各自の「役割」と思えたら
それを受け入れる覚悟もできるわけで、
そうしたら人間関係での悩みも
かなり減っていく会社になっていきます。

①自分の「役割」を定義する。
②その「役割」を演じてみて客観視してみる

こんなワークも1年に1回くらい
社長も部長も社員も
会社のみんなが笑って
ロープレできる会社になれたら
それが実はみんなが所属したい魅力ある会社に
近づいているのではないでしょうか?

うまくいかないことの原因は
他人ばかりにあるのではなく
自分の中にも最もあるといった事実を
直面できる人って本当カッコいい大人ですね。

そうなりたいと思っています。

さて、これは今から26年前での
成人式での私の写真(笑)。
体重も26kgくらい
痩せてるようにも思います(笑)。

何故、ハリセンを持っているかはさておき
この時代、男の人生は
40代が一番カッコいい!と
ずっと思っていました。

今年、47歳になります。
私はあの頃、描いていたような
カッコいい40代を過ごせているのでしょうか?

それでは、これから私の大好きな
自問自答をしようと思います・・・・・・。

ご清聴ありがとうございました(笑)。

クリスマスプレゼント

今日はクリスマス・イブですね。
娘たちにはサンタクロースが来るようで
うらやましい限りです。

ちなみに今日は家族で
クリスマスパーティーをしますが、
私は奥様より大量の唐揚げとポテトを揚げる
ミッションを頂いています(笑)。

仕事終わり次第、取り掛かります。

今月はたくさんの本を買い込み
移動中や時間をみては読書しています。
先日、ものすごい納得した言葉がありました。

組織内の色々な人の意見を聞いて、
それらをまとめて方向性を決める際に
大変なときがありませんか?

全く歩み寄ってくれない人がいたり、
自分の都合を一方的に押し付ける人がいたり、
すぐに感情的になる人がいたり・・。

そんな中でやたらと正論を
言ってくる人がいるのですが、
この人が本当、タチが悪かったりします。

ちなみに反論が正論であればあるほど
話って、こじれていくんですよね(笑)。

多少の融通性を持ってくれたら
歩み寄れあうのですが、
正論を言う人は歩み寄る気が無い人が大半。

なので、ほとんどのことが決めきれず
うやむやで終わってしまったりします。

これが会社や組織内のことなら
なかなかルールや約束ごととして決まらず
何年経っても問題として残っていることも
多いのではないでしょうか?

レス・ギブリンさんが書いた
「人望が集まる人の考え方」を読んでたら
こんな風に書いてありました。

人間関係における物の道理とは、
相手に正論を振りかざすことではなく、
相手の自尊心を満たす方法を実行することだ。

これを読んで「なるほどな~。」と
一人で感心していました。

こう言われたらその通りなんですけど
こんな簡潔な一言で伝えられることに
本当、感動すらしました。

相手に敬意がなければ
その言葉に心もなく、
上っ面の表現になってしまいます。

それが勝ち負けにこだわる姿勢が
前提であればあるほど
なかなかまとまりません。

高圧的な経営者や上司にこの傾向が強く、
それでは風通しのいい会社にもならないし
まず社員が育ちませんから。

本当、正論って難しいですね。

ここだけの話、
今まで私はこういった正論を振りかざして
聞く耳を持ってくれない人のことを
「正論バカ」(失礼)と呼んで
半ば諦めていたのですが、

これからはそんな人達に
「あなたの意見が正論であっても
それを説く前に、まずは相手を認めてあげる
大人な姿勢になってもらえませんか?」と
伝えてみようと思います。

正論を言う人は
勝ち負けにこだわる考え方な人が多いですが、
そこを非難する前に
その正論を言う人の自尊心も満たすことも
大切なわけですから。

大切なことに改めて感じられて
年末にいい気づきをもらえました。

私にとってこの気づきを強引に
自分自身への「クリスマスプレゼント」に
しようと思います。

大人のクリスマスプレゼントって
味気ないですね(笑)。

まぁ、何はともあれメリークリスマス・・・。

謙虚に生きると言うこと

朝、姫路の気温は11℃。
朝一に粗大ゴミを捨てに行ったのですが、
短パン、裸足、サンダルで行ったら
すれ違う人に二度見を3回されました(笑)。

11月になってから研修や集まりで
懐かしい方々とお逢いする機会が
3回ありました。

その中で改めて思ったことがありました。
それは、やっぱり人間は謙虚に
生きないといけないなって話。

先日、5年ぶりや10年ぶりに
お逢いする人がいました。

変わらず、元気に笑顔で接してくれる人。
普通に挨拶だけされる人。
なんだかよそよそしい人・・・・などなど。

いろんな方がいましたが、
久しぶりにお逢いしたその人は
なかなかの無礼でした(笑)。

昔も丁寧な方でもなかったですが
久しぶりにお逢いしたので
私からご挨拶したのですが、
知らん顔されました(ビックリ)。

その以後も勘違いされた
立ち振る舞いが続きました。

昔からその人を知っている
一緒にいた人とも、
もともとそんな人っぽかったなと
後ではお話になりましたが、
思わず「えっ?」ってなりました。

親の後を継ぎ、社長になられ、
偉くもなられたのでしょうが、
職歴もですが、
年齢もその人、ちなみに年下です♪

まぁお逢いすることも
ほとんどないのでいいのですが、
さすがにこれはマズイなと・・・
他人事ながら心配になりました。

低姿勢な事だけが謙虚とも思いませんし、
自信がある立ち振る舞いが
謙虚でないとも思いません。

でも歳を重ねて、
なおかつ偉くなったのなら
なおのこと「謙虚さ」って
大事なことだと思います。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ですね。

お客さん商売ならなおのこと、
お逢いしたときに
お話して気持ちいい人でないと
なかなかその後は続きません。

会社の看板がデカかったり、
親の威光もあれば、あるところまでは
有耶無耶にできますが、
ただこれは長続きしないんですよね。

丁寧さにかける。
謙虚さが無い。
それで苦戦、苦労されている
二代目社長さんは本当によくお逢いします。

子育てに似てますが、
それって、やっぱり先代(親)が
逃げてはいけない宿題だと思います。

自分自身に置き換えても
「人の振り見て我が振り直せ。」

子育てにおいても
自分自身においても
今一度、謙虚さについては
きちんと気をつけていきたいと思いました。

「会議」で一番大事なこと

ドラフト会議も無事終了。
10月も終わろうとしています。

あんな特殊な会議もないですが(笑)、
やってみたい気がしないでもないです。

先日、ある会社さんにお伺いしたとき
会議の司会をしていました。

スタッフの皆さんから様々な意見が欲しくて
どんどん意見をだしてもらう展開に。

もちろん仕事の会議なわけですから
皆さん真面目な意見を出してくれます。

でも、企画会議や商品開発会議って
ちょっと不真面目なくらいでいいので
もっといっぱい意見を
出してほしいと思っています。

ありきたりな意見ばっかりでは
ありきたりな結論しか出ず、
斬新な結論は突拍子もない意見が
大きなヒントになって
新しい方向性が生まれるのが常です。

アメリカのGE社家電製品開発会議で
有名なエピソードがあります。

「トースターって使わないで閉まっておくと
ネズミが寄ってきて、衛生上よくないから
ネズミ捕りつきトースターはどうですか?」

会議でこんなふざけた意見がでました。

そんな意見に「まじめにやれ!」とは怒らず
こんな感じで進んでいきました。

「アホなアイデアだね。
ところでなんでネズミが寄ってくるの?」
とその社員に上司は質問をしました。

「パンくずが残っているからですよ。
あっ!!!! だったら、
パンくずがたまらないトースターって
作れませんか?」

「そ、それだよ!!」

こうしてGE社のトースターは
大ヒットして、世界中で売れたそうです。

アメリカでは、その分野を知らない
素人に会議に参加してもらい
自由に発言してもらう会議の手法も
あるそうです。

そういえば、昔、私も
新しい商品を考えるときや
みんなの前で話した内容が適正だったか、
部下をきちんと叱れていたか、
(怒るではなく叱るができていたか)
部下をきちんとフォローできていたか など

それを隣で聞いていた
その業務には直接、携わっていない
パート社員の女性のスタッフたちに
いつも確認していました。

彼女たちは結構ストレートに
「問題なかったと思います。」
「あれはもうちょっと言い方があります。」
アドバイスくれたので助かりました。

(組織における女性の立ち位置に
「母親のように遠慮なく言ってくれる」要素は
とても大きいと思っていました。)

日本でも村おこしの成功の秘訣は
「若者、よそ者、馬鹿者」が鍵を握るとも
言われているそうですね。

シャッター商店街を復活させたエピソードに
よくそんなニュアンスがあるようにも思います。

なので、会議は
いつも活気ある場でありたいですね!

とはいえ、
「ウチの会社の会議は元気がない。」
「長いだけで無意味」
「社長が一人で話してるだけ。」
そんな声も聞きます。

会議を意味あるものにするのは
参加した社員全員が傍観者にならず
意見をどんどん言うことが大事。

その場では言わないくせに
終わってからグズグズ言ってることが
元気なく、意味無く、誰かだけのものに
なってるということを
全員が真摯に受け止めてくれたら
一瞬で変わるのにな・・・と思ってます。

ただ、これをストレートに言うと
痛いところをつかれるのか
みんな逆に無口になるので
うまく伝えることを
いつも気にしています(笑)。

ニホンゴ ッテ ムズカシイナ・・・。

(ちなみに途中のお話は
ひすいこたろうさんのコラムから
引用させてもらいました。)

<追伸>

先ほどいったような町おこしの一環。
実際歩いて見かけた大阪の
シャッター商店街の各店のポスター。
秀逸すぎて腹かかえて笑いました。
せっかくなので何点か最後にご紹介。

可愛げ

急に冷え込んできました。
季節の変わり目は体調を崩しがち。
みなさん、気をつけてください。

さて、読書の秋ということで
ここ最近は時間があれば、
ずっと本を読んでる森下です。

今更かもしれませんが、
先日、田中角栄さんの本を読みました。

強面なこともあり、
我の強い横暴な人といった
イメージが強かったのですが、
本を読んでみて、
とても魅力のある生き様を知り、
結局、3冊ほど田中角栄本を
一気に読んでしまいました(笑)。

改めて考えたら、
なにかしらの魅力が無ければ
ここまで伝えられる政治家のわけもなく、
当たり前といえば当たり前なんですが、
感心すること箇所が多々ありました。

お金の面で疑惑な部分や
何より賛否両論な人ですが、

自分の懐を肥やすための私欲というより、
お金は政策を実現するための方法論でしか
ないようにも感じられましたし、
(現に公では派手でも、
私生活は質素であった言い伝えも
あるようです。)

どうやったら新潟の地元の人が
暮らしやすくなるようになるか、
どうやったら日本中のどこでも
暮らしやすくなるようになるか、

そのことを一心に思っていた
真っ直ぐさに結局、周りは
理解してしまうのでしょうね。

そんな田中角栄さんは、
類まれなるリーダーシップがあり、
存在感も行動力もあり、
とてもない大物なわけです。

でも、読んでて田中角栄さんの
一番の魅力はこういった部分でなく、
表現は不適切かもしれませんが、
「可愛げ」があることだと思いました。

周りはその「可愛げ」に
やられてしまうのでと思います。
「人たらし」といったほうが
いいかもしれません。

(「人たらし」って言葉は元々、
「人をだます」っていう悪い意味で
日常では「媚びる人」「八方美人」
なんてニュアンスが強いですが、
私は「可愛げ」って意味が
一番大きいと思ってます。)


(元祖 人たらし)

目下の人にも詫びれる度量の広さ。
政敵であろうが亡くなったら、
葬式には真っ先に駆けつけ涙する様。
子どもような負けず嫌い。
自分の弱さを認め、隠さなかったこと。

ボスとして君臨していても
大物政治家が相手でも
地元の農家のおばあちゃんにでも
誰にでも接する態度が同じであり、

その率直な人間の姿に
誰しもが尊敬の念を持ちつつも、
「可愛げ」を感じたのではないでしょうか?

実は、名をなしたリーダーの人って
結構、みなさんこういった
「可愛げ」があって、
部下や家族など周りの人から
愛されたエピソードが多いのも
同じことのように思います。

ちなみに現在、スーパースターで
素晴らしい実績を出しているのに、
目上の人も、年下の人も
誰もがカワイイと思ってしまう
「可愛げ」のある人って
この人ではないでしょうか(笑)?


(エンゼルス 大谷翔平選手)

とはいえ、「可愛げ」だけでは
リーダーには絶対なれないわけで、
統率力も覚悟もあってこそです。

最後に田中角栄さんが
1962年大蔵大臣に就任したとき、
大蔵省の面々を前にした演説を
最後に書いておきます。

存在感も 経験も 考え方も大事ですが、
自分の想いをこのような言葉で
相手に伝えられることは
とてもスゴイことです。

大卒のエリートから見れば、
学歴がないリーダーは見下されることも
多くあるかと思います。

しかし、親分とは
そんなことでは決まるものではありません。
それが分かるこの名演説。
私はこれ読んだときグッときました。

「私が田中角栄だ。
小学校高等科卒業である。

諸君は日本中の秀才代表であり、
財政金融の専門家ぞろいだ。

私は素人だが、
トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、
いささか仕事のコツを知っている。

一緒に仕事をするには
互いによく知り合うことが大切だ。

われと思わん者は誰でも遠慮なく
大臣室にしてほしい。

何でも言ってくれ。
上司の許可を得る必要はない。

できることはやる。
できないことはやらない。

しかし、すべての責任は
この田中角栄が背負う。

以上!」

田中角栄、44歳のときの演説。
(宝島社「田中角栄という生き方」より抜粋)

天才と秀才の違い

この夏の天候は極端ですね。
台風が続いたと思ったら、
合間はあいかわらずの酷暑。

みなさん、体調管理には
気をつけてくださいね。

さて、今日は天才と秀才は
一体、何が違うのだろう・・・ってお話。

というのも仕事柄、
いろんな人に出逢ってきました。
スゴイなって思う人は
どちらかのタイプにわかれるわけで
その違いってなんなのかな?と
思うことが多くあります。

ちなみに先日、この人は
天才タイプだなと思う人がいたので
書くきっかけになりました(笑)。

みなさんはどんな違いだと思われますか?

個人的には
天才は
「努力しなくてもできてしまう人」
秀才は
「努力した結果、できるようになった人」
ってニュアンスが一般的には
多いように思います。

でも、もちろんのこと
天才型のタイプの方も人の何倍も
努力をされているんですよね。

成果=「質」×「量」
の計算式でいう「量稽古」は
天才も多くしていて当然なわけです。
(そもそもたくさんの量をこなせる
心の強さが天才である
由縁だったりしますから(笑)。)

400勝投手の金田さんは
誰よりも走り続けたと言いますし、
アントニオ猪木さんも道場では
誰よりも練習したと言われます。

将棋の羽生さんでも
落語の立川談志さんでも
どの世界の天才や名人たちは
みなさん努力家であったのは事実です。

では、天才と秀才って
一体、何が違うのでしょうか?

努力できることが天才と言うなら
秀才ってなんていえばいいのか
わからなくなります(笑)。

私は「天才」とは
どうやったらその結果がだせたのか
説明が言葉でできないけど、
素晴らしい結果を残せる人で

「秀才」とは
どうやったらその結果がだせたのか
説明が言葉や絵でできて
素晴らしい結果を残せる人

っていうことかなと思っています。

もっと簡単に言ったら
素晴らしい実績、結果を出せた人で
「人に教えられる人が秀才で
人に教えられない人が天才」
ってことですかね・・・。

例えるなら(想像ですけど)
「どうやったら内角の速い球が
打てるんですか?」と聞いてきた選手に

「ビュッ!ってきた球は
ズバッ!と打てばいい。」
という長嶋監督と

「配球を読み、肘をたたんで
コンパクトに振る練習をしたらいい」とか
「まずは緩い内角球を芯にあてることから
やってみたらいい。」とか
「わざと外角球はバットをふらず、
内角球を大振りして内角を狙ってるように
みせかけて相手に内角を投げさせなく
すればいい。」みたいなアドバイスをする
野村監督の違いでしょうか(笑)?
(あくまで私の想像ですけど♪)

天才の人が指導者になったとき
なかなか結果をだせない部下には
「どうして出来ないんだ?」って言うことが
多くはないでしょうか?

「簡単なことだろう?」と
自分がたやすくできたので理由がわからず
相手を責めることが多いように思います。

でも、これをされたら特に若い人は
萎縮してできなくなってしまいますよね?

「名選手、名監督にあらず」の
最たる理由はこれだと思います。

アメリカは、選手自体の実績と
指導者の能力はあくまで別らしいですが、
日本は選手時代の実績がないと
選手に舐められ指導できない背景があります。

以前にも書きましたが
だからこそ指導者は技術はコーチが教え
監督は人格を教えるべきなのですが
監督が専門外の技術論に口を出し始めたら
そのチームの人間関係は
壊れていくことが多いと思います。
(監督を社長、コーチを上司、
チームの会社に置き換えたら
分かりやすいです)

また、天才タイプは若くして
結果を出せた人がほとんどですが、

秀才タイプは最初は
全然、結果が出せなかった人が圧倒的多く、
それであるがゆえ
経験の浅い人や能力の低い人の底上げは
上手だったりします。

自分ができなかったのに
できるようになったのだから
できるようになるコツは教えられますから。

私は若い頃、全然
結果は出せませんでした。
disられることもたくさんありました。

その中でいろいろな方と出逢い、
いろんなことを知る縁に恵まれ、
なんとかやれるようになりました。

自分を秀才というのは
恐れ多いですが、
できるようになっていけたのも事実です。

難しく言おうとすれば
さも難しくも言えますが、
簡単に言うのなら
コツなんて何個かしかありません。

ただ知ったらすぐ出来るものでもなく、
それをどう自分にあった型なり
言い方などの表現方法にするかは
人それぞれなわけです。

会社として、個人としての
形付けを希望される方は
いつでもお声掛けくださいね・・・
と最後にアピールしておきます。

これが私の仕事なので
最後に売り込んですみません(笑)♪

人生の教科書

台風がいつもと違うルートで
日本列島直撃しています。

幸い姫路は早朝の2~3時間ほどで
おおよそ通り過ぎてくれました。
被災地方面に向かっていますが、
災害がでないことを祈念いたします。

自然災害には準備や予防はできても
これといって対処の答はわかりません。
人間関係も同様のようですが、
先人たちの書物などから
ヒントやもしかしたら答かな?と
いえるようなものがあったりします。

私にとってそんな「人生の教科書」
ともいえる1冊の本があるので
ご紹介させて頂きます。

この書物は、
明治5年に初編が発行され
明治9年に十七編まで続いた作品。
これが明治13年に1冊の本として
出版されて70万冊が売れた
当時10人に1人が読んだとされる
大ベストセラー作品です。

そもそも最初は小学校の教科書として
書かれた諸説もあります。

この本の名前は「学問のすすめ」

お札で有名な福沢諭吉さんによって
書かれた本です。

この本は
「天は人の上に人を造らず、
人の下に人を造らず」といった言葉から
始まっているのは有名なお話。

この言葉を聞いた多くの人は
「人は生まれながらにして皆、平等」
といった感じで受け取られますが、実際は
「生まれながらにして貴賎、貧富の差はない。」
と言いつつも
「とはいえ、人間には違いはある。
それは学ぶか学ばないかの姿勢の問題で
きちんと学問を学ばなければ
地位もお金も差が開いてしまうから
学び続けなさい。」といった内容です。

生きていく先には様々なことが起こるけど
それらは全て学問によって
自らの受け取り方が変わっていき
乗り越えていけるといった内容。

今の時代でも通用する普遍的な論理ばかり。

なので、ど真ん中の正論や
聞いててぐうの音も出ない耳の痛い話、
みもふたもない反論のしようもない話が満載で、
読んでて思わず笑ってしまいます。

「どうして税金おさめないといけないか?」
と言った問いには
「税金を納めることで
国家は安全保障をする。
法律をつくり、悪人を罰して善人を守る。
盗賊や人殺しの心配なく生活できる。

これらを自分だけで守ろうとしたら
多額のお金がかかる。

なので国民は気持ちよく
税金を払うべきだ。
少しのお金で安全を買えるなんて
これほど安い買い物はない。」
こんなニュアンスで解説してくれます。

(だからこそ税金は、
「安全」「福祉」「支援」などに
きちんと使ってもらいたいわけです。
今なら「災害支援」などにもっと
使って欲しいです。)

「自由とわがままの境目は何?」
と言った問いには
「他人の害となることをするかしないか」

「勇気とは何か?」と言われたら
「ただ読書して得られるものではない。
読書は学問の技術であって、学問は物事を
なすための技術にすぎない。
実地で事にあたる経験を持たなければ、
勇気は決して生まれない。」
と言われています。

そして、次のような話もされています。

「知恵がないのが極まると
恥を知らなくなる。
世の中の法律を頼りにして、
身の安全を保って社会生活をしているにも
かかわらず依存するところは
依存しておきながら、都合が悪くなると
自分の私利私欲のために法律を
破ってしまう奴がいる。
矛盾していないだろうか?」

「法律が厳しかったり、
寛容だったりするのは
ただ国民に徳があるかないかによって
変わってくるものである。」

「法律を守るのは人民の責任。
しかし、学問がなく、物の道理も知らず、
食って寝るしか芸がない人間がいる。

無学のくせに欲は深くて、
ぬけぬけと人をだまして、
法律逃れをする人間がいる。

国の法律がどのようなものか
ということも知らず、
自分の仕事の責任というものも果たさず、
子どもは産むけれど、その子どもを
きちんと教育するというやり方も知らない。
いわゆる、恥も法も知らないバカ者である。

その子孫が繁栄したとすれば、
この国の利益にはならず、
かえって害をなすものであろう。

このようなバカ者は、
とても道理をもっては扱えない。
不本意ではあるけれども、力で脅し、
一時の大きな害を防ぐほかにやり方がないと
いうことになってしまう。
これが世の中に
暴力的な政府がある理由である。

そうだとするとある国の
暴力的な政治というのは、
暴君やとんでもない官僚のせいばかりでない。
その大元は、国民の無知が原因であって、
自ら招いた災いとも言える。」

「また、国によって定められた法は、
たとえバカバカしいものでも、
たとえ不都合なものでも、
これを勝手に破っていいという道理はない。」

「そのようなときは、今すぐ学問に志して、
自分の才能や人間性を高め、
政府と同等の地位に
のぼるようにしなければならない。」

こうやって何事をなすにも
常に学問が必要と切り返し、
学ぶべきであると説いているのです。

こういった内容を率直な言葉で
誤解をおそれることなく書いた書物。

読んでてあまりにも図星なことに
笑ってしまったり、
ちょっと心が折れたりもしますが(苦笑)
納得しつつ耳を傾けてしまいます。

そして、こういった話をこんな感じで
言葉、文章に落とし込めるところに
とても感心してしまうのです。

人によっては素直に
耳を傾けれない箇所もあるでしょう。

でも、生きていくうえで参考になる
道標にもなる言葉が満載で
初めて読んだのは10年くらい前ですが、
今もたまに読み返してしまうのです。

何よりこの本を明治時代初期に
書いていること自体、ビックリします。

男尊女卑の不合理なことや
DVを問題にする者がいなかったのか?と
疑問を投げかけたり、不倫への批判や
子どもを産まないこと、
授からないことへの労わり、
そして親孝行のことなど
今の時代でも通じる考え方が満載。

この時代でも是非ベストセラーになって
たくさんの人に読んで欲しい本です。

筋の通った一貫性ある表現に
魅了されると思います。

今回の記事は
ちくま新書 齋藤孝さんが訳された
「現代語訳 学問のすすめ」を参考に
書かせてもらいました。

是非、ご興味をもたれた方は
この本で読んでみてください。