「名前がついて 初めて意識する」

「何事も呼び名がついてしまうと
人々は強く意識するようになる。」

落合博満さんの本を読んでて
何気に胸に引っかかった言葉。

名前が定義されることで
曖昧なものが明確になり
いいこともあれば悪いこともある。

病気なんかがその最たるもの。
呼び名ができることで自覚もできるけど
おおげさにしなくていいときでも
体が悪いことにされてしまうのも
どうなんだろう?と思います。

外国人に「肩こり」の人がいないと
聞いたことがあります。

でもこれは「肩こり」が
日本人特有の症状でなく
海外には「肩こり」に変わる言葉がないので
自覚できないからだそう。

日本に来て「肩こり」という言葉の存在を知り
「肩こり」の症状を認識した時に
外国人の中にも「肩こり」に悩まされる人が
生まれてくるようで、
なんとも興味深い面白い話。

日々の生活でもそうですよね。

呼び名ができることで早期発見ができ
自己確認ができることもありますが、
わざわざ呼び名をつけることで
不安にさせて何かを売り込んでくるような
悪意ある人も結構いますから・・・。

またその相手が善意と思いこんで
断っても売り込んでくるときに
一層めんどくさいことにもなりがち(苦笑)。
(親戚のおばちゃんに
こんな人いたら困りませんか?といえば
ニュアンスが伝わりますかね(笑)?)

例えば、〇〇ハラスメントという呼び名も
悪意ある人間から身を守る為のものや
ルール違反する人への対抗であればいいですが、
果たさなければいけない責任を
果たせないときの正当化や言い訳になると
言葉だけが独り歩きして
ややこしい感情論だけになるような気もします。

とは言え、定義やルールは言葉にしないと
お互いが意味を意識しにくいので
きちんとしたほうがいいと思いますが、
誰かだけが得をするような
偏ったものにはならないようには
気をつけてやっていきたいものですね。

よき人間関係はプロレスである。

今年も後5日で終わりです。
1年過ぎるのは本当に早いですね。
今年を振り返り、新しい抱負を胸にして
来年、新しいスタートを切れるように
1年のまとめをしています。

昨日はクリスマスでした。
今年は24日のイブではなく
25日に家族でパーティーをしたのですが
子どもは学校、奥さんは仕事だったので
晩御飯は私が一人で作りました。
一人でキッチンに立ち、楽しい時間でした♪


(昨晩のご飯です。いい感じでしょ?)

皆さんのお子さんはいつまでサンタさんを
信じていましたか?
我が家の2人の娘は、小6と小4なので
さすがにサンタさんは誰なのか
もう知ってはいるのでしょうが
まだお互い、トボけたままの状態です(笑)。

なので24日の夜、クリスマスツリーの下に
未だにプレゼントを置いています。

私が幼かった頃は枕元におもちゃを
置いてもらってましたが、
小3の秋頃に不意に父に
「サンタの正体って知ってるん?」と聞かれ
「うん、父さんやろ?」と答えた瞬間から
サンタさんが来なくなりました(笑)。

12月にプレゼントの希望を言ったのですが、
「サンタさんがいないこと知ってるんやから
もう今年から来ないやろ?」と
父に拒否されたあの日から
自分が親になったら我が子にもしてやろうと
企んでいるイジワルを察知しているのか
娘たちはいまだに面と向かってサンタの正体を
言ってこなかったりします(笑)。

でも、お互い知らないフリして
いい意味でとぼけてやり取りする
プロレス的な関係ができていることを
実はこっそり親として喜んでいます。

何故なら円滑で楽しい人間関係は
プロレスができないとうまくやれないので
それを幼いうちから教えられているからです。

(ちなみに私はプロレス大好きな側から
発言していますので、揶揄ではなく
愛を持ってプロレスに例えています♪)

真実だからと言って
ズケズケ言っていいわけではありません。
自分が正しいからと言って相手を責めて
やっつけていいわけではありません。

そんな感じでお互いの意見を尊重し、
受け合いながら関わっていくことが
できるように育てているつもりなので
それが実感できる機会なのです。

父ちゃんのことを傷つけないように
気を遣っているだけかもしれませんが(笑)。

例えば、同じ友人達と呑んでたら
同じ昔話を繰り返すときも多々あります。
それを鬼の首を獲ったかのように
「前にその話は聞いた。」と
話の腰を折ってくる人ほど
会話がつまらなかったりしますし(笑)、
一緒にいるのがしんどくなったりします。

それを笑って聞いて話しさえすれば
楽しい時間が過ごせるわけで
同じ話でもそれを受けて膨らませれる方が
人生100倍楽しいのになと思うわけです。

正しいか正しくないかといった基準だけで
判断する「正論バカ」にはならないように、
相手を立てていい意味でやり過ごせるように
時にはサンタの存在をとぼけながら
やりとりできるような術を身につけれるように
もうしばらくの間は娘達ともトボけて
クリスマスを過ごしてみようと思っています。

とは言え長女は来年、中学生。
もう今年で終わりなのかもしれません(笑)。

年内のブログ更新はおそらく今回が最後かな?
今年一年ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
皆様にとってご多幸ある1年でありますよう
心から祈念申し上げます。

リーダーの器

先日、面白い話を聞きました。

銀行の世界で
「成功する支店長」と
「失敗する支店長」の違いは何か?
といったお話。

以前の金融関係の仕事が勢いがあった頃。
銀行は各地にまず営業所を作って、
軌道に乗れば営業所は支店と変わり、
所長は支店長になっていったようです。

所長は営業所立ち上げするときに
それまでの店舗から部下を一人自分で選んで
連れていけたのですが、
成功した支店長は同じような理由で
人選をしていたとのこと。

どんな人を連れて行ったと思いますか?

成績が優秀な人?素直な人?とか
いろんな人物像が頭を浮かびましたが、
成功した支店長が連れて行った人は
意外にも「一番嫌いな部下」だったようです。

もちろん致命的な問題がある人とか
人としてどうしようもないのは別でしょうが、
一番嫌いな部下は、だいたい考え方や
性格が違う人であることがほとんど。

気が合い同じ方向を向いている部下の方が
なにかと楽ではありますが、
見落とす部分や新しい発想が生まれにくい。
馴れ合いになったり
お互いが気遣えなくなることもしばしば。

何より一番嫌いな部下を連れていくのは
傍目に見ても器量がある証拠。
結果、支店長として成功して
本店に戻っていくわけです。

方向性や方針が確立されている組織なら
同じような価値観の人もいいでしょうが、
新しく道を築いていくときは
違う方向を見ている人も多い状態なら
方向を定めていくためにも配慮や
緊張感もあって成果がでるのでしょう。

「組織はリーダーの器以上にはならない。」

この言葉も同じような意味だとすれば
自分の器を広げるためにも
嫌いな部下をも受容できることには
歳だけ食った親分にならないためにも
チャレンジしないといけないですね。

「共感力」

来年2021年で社会人になり四半世紀。
時間の速さに一人で驚いています(笑)。

1996年3月末に瀬戸内海に浮かぶ島にある
研修センターで始まった私の社会人生活ですが
この25年で働き方もいろいろ変わりました。

当時ハウスメーカーに就職したのですが
夜なんて全然帰れません。
日曜日は帰る時間がだいたい午前2時(笑)。
21時や22時に帰れる日なんて帰って
何をしようかとワクワクしたものです。
(はよ帰れ!ってツッコミ)

例えばこの時代の働き方の根底は
終身雇用制、先行序列制でした。
そんな考え方も年々薄れていき、
今は育児休業制度も充実し、
フレックスタイム等の勤務時間の選択、
女性や外国人の積極的な採用、
パワハラやセクハラなんて言葉も生まれ
働き方の考え方が大きく変わりました。

こういった時代の流れには賛成。
少しづつでも、よりよく働ける時代に
なっていく流れはいいですね。

そもそもこれまでの生活用品や暮らし方の
よりよいものを作ろうとしても
そのヒントや答えは、
日常の家事や付き合いなどを
メインでやってきた女性の意見や
仕事以外でご近所や保育園の先生、PTAなどの
人間関係も付き合ってきたパパママの方が
実際、持っていると思います。

しかし、そんな商品を作るのは
リサーチはしてデータがあるとしても
実際使ったこともなければ
経験もしていない先生方や年配の男性が
作っていくことにはどうも無理がありませんか?

日頃、家事なんて親や家政婦任せでやらず
身なりは小綺麗にしている女性や
毎日、家事をし続けたことも
同時進行で限られた時間に家事したこともない
男性が暮らし方の何かを考えたとしても
申し訳ないですがピントは外れています。

要はそういった人のアドバイスのほとんどが
「やりやすくなったんだから文句言うな」
みたいなニュアンスでしかなく、
「やることの大変さや日々の頑張りへの労い」
がないことが大半です。
それでは根本的に何ひとつとして
満足度は上がらなく、変わらないわけです。

だから、これからの時代は
女性をもっと採用、登用して意見を聞くことも
大事といったことなのでしょうが、
登用したからOKではないですよね?

働き方などを改革することは
今までのやり方を変えることも大事ですが
一番大事なのは受け入れる男性側の考え方、
経営者や上司になる男性側の考え方です。

自分達とはやり方、考え方が違うことを理解し、
新しい考え方を受けとめる度量が無い限り
新しい人材が力を充分に活かすことは
できないように思います。

要は、相手の意見を聞くフリはするけど
採用せずに自分の意見を通すだけで
何も変わらない、何も発揮できない
やっててしんどいだけのことにしかなりません。

売りたい相手と同じような気持ち、感覚になって
何かを作らない限りは、相手が喜んで
選んでくれることは厳しいですから。

人は、感覚的に物を買い、
その購買を納得(正当化)するために
理屈(言い訳)を用いるのだそうです。

物を買う時は、好き嫌いといった感情で
人は判断するのなら売る方にとって
共感力は不可欠なもの。

共感とは相手を理解して成り立つものならば
1回経験したらいいのではなく、
誰かにいろいろ話をきいたらいいのでもなく、
繰り返し自分もそのことを体感し続けて
初めて相手に寄り添えるアドバイスが
できるものだと思うのです。

これからの働き方におけるポイントは
これから働いていく若者ではなく、
受け入れる会社、上司側が大きいです。

お客様に新しい商品開発するのも
新規採用して人材を育てていくのも
受け入れる側の共感力が最も大きいのでは?と
私自身、仮説を立ててこれからいろいろと
検証していきたいと思っています。

もし、違ってたらすぐ方針は変えますが(笑)。

時代は繰り返される

今回は、笑ってしまったお話を一席。

年齢が50歳に近づいてきました今。
昔の友人達と久々に出逢って呑んでいると
どうしても「近頃の若い者は・・・」的な会話に
なりことが増えてきました。

若い頃、上司に言われたらムカついてたのに
その世代になったら同じことを言ってることに
妙に恥ずかしくなったりします(苦笑)。

自分達も若い頃は未熟で自分勝手だったくせに
そんなことは棚に上げて
「俺たちはそうじゃなかった。」と
思い出を都合よく塗り替えてるのでしょうね。

ピラミッドの壁画に刻まれた文だったかな?
随分昔に読んだ本に
古代の文字を解析したら
「近頃の若い者は・・・」といった文があった話を
読んだことがありました。

「いつの時代も一緒なんだな・・・。」と
他人事(笑)のように知ってはいましたが、
似たような話が他にもあり、知って笑いました。

1986年の新聞にこんな記事が掲載。
現在、50代になって若者に愚痴っている
「新人類世代」のおじさん達が
新入社員だった頃、当時の上司たちから
こんなことを言われてたそうです。

「残業を命じれば断るし、
週休2日制は断固守ろうとする。
だから、仕事は金曜日の夕方までに我々上司が
手を貸して片づけさせるしかないんです。」

「社費留学で海外にやると、帰国した途端に
会社を辞めてしまうので、期間を短くしたり
帰国後にノルマを課したりしています。」

「・・・・・・・・・・。」
要は、いつの時代も
若者は似たようなものですね(笑)。

300年前、江戸時代中期の書物で
「武士道と云うは、死ぬ事と見つけたり」で
有名な「葉隠」にもこんな記述が・・・

「昨今の若者(武士)は、すべてにわたって
消極的で、思い切ったことをしない。」

「最近の男は、口先の達者さだけで
物事を処理し、骨の折れそうなことは避けて
通るようになってしまった。」

いつの時代も変わらないこの有り様(笑)。
さすがに声を出して笑ってしまいました。

歳取ったら男は下の者に
偉そうに言いたいのでしょう(笑)。

でも、こうやって見てみたら、
たまたま若くして
成功するようなケースを除いて・・・
才能があるとかないではなく、
歳を重ねていく中で、
成功や失敗など経験をいくつも経て
自分を正当化して言い訳したり、
逃げたりしなければ、
みんな若者に嘆きながらも
実績や成果、要は責任を全うしている
そんな素敵なおっさんになれるのも事実。

どんな時代でも
若者を育てる先輩はいたはずですから、
懐広く受け入れて教育、指導ができる
そんな50代になりたいですねと思った話。

でも、今、文句言いながらも苦悩して
チャレンジしている若者諸君!
時代は繰り返されるのなら30年後、
今、嫌っている上司と同じになりますから
自分だけは違うと我々と同じように
都合よく棚に上げず、頑張っていきましょう!

お互い、一度しかない人生を満喫するために。

我々おじさん世代も
一足先に反省しておきます(笑)。

(一部、東洋経済の記事から
文章は抜粋させて頂きました。)

自分の業務が属人化していないか?

気づけば、11月に入りました。
今年も後2か月で終わりですね。
最近は1年が若い頃の半年位に感じます。
今年は、やり残したことはないかな?と
なんとなく忙しくなる季節です。

先日、「属人化」の話を
株式会社武蔵野 小山社長の本で知って、
妙に腑に落ちたお話をします。

組織において「属人化」は不正を起こします。
※「属人化」とは、 企業などにおいて、
ある業務を特定の人が担当し、その人にしか
やり方分からない状態になること。
(実用日本語表現辞典より)

組織間で仕事が上手く進まなくなるときに
あの人しかできない業務が存在し始めて
ブラックボックス化することが多々起きます。

だからこそマニュアル化して
誰でもできるように整備することが
組織として大事なことなのですが、
目先の成果にならない業務なせいもあり
後回しになることが多い業務です。

(また、業務をわかりやすく明確にして
誰もが取り組みやすいものにする人こそ
評価して欲しいのですが、
そうでないのが事実です。

自分が有利な立場で居続けれるように
自分しか分からなくして誰も踏みこませず
隠蔽する人を見逃し続けて、結果その人を
チヤホヤして評価すると言った
頼りないボスが多くいるのも否めません。

また、こういったボスのほとんどは
社員たちに興味がなく、人任せな人なので
ボスがこれが大事なんだと腹をくくらないと
うまくはできないのが前提。)

小山社長は
「不正は組織のよどみの中から発生します。
ひとりの社員に長く同じ仕事をさせるのは、
組織によどみをつくることに等しい。」と言い、
人事異動を繰り返すほど、
人は定着すると言われてます。

他には、こんなことが書かれてました。

同じ部署に長くいると
「自分は仕事ができる」と錯覚する。

職場に派閥ができるのは人事移動がないから。

上司が嫌いでも課長は3年で移動するので
辞めないで我慢できる。

普通の会社は人事異動は仕事が
できない人を動かすが、小山社長は
仕事ができるNO-1の人を移動させる。
なので、人事異動の回数を評価している。
拒否したり、人事異動が少ない人は
評価を下げられているそうです。

読んでて「なるほどな~。」と感心しました。

前職の社長時代の時は、
辞めていく社員たちとは
最後にいろんな話をしていました。

上司、先輩や他の社員には
給料が安いからとか、待遇が低いからとか
もっとストレートに
「社長にはついていけないから」とか
言われていたのでしょうね(苦笑)。

ただ、私と話をする中では
新しい何かに挑戦したいとか言うも
人間関係の苦悩、
あの上司が、あの先輩が嫌だからと
いった話が多かったことも事実。

小山社長も著書で
「条件に納得して入社したのに会社を辞めるのは
人間関係の不満を解決できないから」と
書かれています。
だからコミュニケーション不足はダメだとも。

給料もどうしたら上がるのか?ルールが明確。
先が見えないことも不安だからいけない。
改めてその通りなことばかり書かれていて
なんとも腑に落ちていくのでありました。

と言っても経営者として、
きちんと前提を明確にされていることも納得。

多くの経営者は、
「能力のある人を採用すれば会社はよくなる」
と考えられますが、組織にとって大事なのは
社員の能力ではなく、価値観をそろえること。
言われて素直に実行できる人を評価するのも
本当にその通りです。

今は採用が厳しい時代。
新しい戦力でどうにかしようと思っても
アテにはできない時代です。
となれば、今いるみんなでどうやって行くのか?

「一人当たりの生産力をあげること」
「人材流出を防ぐこと」
小山社長のお話は、まさにこれからの時代に
改めて大切になるお話と思った次第。

まずは私自身は属人化して、
ブラックボックス化していないものはないか?
そのことから自分の足元を、そして周りを
見直していきたいと思います。

成長するチームに必要なのはお手本。

以前にも根本陸夫さんのお話は
書いたことがありますが、
改めて書きたくなったので記事にします。

組織には、見本と言うか
お手本になる人が絶対必要という話。

根本さんはプロ野球界で裏業師と呼ばれた人。
広島、西武、ダイエーで監督やGMを務め、
弱小球団を勝てる組織まで育てて譲り、
黄金時代の土台を作ってきた人。

導入期と言った最初の組織づくりに長けてて
そのチームマネージメント論に感動して
私は大学時代の卒論で書いたほど
かれこれ30年間位、尊敬してる人です。

負け犬根性が染みついたチームを変えるには
勝ち方を知っていて、華も影響力もある
精神的支柱になるリーダーが必要と
血の入れ替えを率先してされました。

西武時代は阪神から田淵選手を
ダイエー時代は西武から秋山選手を獲り、
土台作りを完成させたのです。

ダイエー時代の秋山選手の獲得には
かなりの出費となりました。
これからがピークを迎える
野手と投手の中心選手を出してまで
なぜ峠をこえかけた秋山選手を獲得したのか?

目先のことで考えたら
こんな入れ替えしなくても
少しは勝てたでしょうが、
数年先に優勝できるかと言えば
おそらく無理だったと思います。

何故なら誰も勝ち方を知らないどころか
勝つ喜びすら知らないのですから。

優勝することがどれだけ嬉しいか?
目標達成することがどれだけ意味があるのか?
味わったことのない人間には
どうしていいのかわからないものです。

ちなみに「甲子園出場常連校は
なぜメンツが変わっても出場し続けるのか?」
に意味合いは似ていますね。

今まで一度も甲子園に出場したことない学校は
そもそもどれくらい練習したらいけるかなんて
正確な目安を想像すらできないです。

でも、常連校になると
「甲子園に出場した先輩たちは
毎日10km走っていた。」とか
「素振りを500回してた。」とか
具体的な数値で目安が代々伝わっていきます。
これが伝統になり、みんなの行動の目標に
なっていくのですから、これは強いです。

大きな目標にたどり着くまでの
具体的な行動や練習の小さな目標が分かってて、
それをひたすら練習するのですから
みんな理にかなった根拠ある練習になり
やっぱり目標には限りなく近づくでしょう。

勝つ喜びの前にこうやったら勝てるんだと
そのやり方を知っていないと
なかなか成果はでないものですから。

ダイエーに来た秋山選手は実績も
華も優勝経験も多数あるスター選手。

「成績を残している選手は
普段どんな練習をしているのだろう?
練習態度や取り組む姿勢、みんなとの接し方。
手本となるべくして見せることを心がけた」
と言われていたのを聞いて、
長期的視野で目標達成するのなら
やっぱり核になるお手本になる人は
必要なんだと思うわけです。

併せて言うのなら
いくら今、実績があっても
チームの輪を乱したり、ルールを守らない人は
長期的にみたら邪魔なので
どこかで見切る勇気と準備はトップは必要。

とは言え、解雇することが
難しくなってきた現在では
そもそも最初にそんな人をとらないといった
採用基準が大事になってくるとも思います。

秋山選手以降も根本さんは
西武黄金時代の勝つ喜びと勝ち方を知った
石毛選手や工藤選手を獲得していきます。

そして、その空気感が変わってきてから
数年後のダイエー黄金期の主力選手になる
小久保選手、城島選手、斉藤選手、井口選手、
松中選手、柴原選手、篠原選手等を
5年間のドラフトで一気に獲得して、
赤へル旋風広島カープや
90年代西武ライオンズ黄金期と同様の
素晴らしきチームを作ったのです。

若い選手達は秋山選手や工藤選手の姿を
ずっと見ていたと秋山選手が言ってました。

この押し引きというか
タイミングと言うか本当に絶妙で
根本さんの真骨頂である「人集め」が
大きく花開いたわけです。
やっぱり凄い人ですね。
改めて、感心し大好きになりました。

あんな大きな組織と自分たちの会社を
比べること自体、無理があると考える人も
いらっしゃるでしょうが、
どの組織も利益を上げ存続していくことは
共通の経営テーマとするのなら
「お手本」は誰なのか?
勝つ味を知っていて教えてくれるのは誰?
勝ち方を具体的に知っているのは誰?

それが社長でも外部の人間でもいいのですが
そんなコーチ役が必要なのは
どんな組織も一緒なのだと思います。

組織で甘やかされたり、えこひいきされる人は
優秀だからでなく、特別扱いしないと拗ねて
面倒くさい人がほとんどです(苦笑)。

でも、本当は手本になる人こそ
特別扱いされるべきです。
でも手本となる人は、
えこひいきされることを
組織としていい事とは思わない訳ですから、
やっぱりお手本なわけですね(笑)。

トップはそんな人をきちんと誉めてますか?
お金もですけど言葉で認めてあげないと
別の場所の手本になってしまいますよ。

「あいつはそんなフォローしなくても
分かっていてくれるよ。」と言ってて
去って行った人はいっぱい見ました。

短期的視野で問題児を特別扱いせずに
長期的視野でお手本の人をいい意味で
特別扱いすることは、
黄金時代を作り続けた根本さんの根っこ。

やっぱり見習わないといけないニュアンスが
いっぱいある人です。
今晩、久々に根本さんの本を読み直します!

「縁」とは偶然な必然

昔、野狐禅っていう2人組の
ミュージシャンがいました。
解散後も竹原ピストルさんはソロで
活躍中のためご存じの方も多いかと思います。

数多く発表された楽曲の中に
「ならば、友よ」という曲があります。
この曲を先日、聴き直して
いろいろと思う事があったので
今回書いてみることにしました。

この曲は、
「夢」という言葉は、あきらめた人が
「青春」という言葉は、立ち止まった人が
発明した言葉だから
友と「夢」や「青春」を語り合うのは
死ぬ間際でいいやといった内容の
なんとも熱い曲であります。

私自身、当時の背景もあり
とても心に残った曲なのですが、
その中でずっとひっかかっていた
歌詞の箇所がありました。
そこはこんな歌詞でした。

【結局、上手いこと寝つけないまま迎えた
朝っぱらの朝っぱら
半ばイヤがらせチックに、オマエに
メールなんぞを送ってみれば
バッチリ返事が返ってきやがったもんだから
思わず吹き出しつつも、ちょっくらオマエに
本音を語ってみようかと思った】

言わんとしていることはわかります。

このような理屈じゃないきっかけで
友人と関係性が深まったことも私もあります。

たまたまタイミングがあったこと自体が
もう縁があったことなわけで、
うまくいく関係性ってそもそもこんなものだと
理解して受け止める自分もいました。

ただこれを理屈で説明しようにも
ニュアンスもあり難しい。
なかなかうまく説明できない事だったのですが
その理由をを立証してくれるような話を
知る機会がありました。

それは幸福研究をされていた
心理学者 セリグマン教授が
あなたが80歳になったときに
元気で幸せかどうかを予測する魔法の質問を
紹介してくれているもの。
それはこんな質問でした。

「あなたに朝の4時に電話をして、安心して
悩みを打ち明けられる相手はいるだろうか?」

この答えがイエスならノーと言う人より
長生きできる可能性が高いのだそうです。

ちなみにこの事実を発見した
ハーバード大学の精神科医バイヤン氏は
愛される力が大事で、人間関係こそが
幸福と長生きの鍵と言われてます。

この話を照らして考えてみたら
朝っぱらにいきなりメールを送った相手が
返事がくれたことは、偶然とはいえ
本音を語れる相手だと思ったとしても
納得してしまう話だと思うわけです。

昔、私はお客様と出逢った時や
研修でたまたま隣の席になって話した方に
「縁」とは偶然な必然を言います。
 あなたさまと逢えたこと感謝します。
とハガキに書いて送っていました。

偶然の出会いを、たまたまと取るか
縁と思って素晴らしき機会と思おうかで
人生大きく変わるように思います。

物は取りようで大きく人生が変わるのなら
自分が体験するすべてのことは
意味があることだと思って生きたほうが
楽しい気がするのは私だけでしょうか?

幼馴染や高校や予備校、大学時代の友人
社会人になったときの同期達も
すべての付き合いの中に
今でもつきあいのある友人がいます。

彼らと1年に1回づつでいいから
酒を呑みつつ、語り合える機会を
作ることが人生の肥料ならば、
歳をとったことや時間があいたことを
出来ない言い訳にする前に
まずは逢えることを大事にしていきたいです。

桜の花を見ることを言い訳にして
酒を呑む花見客のように(笑)
昔の友人とも会える心のゆとりは
いつまでも持っていたいですね。

海賊がどうして成功したか・・・

今年の梅雨は雨が続いています。
全国で大きな災害が起き、
多数の死者、避難された方がでています。
みなさん、気をつけてください。
1日も早い復旧をお祈り申し上げます。

先日、知って納得したお話。

人間関係を良好に継続するために
「信頼」や「協力」が重要なのは、
子どもでもわかる話ですが、
大人の自分が本当にそれを理解して
日々の人間関係で
実行できているかと言われたら
できていないかも?と
思ったりした先日の昼下がり(笑)。

卑怯な駆け引きしてみたり、
ささいなことだったとしても
相手を顧みない自己主張をしていないか?
自分の行動を見直してみました。

ちなみに無法者でもギャングでも
生きていくためには
「信頼」と「協力」の重要性は
知っていて接していたようです。

なかでも驚いたのは、
乱暴者に見える海賊が
どうして長きに渡り成功したかと言ったら
一番の理由は、
手下を丁重に扱っていたからそうです。

実は海賊の社会は
かなり民主的な世界だったらしく、
成果を出せば報奨金を出すし、
ケガをしたら手当てを出して補償し、
報酬ですら船長も船員も大差なく
分けあってた模様。

「もっと野蛮ではなかったの?」
「もっと上の人は偉そうではなかったの?」

そう勘違いしている人が多いでしょうが、
実際はとても大事にしあっていたようです。

ちなみに海賊の
荒っぽくて野蛮なイメージは
あくまでマーケティングに過ぎず、

いちいち戦ったり、
恐れてもらったほうが手っとりばやく
仕事が円滑に進む。

お金も戦力も余分に消費せず、
成果が出せたから楽に運営できた。

だからそんなイメージ像を作ったと聞いて
あまりにもの巧妙な戦略としたたかさに
ちょっと笑ってしまいました。

歳をとっただけで、
役職があがっただけで、
運がよかっただけで、
自分が偉くなったと勘違いしていないかな?

それが事実で
実際 偉くなっていたとしても
それが勘違いで
ただ偉そうになっていただけだったとしても
誰かを利用していいわけではありません。

成功している犯罪者であれ
利己主義は内部的に評価されないらしく、
仲間を大事にした方がうまくいくって
当たり前の話を改めて聞いたときに、
気をつけようとこっそり思った
一人のおじさんです(笑)

判断の目安を持っておく大切さ

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

【解説】
稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、
人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、
小人物ほど尊大に振る舞うものだということ。
(故事ことわざ辞典より)

成功したと言われる人と逢った時、
なんて丁寧で気遣いができる人なんだろうと
感銘を受ける人もいれば、
なんて偉そうで無礼な不愉快な人なんだろうと
二度と逢いたくない人もいます。

この違いって何なんだろう?
本人の心構え次第なのか
そうやって躾けてもらえなかったのか
大人になっても気づけないものなのかと
いろいろ思っていました。

先日、私たちの根本的な個性は
それほど変化しないことが
研究でも示されていて、
例えば、話す時の流暢さ、適応性、衝動性、
謙虚さなどは、幼少期から成人期を通して
ほぼ変わらない話を知って、
なんか妙に納得しました。

要は、よほど本人が変わろうとしない限り、
人はほとんど変わらないし、
変えることも難しいってこと。

最近は、雇用問題で
社内にいる問題社員をどうしたらいいか?
といった話もよく聞きますが、
身も蓋もなく言えば、最初からそんな人を
採用しなけければいいんです。

暴力を振るう旦那を
どうしたらいいですか?といった話なら
そもそもそんな人を恋人や結婚相手に
選ばなければよかったんです。

根本的な個性を
性質や性格に言い換えたら
それはそれほど変化しないのなら
最初からそんな人を選ばなければいいのが
一番、確実なわけです。

経歴や見た目、家柄、収入で選ぶ前に
そもそも価値観や考えが
同じ方向を見ていない相手とは
先で分かり合うことはかなり困難。

そもそも最初からそんな方法があったら
苦労しないという人もいるでしょうが、
ある程度はあるのではないでしょうか?


評価は本人でなく、周りがするものなら
周りの人に聞く耳を持つべきでしょう。
もっと言えば、親や友人を見れば
ある程度、どんな人かは
予想できるかと思います。

「言葉を信じるな、行動を信じよ。」
綺麗な言葉だけ信じず、
その人はどんな行動をとっているのか
そこをしっかり見ないで選んでは
見誤ることは多々あるのではないでしょうか?

明らかに間違うより概ね正しければいいなら
こんな方法もあります。
仮に50人面接して1人採用するなら
応募者数50人を数学定数e(2.718)で割った数
18人までを不採用して、その18人の中で
最も優秀だった人を上回った最初の応募者を
採用すれば概ね正しい結果となるようです。

これらが全て正しいかは分かりません。
でも、判断の目安にはならないでしょうか?

ネットで見かけた話。

プロのカメラマンに
「この写真みたいなステキな桜を
撮りたいんです。」と言ったら
「じゃあいいカメラ買うより、
いい場所を見つけないとね。
ロケハンなんて年中できるんだから、
冬の桜の木を見て、
春満開になった桜の木を想像しなきゃダメだよ。
場所を見つける技術ってすごく大切」って話。

素晴らしい人生のヒントをくれる
大好きなお話です。