星と星をつないで星座ができるように・・・

様々な情報を収集して調査し、
どんな性格の人がこういったブログを読むのか
かなり結果がはっきりわかったと
公表されたジャーナリストがいました。

その方はこんな風に言われていました。

「あなたは他者から好かれたい。
称賛されたいと思っているが、
自分自身に対しては批判的になりがちだ。

いくつかの性格的な弱点もあるものの、
たいていはそれをうまく補っている。
あなたのなかには、じゅうぶんに
活用されていない大きな力が眠っている。
外面的にはしっかりとした
社会人を演じているが

内心では不安になったり
自信をなくしたりしやすい。

ときには、自分が正しい決断を下したか、
正しいことをしたか深刻に悩むこともある。
ある程度の変化や彩りは好ましいと思っており
規則や制限に囲まれていると不満を感じる。
また自分の頭で物を考えられると自負しており
じゅうぶんな証拠がなければ
人の言うことを鵜呑みにしない。

しかし、人に自分をあまりさらけ出すのは

賢明ではないと気づいている。
外向的で愛想よく
社交的にふるまうこともあるが

内向的で心配性で
引っ込み事案にあるときもある。
時々、かなり非現実的な野心を抱いたりする。」

これを読んで
当たっているような気になりませんか?
自分の事を言われている気になりませんか?

読んでて確かに自分のことかも?と
思った私がいたのですが、

これはファオラー効果と言われる
「ほぼ誰にでも当てはまりそうな
あいまいなことを言われると、
それを信じてしまう傾向」だそうです。

この話は「思考のトラップ」という
ディヴィッドマクレイニーさんの本から
抜粋したエピソードなんですが
読んで思わず声を出して笑ってしまいました。

自分のことを話題にされると
人は簡単に乗せられるのだそうです。

曖昧なことでも自分に向けられていると思うと
その曖昧さを打ち消すために
その情報と自分を一致させるものを
なんとか見つけ出そうとするのが人間。

ましてやそうであって欲しいことには
なんとかそのパターンを探し始める。

星と星をつないで星座ができるように
点と点をつないで正当化していく。
確かにそうかもしれないなと納得しました。

こういった状況に一番陥りがちな時は
おそらく自分の心が弱っている時、
人生に迷っているときだと思います。

どうやって防ぐかは
弱っている時ほど判断が難しいので
日頃から気をつけておくことが大事。

そのアドバイスや方向は
心が弱る前から傍にいた人の意見なのか?
心が弱ってから登場した人の意見なのか?

そのことで自分が前向きになれることなのか?
自分が前向きになれるかどうかはどうでもよく
相手の金儲けになるかどうかでないのか?

日頃からこの背景に気づいておかないと
弱った時につけこまれてしまうのが
人生の落とし穴な気がします。

これだけネットで簡単に情報が得られる時代。
確かにそれまでの人間関係は否定できません。

しかし、傍にいて真剣で心配であるが故、
耳の痛い指摘やアドバイスをしてくる
親や親友、パートナーの意見より
耳障りのいい励ましばかりくれる
ネットの声の方ばかり信じるのも
いかがなものかと思うときも多々あります。

とすれば、やはりどれだけ日頃から
そういったことに注意し、
よい関係性で周りの人の居続けるかが大事。

困った時の特効薬や必殺技は無くて
日頃の積み重ねが自分の人生を豊かにする、
ありきたりな言葉ですが
ここに真実があるような気がしました。

楽しい毎日を過ごしていくためには・・・

ずいぶん昔の話ですが
テレビ番組でマツコ・デラックスさんが
「仕事以外に生きる価値って何があるの?」
って話をされていました。

この番組は、働きたくないって考えている
若者達との対談番組だったので
このような表現になってたのですが、
「生きる価値ってどれだけ人の役にたつか。
誰かの役にたちたいから仕事を頑張ってる。」
ってニュアンスのことを
言われていた記憶があります。

自分にとって生きている価値って何?と
当時は考えたこともあったので
この台詞を聞いたときに妙に腑に落ちました。

自分が誰かの役に立つことで
自分で自分の存在を認められる。
モヤモヤしてた気持ちが形づいた気になって
色んなこと気づいた気になりました。

その後、暫くしてからこの話を
奥さんにしたことがあるのですが、
その時に同意してくれてるようで
何か納得してない感じがしました。

少し気になったのですが、
まぁ、考え方は人それぞれなんで
それ以上深くも受け止めてませんでした。

で先日、ひすいこたろうさんの本の中で
矢野惣一さんと言う方の
「男性と女性の幸せは違う」話を読んで
この時のことを思い出したのでありました。

男性は「誰かの役に立っている」
「尊敬されている」っていう
自分に対する自信から幸せを生み出すようです。

確かに私もマツコさんも男性ですから
そう感じることは不思議ではありません。

しかし、女性は違っていていて
「大切にされている」「愛されている」
という実感から幸せを生み出すようです。

なので、男性は仕事にウエイトを置き
女性は恋愛にウエイトを置くことが多い。

このように話を聞くと
あの時の奥さんの反応も納得できました。

男性はパートナーを
大切にすることで信じてもらい、
信じてもらうことで自信を持つ。

自信を持つから誰かの役に立てて、
誰かの役に立てるから幸せになる。

自分が幸せになれるから
またパートナーを大切にできる。

大切にすることでまた信じてもらい
信じてもらうことで自信を持つ・・・・・

これの繰り返しが、
生きる価値を生むんだな。
そんなことを思ったわけです。

「信じてもらう」って大事ですね。

若い頃、反抗期で反発した時や
悪いことして学校に親を呼び出された時も
私の母親はいつも私に
「お母ちゃんはアンタのこと信じてるよ。」
と言い続けていました。

この言葉がいつも自分にとって
度を越さないブレーキになっていました。

大人になり随分経ちましたが
未だに感謝する気持ちが日毎大きくなります。

自分もまずは信じてもらえる人でありたい。
そして相手のこともまずは信じること。

そして、そうやって日々過ごしていくことが
自分自身でも毎日を意味ある楽しいものに
していく秘訣なのかもしれませんね。

「完璧さ」よりも「納期を守ること」が先。

「パーキンソンの法則」ってご存じですか?
その一つに「仕事量は完成のために
与えられた時間を全て満たすまで膨張する。」
と言うものがあります。

これって日常でもよくありますよね。

忙しい時に比べてお客様の数や
販売量、仕事量が半分になったのに
帰宅時間も遅く、残業時間も変わらない。
本当ならばその分、早く家に帰れて
きちんと休めていないといけないのに
そううまくいかないことが多い。

たまにそういった人にこのことを指摘すると
「さぼってると言いたいんですか?」と
逆ギレしてこられたり、
「以前に比べたら難しいお客さんが
多いんです。」と正当化するばかり(苦笑)。

客観的に見たら
それは「言い訳」ってわかるのですが
当事者になるとなかなか理解してもらえない。

こっちも責めたいわけではなく、
忙しい時は頑張ってもらうこともあるけど
ゆとりあるときはゆっくりもしてほしい。
メリハリをつけて欲しいから言うのですが
どうもうまくいかなかったりします。

こうしてうまくいかないときは
組織に問題があるといった観点で
見直しを進めていくわけですが、

私は組織の見直しと並行して
受け手側の考え方や価値観も
冷静に見直していかないと結局は
うまくいかないなと思っています。

成果の出ない人、評価されない人って
依頼者にとっては
「完璧さ」よりも
「納期をきちんと守ること」の方が
重要なことだと理解できていないことが
共通してるように感じます。

1週間でできることも
なまじっか時間があるので先延ばしにしがち。

忙しい時には早く仕上げていたことも
やる時間があるので長く時間をかけたほうが
いいのではと思う事が多いわけです。

クオリティが高い方がいいのは当たり前で
もちろんわかってはいますが、
一定のクオリティ以上であれば
OKな人が大半なのも事実。

20時間かけてSランクのものを作るよりも
30分でAランクを作る方を
ほとんどお客様が望まれているのが大多数。

職人の世界、芸術の世界は
「完璧さ重視」ですが
販売の世界、日常の世界では
「納期厳守」で
早くしてもらえることの方が評価されて
喜んでもらえることが
多いのではないでしょうか?

商売人が芸術家や職人だと勘違いして
失敗してしまう罠とも言えますね。

まぁ、偉そうに言ってますが、
自分もそういう時がありますので(苦笑)
言いながら自分も気をつけていきたいです。

どうしたらいいのかと自問自答したら
今までのやり方では間違っていて、
このままでは解決できないと認めること、
そんな風に思っています。

例えば、会話で相手ができていないことを
「こうしたらいいんじゃないですか?」と
アドバイスすることがありますが、
上手くいかない人、変われない人は
「それはできているんです。」と
みんな口癖のように同じことを言われます。

自分は間違っていない。
上手くいかなくなってきているけど
変わる気はない。
このままでは解決できないと認めない。
その一言で全てがわかります。

ただ、この台詞が出た時は要注意。
客観視できるような言葉がけや
問いかけ方を色々変えてみますが
なかなか伝わらないことが多い。

こうしたらいいということは分かっても
それをどう伝えるかは本当難しい。

何を言うかでなくてどう言うか?
いつ言うか?
誰が言うか?

今も修行中の森下です・・・・。

フィードバックしてもらえる人になる

先日、ある人のお話を読んで
自分なりに改めて思ったこと。

その人は親しい友人から
「君の言ってることが正しいから
みんな従っているんじゃなくて
まともに相手にしたら
付き合うのがしんどい相手だから
周りは遠慮しているだけだよ。」と言われ、
ハッとして自分の発言や態度を見直したそう。

そう見直せたその人も偉いですが、
言いにくいことをちゃんと言ってくれる
そんな知り合いがいるのは貴重です。

そう言えば若い頃に
プライドが高く、つき合い辛い人の事を
「アイツが凄いから
周りは持ち上げてるんじゃなくて、
チヤホヤしておかないと
不機嫌になられて面倒臭いよな。」って
昔、言っていたこと思い出しました(笑)。

どうしても自己評価って高くなりがちですが、
そもそも評価は他人がしてくれるものであって
自分がすることじゃない。
(なので自己評価って言葉は矛盾してますね)

50歳前になった今、よく思います。
歳をとってくると他人の話に聞く耳が持てず、
意見や助言が素直に受け入れられなくなりがち。

自分はもちろん、周りもそんな感じで、
耳の痛い話ほど聞こうとしなかったり
何なら逆ギレして誤魔化そうとします(笑)。

若いときに気づけたら一番いいけど
歳をとってからでも気づけた方がいいわけで。

でも、どうやったら気づけるのか…。

自分なりに思ったのは、
「いつも謙虚な態度を心がけておくこと」と
「誰かにフィードバックしてもらえる機会は
定期的に作っておいて、言ってもらえた助言は
真摯に受け止めること」ではないでしょうか?

親しいこともあり、私には言葉を選ばず、
ズケズケと意見を言ってくれる友人がいます。
話してたら腹が立つときもありますが(笑)、
定期的にあって話がしたくなります。

私にとって貴重な友人なんだとふと思いました。

そういえば逢いたくなったので
先日、久しぶりに逢いました。

マウントをとってこようとしたり、
上から目線や説教口調はしんどいですが、
彼は笑いながらフラットな言葉遣いで
遠慮なく色々言ってきたのでありました。

これはこれで心地よかったのは
私にとっては素直で客観的に見直せる
有意義な時間だったからでしょうね。
ありがたいです。

これから年々ジジィになっていきますが(笑)、
客観的に自分が見れるように
気をつけていきたいと思っています。

偏りがちな見方に注意!

最近、本を読んでいると
どんなジャンルの本を読んでいても
「バイアス」って単語がよくでてきます。

バイアスとは、偏った見方といった意味。

昔からある言葉なのでしょうが
最近、本当よく見かけるようになりました。

おそらくネットやyoutubeを使うことで
捉え方が偏ることが多くなっているから
一層、最近言われるのでしょうね。

例えば「確証バイアス」の意味は、
自分の考えや仮説に沿うような情報のみ集め、
仮説に反するような情報は無視する傾向。

Aと言う考え方とBという考え方があり、
自分はAの方が正しいかな?と思ったら
ネットでAの方が正しいと言っている
意見や情報ばかり集めて、
Bの情報を集めないどころか無視してしまう。

そんな風にしていくことで
考え方がどんどん偏ってしまうようです。

そういわれたらビジネスも派閥も宗教も
確証バイアスが強化されていくことで
成立していくことが多い?

そう思ったら発信側は、
バイアスをうまく利用したほうが
優位にたてるし金儲けもできる。

逆に受信側、受け手側なら
どちらの意見にも耳を傾けた方が
冷静に判断できることに気づきます。

「偏った見方をしない」ことは、
自分から見た相手を客観視して判断するよう
自分を戒めるために大事ですが、

逆の立場で考えてみたら
そもそも相手にそんな風に偏ったように
思わせている自分の発言、行動、態度を
見直す機会にもできたほうがいいですね。

評価は自分がするのではなく
他人がするものだとしたら
バイアスという見方そのものを知ることが
自分にとって大きなヒントな気がします。

「プロ」とは2つのバランスが取れている状態

その道のプロになるって言うことは
どういうことなんだろう?

年数を重ねたからプロになれるでもない訳で、
お金で買えるわけでもありません。

プロの意味を調べたら大きく2つ
①専門的な仕事に従事し、その能力が高く、
その仕事の技術に優れ確かな仕事をする人
②主たる収入を得るために特定の分野に
従事している人

どっちかに偏りがちですけど
この2つのバランスが大事だと思います。

情報を集め知識や経験を増やして
専門家になることを指しがちですが、
その専門的なことを素人の相手に
どれだけわかりやすく伝えて選んでもらい
お金を支払ってもらえるかと言うことから
目を背けたら商売にならないのも事実。

技術者は専門用語で生き、
販売者は日常会話で生きる。

どっちが上かではなくどっちも大事。
そしてそこにお互いが敬意を持たないと
組織でする商売ってうまくいきません。

技術者がいいものを作って、
販売者が気持ちよく選んでもらう。

料理は美味しいんだけど流行らない店。
いいものは作るんだけど売れない店。
頼りになるんだけど選んでもらえない店。
逆もまた然り。
うまくいかない時って偏ってませんか?

モノが悪けりゃヒトがよくても
まず選んでももらえないので
まずは技術が第一ですが、
それをうまく相手に伝えられるヒトがいないと
お金にならずやり続けられないのが現実。

宣伝広告な販促面も踏まえて
組織のみんながお互いに敬意をもって
協力しあえることがもしかしたら
プロになる第一歩なのかもしれませんね。

可愛げがあったほうがいいに決まってる

子どもはもちろんのこと
もうおじいちゃんであったとしても
人づき合いにおいては
可愛げがあったほうがいいに決まってる。

それは、おとなしい人が悪くて
活発な人がいいってわけではありません。
不貞腐れている人より
助けてって素直に言ってくる人の方が
人は手を指し伸ばしやすいってこと。

例えば、言い古された表現ホウレンソウ。
報告・連絡・相談をしようって話。
ホウレンソウを最初に言いだしたのは、
山種証券(現SMBC日興証券)の山崎富治さん。

確かに数人以上が関わって行動する以上、
仕事でもスポーツでも
共有しあわないといけないことが多いので
日頃のホウレンソウが大事。

でも今の時代、このホウレンソウすら
パワハラ的だの何なのと言われていて
何だか真意を分かちあいにくくなってます。

そもそも山崎さんがこう言い出したのは
この3つを怠らず、ポパイのように
イキイキと仕事をしてほしいという願いから。

ホウレンソウしてくれたら
問題が起きた時に部下を守ってやれますが
勝手に進めてこじれるだけこじれてから
バトンを渡されてもどうしようもなく、
早めに言ってくれたほうが
みんなも助かることがほとんどです。
(たまにウチの上司は言っても無駄だと
ホウレンソウをしない人もいますが、
それはホウレンソウが無意味なのではなく
その上司に問題があるからなので
意味をゴッチャにしない方がいいですね。)

だから形式にはこだわらず
「今、大変なことが起きてます」(報告)
「今晩、先方と話し合います」(連絡)
「どうお伝えしたらいいですか?」(相談)
そんなことを隠さず率先して言わないと
やっぱりみんなで取り組めず
フォローしあえないですよね。

困った時に困ったと言えることは
可愛がられる基本の一つ。
可愛がられないとなかなか応援してもらえない。

となるとやっぱり可愛げがないといけないし、
可愛がられる=成長していく為にも
ホウレンソウは大切な手段の一つと思います。
(ホウレンソウが目的になるのは危険)

今の時代は「ホウレンソウ」は古い、
これからは「カクレンポウ」
(確認・連絡・報告)の時代だとか
これからは「おひたし」
(怒らない、否定しない、助ける、指示する)
の時代だよと言ったような形について
あーだこーだと議論する気はないのですが、

要は相手だけに理由や原因があるわけでなく
自分自身にもあるのだとすれば
可愛がってもらえる自分を心がけることも
成長していく段階では大事な気がします。

可愛げは何歳になっても大事とは言え
可愛げしかないおっさんも
それはそれで問題なので気をつけます(笑)。

そう思ったら就職したての頃に
当時、元気だったお祖母ちゃんに合うたび、
「会社の人らに可愛がってもろとるか?」って
聞かれてた事の意味が
今になって胸に沁みてきます。

おばあちゃん、ありがとう。

好みの定義は人それぞれだけど・・・

なるほどなって感心した話。

女性なら誰しもカッコいい男性が好きだし、
男性なら誰しも可愛い女性が好き。
でも、定義は各々違う。

カッコよさは外見を指す人もいれば
内面を言う人もいる。
背が高い男性じゃなきゃ嫌だという女性も
いるかもしれないけれど、
全然気にしないと言う女性もいる。

女性の髪形は長い方が可愛いと思う男性も
短い方が可愛いと思う男性もいる。
積極的な人が好きな人もいれば
控えめな人が好きな人もいる。

本当、好みの定義は人それぞれ。
でも、クズの定義はだいたい同じ(笑)。

自分がクズではないのなら
誰かのカッコいい男性であり
誰かの可愛い女性であるから
毎日、頑張って生きていたら
いつかいい人に出逢えるよって話。

歳を重ねていいおっさんになった事もあり
それなりの人生経験もして
いろんな人を見てきたら
一層、腑に落ちるお話でした。

クズって表現はキツい言い方ですけど
毎回、時間に遅れてくる人や
約束をよくドタキャンする人、
会う度にやつあたりしてくる人、
言葉巧みに相手を利用してくる人は
クズの要素が大きいので、
自分もならないように気をつけつつ
そんな他人とも距離をあけていくのが
幸せな人生にはとても大事な気がします。

敬意がない行為には否定感しか感じれず、
自己肯定感を粉々にされかねないので。

シンプルだけど心にとめておきたいお話。

最近、ハッとしたこと。

この春で社会にでて26年目。
気づけば来年50歳になります。
ハウスメーカーの新人時代の支店長と同じ歳!
時間の早さに改めて驚きます。

我々の時代は65歳?70歳?
下手したら75歳まで働いて
当たり前の時代になりましたが、
昔は60歳が定年だったのが一般的。

その考えでいくとこれからの10年が
自分にとっての集大成と言った気持ちになり
いろんなことを考えますね。

昔の先輩や学生時代の友人と話をしていても
これからの10年間を悔いなく
全力で頑張りたいね!なんて話す感じですが、
会話をし続けていると
なんだか不穏な内容になったりもします(笑)。

「今まで社長や上司に文句言われ続けて
やりたいこともできず我慢してきたんだから
悔いなくやり遂げるためにも
少しは我を通してやっていきたい。」

「最近の若い連中は、やりたいことと
やらないといけないことをごっちゃにしてる。
俺らの時代では考えられない。甘えるな。
若い連中のわがままなんか聞く気もない。」

「起業してこれまで頑張ってきた。
引退までもうすぐなんだから数年は
好き勝手にやらせてもらえないと
他人に継がせて渡すのに割が合わない。」

立ち位置や環境によっては
理解できなくもない人もいますし、
全てが違うとも言い切れませんが、
人ってゴールが見えてくると
いろんなこと思ってジタバタするのでしょう。

誰かに利用された。
誰かに安く使われた。
働いていると自分を押し殺して我慢の連続。
そんな怒りがある人もいるでしょうね。

そんな想いを最後にはどこかに捨てて
わがまま、自分勝手に生きてみよう!
他人より自分が一番かわいいわけで
これからの人生は、周りを気にせず
自分のことを優先して好き勝手に生きよう!

そう思ってしまう人も
そのように行動してしまう人も
この年齢になったら多くなるのも
分からなくもない自分がいます。

でもここで、ある話を聞いてハッとしました。

実はこういった人の行動が
「老害」の始まりなんですよ・・・・って話。

なんで言うこと聞けないお年寄りが
レジや役所や銀行の窓口で大声だすんだろう?

若い頃にあんなお年寄りにはなりたくないと
思っていたはずなのに
どこをどう間違ってあんな行動の毎日に
なってしまったんだろう?

ずっと疑問でしたが
実際は、知らず知らずのうちにその道を
シニアになる手前辺りの頃から
自ら選んでしまっていたんですね。

そのことに気づいたときに
本当、ハッとしました。

「老いては子に従え」や
「老兵は死なずただ去りゆくのみ」
(所説は様々あるようですが)
昔の人はいいことを言ってますね・・・。

これからの人生を
もうひと踏ん張りして頑張るためにも
これからの10年をどう行動していくのか
しっかり考えてみたいと思っています。

少なくとも娘たちからは
死ぬまではウザがられず
「父ちゃん、大好き~。」とは
言い続けてもらいたい
煩悩まみれの父ですので(笑)。

「優しい言葉」

先日、ネットで見かけたお話。

90歳超えたおばあちゃんが
会う人に「お元気?」と聞かれるけど
この歳になったら元気な日なんかほぼないので
「お変わりないですか?」って
聞くようになったとの話に
それを読んだ他の方が、
「その言葉は優しい言葉でいいですね。」と
コメントされてました。

「元気にしてる?」とか
「頑張ってる?」とか
浪花商人テイスト満載な聞き方で
「儲かってまっか?」みたいな挨拶もありますが

それらは、どこか押しつけがましいような
時としてガサツな感じもすることを思えば
確かに「お変わりないですか?」って言葉は
相手にしてみたらとても優しくて、
労わりのある言葉だなって思いました。

そんな話を読んでたら
自分のおばあちゃんのことを思い出しました。

11年前に90代半ばで他界。
最後の10年ほどは痴呆もありましたが
赤ちゃんの頃から随分、
可愛がってもらいました。

私も大きくなり学校を卒業し、
就職してからのこと。
実家から車で1時間半ほどの距離なので
お盆やお正月に会いに行っていました。

就職してから他の人に逢えば、だいたい
「仕事頑張ってるか?」とか
「社会人はどうや?」とか
言われることが多く、その都度
「わからないことがまだまだ多いな。」とか
「仕事って大変やけどボチボチやってる。」
といったように答えていました。

「そうか、頑張れよ。」みたいな話で
やりとりが終わればいいのですが、
だいたい、その後いつもくっついてくる
「若造はそれが当たり前」
「グズグズ言わんとやったらええねん」的な
偉そうに言いたいだけの大人の言葉が多くて
何か違和感と言うか、
嫌な感じが多かったように思います(笑)。

そんな中、そのおばあちゃんは
「仕事がどう?」とか「大変か?」とかでなく
「周りの人に可愛がってもろとるか?」って
いつも聞いてくるのでした。

「うん、可愛がってもらってるで。」と言うと
「そうか、そうか。それはよかった。
周りのみんなに可愛がってもらって
仕事を覚えていけよ。」と言われることが
なんかいつも暖かい気持ちになって
嬉しかったことを思い出しました。

そう言えばおばあちゃんは
私が大学生になって一人暮らし始めてからも
「ご飯、食べとるか?」しか聞かなかったな。

そんなおばあちゃんの言葉に
何だかいつもホッとしていたような気がします。

自分が社会人になった時の
支店長の年齢に今年なることを思えば(笑)
今はもうおばあちゃん側の立場・・・。
娘も春から中学生になりますし、
親としても意味のある言葉がけができるよう
日々の自分を改めて気をつけないといけません。

「許すこと」と「甘やかすこと」の意味を
履き違えないようにした上で
次の世代に教えたり、伝えたりしていくとき
もし仮に厳しい内容や指摘だったとしても
「優しい言葉」で言える大人でいれるように
自分自身、気をつけていきたいですね。

昔の仲間や友人達にも
「お変わりないですか?」と労って話せるよう
今日から気をつけたいと思います。