「許す」ということ

「許す」ということについて
男女の考え方の違いを先日、知りました。

男性の「許す」ということは
コップにたまった水を全て捨てることに近く
女性の「許す」ということは
コップのフチを上げて容量を増やすことに近い。

過去にあった嫌な出来事を
男性はリセットしてゼロになったと思い、
女性は受け入れる皿を大きくしてやり過ごす。

聞いててちょっと笑ったのですが
これって男女に限らず
人間関係ではよくあることで、
特にイジメにこれと同じことが
起きてるんじゃないかなと思います。

イジメが公になったとき
話し合いや仲裁をして解決したと思っても
イジメた方は謝ったら全てが
リセットされると都合よく思いがち。

イジメられた方は1回謝られたくらいで
解決したなんて思うわけもありません。

我慢する容量を泣く泣く増やすことで
一旦、解決したような空気を
仲裁者に有無を言わさず抑え込まれ
黙らされただけって感じがしてると思います。

これって全然解決なんかしてないですよね。

傷つけてきた方は
コップの中の水が無くなったと思わず
前と同じだけ残り続けていることを
本当に理解して以後も接していないと
何にも変わらないし、

関係性にメリットが一つも残らなければ
目の前からみんな去ってしまうことを
覚悟しておかないと人間関係って
望むようなものにはならないと思います。

もし、何かの機会で
コップの水が溢れてしまった時は
どれだけ謝っても
どれだけニンジンをちらつかせても
もう二度と関係性は元には戻らない。

イジメのような関係性もですが
日常での男女の関係性がそういうことなら
誰にでもありえる話なので
この道理だけは肝に銘じておきたいですね。

自分以外全員女性(妻、娘2人)が
家族の私の場合は特に(笑)。

人が仲良くなると書いて・・・

が仲 くなると書いて「」。

漢字や熟語の意味や成り立ちを見ると
いろんなことに気づいたりします。

仲が良いから一緒にご飯を食べようとするのか
一緒にご飯を食べるから仲良くなるのか
どっちが先かはさておき
確かに一緒に食べる人とは
仲は良いでしょうね。

嫌いな人と一緒に
ご飯食べるのは確かに苦痛。

説教が始めるのか、自慢が始まるか、
悪口が始まるのか・・・
確かに楽しくないのは確実です(笑)。

英語でも「会社」とか
「仲間」を意味するcompanyって単語は、
「共に」って意味のcom と
ラテン語で「パン」を意味する「panis」が
変形した「pany」を足してできてるらしく、
「食べ物を分け合って食べる」と言うことが
語源になっているのもうなずけます。

時代の流れやコロナの影響で
忘年会や呑み会といった飲食を共にする機会や
オンラインで業務が進み実際対面して
打合せする機会も少なくなってきましたが、

仕事終わりに呑みにいくとかいう形でなくとも
一緒にお菓子でも食べながら
コーヒーでも飲んで休憩するような機会は
意図して作っていくこと、
意図して残していくことは
気に留めておきたいですね。

時代や価値観が変わっても誰かがいないと
生きていけないのが人間だとも思うので。

良さそうに見える人には注意する。

最近、どんなことにでも
〇〇ハラスメントって言葉が表現されます。

先日、ネット見てたら
「トーキングハラスメント
話したくないのに話しかけられる」とか
「ブリージングハラスメント
呼吸してほしくないのに呼吸される」とか
もう逆にそっちの考えの方が
ハラスメントなのでは?と
言いたくなるようなものから

「イグジスティングハラスメント
存在して欲しくないのに存在している」
といった言ったもはや言いがかりレベルの
ものまで存在するようです(苦笑)。

我々が若かった頃は
若い人や弱者には拒絶する権利はなく
上から傷つけられた世代なので
今の時代のように拒絶できる権利があるのは
いい事だと思いますが、

もう少し線引きをちゃんとしておかないと
逆にコミュニケーションが取り辛い…。

このネット記事でも若い人に
声が掛け辛くなる・・・と書かれていました。

とは言えセクハラやパワハラは
無くなって当然と思いますが、
個人的にはその2つよりも
モラハラの方が先に無くなった方が
世の中よくなると思っています。

セクハラやパワハラは相手が原因なのが明確。
なので相手を憎めるし、
周りから見ても相手が悪いとわかりやすい。

だけどモラハラは相手が全ての原因でも
自分にも原因があるんじゃないかと
自分を責めてしまい、
何より周りに相手が原因だと伝わりにくい。

何故ならモラハラの加害者は
善人面して外面がいいのが共通点。
だからタチが悪いわけです。

例えば、正論で叱ることは
最もらしく見えるのですが
相手が弱い者の時は、怒りの合理化に
過ぎないことがほとんど。

被害者はなかなか回復できず、
環境が悪いからと周りから思われないと
周りの人から我慢できない人だの
ワガママだの責められて傷つきます。

付き合う人が良い人の方がいいのは
当たり前な考えですが、
モラハラの加害者は全て、
善人面して外面がいいとすれば
良さそうに見える人には
注意したほうがいいとなるわけですね。

そう言えばこれまでにも
「人格障害者ほどフェロモンが出ている」とか

結果的に伝説のクレーマーになった人ほど
「最初はいい人だったんですけど・・・」と
聞くことが多かったので
同じような意味合いが強い気がします。

ちなみに私は第一印象が普通の人こそ
結果的に長くお付き合いできる人と思って
ここ10年、過ごしています。
そう思い行動するとあながち外れていません。

第一印象が悪い人はそのまま
付き合えない人が大半ですけど(笑)
良すぎる人は付き合いも長続きせず
紙一重な人が多いことに気づきます。

この見方が正しいかどうかの議論より
そうかもしれないなと一つの考え方として
頭の隅にでもおいて
行動してもらいたいですね。

人付き合いも仕事もうまくいくための
そんなヒントにしてもらえたら幸いです。

(加藤諦三著「モラルハラスメントの心理」
より参考引用させてもらいました)

やる気は、やる前には生み出されない。

「やる気がないからやれません。」
「お金なり、待遇なりをよくしてくれないと
やる気が起きません。」

新しいことにチャレンジしたり
やったことないことに取り組もうとする前に
こんな感じになりがちなものです。

でも、やる気はどうやら やる前には
なかなか生まれないものらしいです。

目標作ってまずはやってみて、
達成しようと頑張ってみる。
苦しい時もあるけれど
やり切ってみた時に達成感を感じる。
その達成感から達成欲が生まれ
やる気は生まれてくるようです。

今の時代は
とりあえずやってみてという指示に
かなり抵抗があるようなのですが、

気持ちは分からなくもないけれど
まずは取りかかることで
スイッチが入るってことも
どこかで覚えておいてほしいですね。

とは言え、そもそも達成欲は
最初ゼロでスタートして
徐々に上がっていくものと思われがちですが
本当は最初に持っていて
徐々に下がっていくものらしいです。

とすれば大事なことは何か?
それは、達成欲が下がらないような
環境整備が大事なことが分かります。

もしかしたら周りのやる気や達成欲を
下げさせている一番の原因は、
相手でなく自分のなのかもしれません。

ちょっと見直してみたいと思います。

(今回は横山信弘さんのお話を参考にしました)

「言葉の意味をちゃんと知っておく大事さ」

先週はコロナワクチン3回目の副反応で
家でダウンしていました。

2回目迄は大したことなかったのですが
今回は翌日の夕方になってから平熱が
1時間程の間に38.5℃まで上がりグッタリ。

世間も少しづつ落ち着いてきてますし、
穏やかな日々に戻ること期待しています。

先日の会話でふと思ったこと。

ある2人が会話してるのを
横で聞いていたのですが、
意見が食い違った感じの平行線のまま。

お互いが「合意」しようと思っているけど
お互いが「同意」させようとしている様子。

会話の間に入りよくよく話を聞いてたら
その確認しあっている言葉の意味を
お互いが違う意味で認識していたので
お互いが納得できないのが分かり、
そこを指摘させてもらったら
折り合いがついたのでありました。

でも、お互いが言葉の意味が異なり
分かり合えたようで分かり合えないこと
身近にも本当たくさんあると思います。

先述の「合意」と「同意」の違いもありがち。
「合意」とは
対等な立場の相手と意思を一致させること。
「同意」とは
こっちの意見を相手に受け入れてもらうこと。
似ているようで違いますね。

これは契約行為で例えるとわかりやすい。

<契約>とは同等の立場同士の
「合意」でないといけないのに
お客の立場を利用して
買い手が法外な値引き要求してきたり、
希少品だからと高圧的な態度で
売り手が強引に売りつけてきたりして
「同意」を一方的に押し付けてくると
気分いい取引にはならないですよね。

合意をしようと思っている売り手と
同意をさせようと思っている買い手が
お互い契約と言う行為をしようとしたら
おそらくその商談は
平行線になるのではないでしょうか?

初対面の人同士集まり
急遽、野球チームを作って
すぐ試合をしてもゲームが成立するのは
認識しているルールが同じだからです。

とすれば日常会話や
コミュニケーションも同じです。

親子間の認識のズレ
社長と社員間の方向性のズレ
夫婦間の価値観のズレ

ジュネレーションギャップや年齢差、
立ち位置の違いもあるでしょうが
もしかしたら言葉の意味をお互いが
違う意味で捉えていることはありませんか?

当事者になるとわかりにくいですが
傍目に見たらすぐ分かったりします。

岡目八目、気をつけたいです。

「弱いつながり」を大切にする。

容易く仕入れる情報からは
大差ない情報しか手に入れられない。

でも、誰もがスルーするような情報からは
非凡なアイデアを生み出すきっかけを
つかめるかもしれない・・・。

今まで興味なかったジャンルの本を
立ち読みしていたら
知らなかった常識が書いてあった。

新聞を読んでいたら
聞いたこともない人が紹介されてて
それが趣味になったきっかけになった。

初めて訪れた街を歩いてみたら
今まで思ったこともなかったことや
新しい習慣に出逢って衝撃だった。

偶然や遠回り、無駄なことに
人生は「気づき」や「面白さ」があると
日々、思っているのですが、
これがあながち外れていないと
思う話を先日、知りました。

社会学者マーク・グラノベッターさん曰く
「人生において有益な情報は、
親しい友人や家族ではなくて、
意外にも【弱いつながり】の人から
得ている場合が多い」のだそうです。

親しい友人達とは
同じような話になりがちですが、
挨拶程度の知人と初めて話し込んだ時の方が
知らなかった情報や気づきに
確かに出逢えることが多い気がします。

ここ2年のコロナ自粛で
なんとなく話す程度の
弱いつながりの人との接触が減ったことで
孤独感が増したと言う人もいるそう。

日常も元に戻ってきつつありますが、
生活のリズムが変わり
考え方、価値感も変わってきました。

でも家に籠りっぱなしにならず、
外に出て【弱いつながり】の人との時間も
積極的に作ることは大事ですね。

※今回の記事は廣田周作さんの
「世界のマーケターは、
いま何を考えているのか?」より
一部抜粋させて頂きました。

コミュニケーション能力とは…

昨日から始まった大型連休。
雨が続いていましたが今日から晴れる模様。
お仕事の方もいらっしゃるでしょうが
遊びに行かれる方も多いと思います。
皆さん、交通安全でお過ごしください。


人を評価する一つに
「コミュニケーション能力」があります。
辞書で調べてみたら
「社会生活において他者と円滑に
意思の疎通が行える能力」とのこと。

能力が高いに越したことはないですが
そもそもこの意味の解釈って
人によって絶妙にズレてるなって
思うことが多々ありました。

いろいろ考えているうちに
ふと気づいたことを書いてみたいと思います。

結論として思ったのは
コミュニケーションは誰に対してでも
できなければいけないわけではないって事。

要は誰とでも
仲良くならないといけないことじゃない。
ここが前提と思います。

誤解しないで欲しいのですが、
だからといって悪口言っていい訳でもないし
ケンカしてもいいわけでもありません。

お互いの考えや意見は尊重して
そのことにおいては距離を保てばいい訳です。

人間関係は「誰とでも仲良く」という前提が
人を苦しめている訳で
気が合う人とは仲良くすればいいし
気が合わない人とは距離を開けたらいいだけ。
気が合わないからと攻撃するからややこしい。

これをきちんとできる人が
コミュニケーション能力が
実は 高いような気がします。

なのでコミュニケーション能力は
「自分が思っていることや価値観を
きちんと相手に伝えられる力」
って思ったほうがいいのではないでしょうか?

誰とでも仲良くといった意味合いではなく
同じ考えの人とは共感出来て付き合い、
違う考えの人とは尊重して距離を保てる人。

極端に言えば
価値観が同じ人にはきちんと好かれて
価値観が違う人にはきちんと嫌われる人。

わざわざ多くの人に嫌われることを
推奨している訳でないですが(苦笑)、
そうしたほうが悩みにくいのではと思います。

誰にも嫌われないということは
言い換えたら誰にも好かれないということ。

恋愛で言えば「いい人」で終わるパターン。
拒絶もされないけど選んでももらえない。
友達が多ければいいのならこれもいいですが
恋人が欲しいのなら考えもの。

営業で言えば「結果がでない」パターン。
どのお客さんからも嫌われないけど
かといってどのお客さんからも選ばれない。
見積提出はできて最後まで残るけど
結局は契約はしてはもらえない。

やっぱり売れてる人、結果出してる人って
8割のお客様からは嫌われたとしても
きちんと2割のお客様からは選ばれている。

そう思ったらやっぱり
自分が思っていることをきちんと伝えて
共感してもらえる人が誰か?
合わない人は誰か?を
きちんと見極めれることが大事ですね。

そしてその価値観が合わない人を
攻撃したり非難するからダメなだけで
その人に「力不足ですみません」と
丁寧に一旦、区切りがつけれる人こそが
コミュニケーション能力が高いと
思わずにはいられません。

「誰とでも仲良く」ではなく
「気の合う人は仲良くする、
価値感が合わない人は距離を保つ。
そして合わないからと言って
攻撃していいわけではないし
攻撃されて我慢しないといけない訳じゃない」
そう思えると人間関係の悩みも
随分穏やかになるのではないでしょうか?

戦争もイジメも差別もない世界になるには
まだまだ時間がかかりそう。
でも、そんな中でも生きていかないと
いけないとしたらこんな自己防衛も
生きてく上には大事な気がします。

自由であればあるほど不自由になってしまう矛盾。

先日、本屋で見かけて面白そうだったので
購入して読んだ廣田周作さんの本に
こんな話が載ってて妙に納得しました。

マッチングアプリが普及した現在は
出会いやすい時代になったからこそ
恋愛が難しくなり、
長期的なパートナーをなかなか持つことが
できないことを悩む若者が増えたそうです。

マッチングアプリを使えば、
簡単に出会えてしまうために
逆に1人に決められなくなっている模様。

昔、住宅営業をしている時
たくさんの会社を見すぎて
結果迷って決め手が出せずに
買えなくなってしまった人や
たくさんの土地を検討しすぎて
結果、決めるタイミングを
見失ってしまった人を思いだしました。

比較検討することは全然いいのですが、
「自分はどんな希望を叶えたいのか?」
「自分は何を第一に考えているのか?」
その辺りを明確にせず曖昧にしたまま
なんとなく比べ始めてしまって
結局決め手がないまま動けなくなるものです。

昔で言えば「お見合い」などを
有無を言わさずまとめてしまう
ちょっと強引な親戚の叔母さんや
時には父のように兄のように
説教じみても方向性を出してくれる
人生の先輩がいて
その人に合った内容で
選択肢を絞ってくれたりしましたが
今の時代はこんな人は嫌われるし(笑)、

何よりノープランの状況、興味ない状況から
簡単に情報が仕入れられる時代になったので
迷ってしまうスタートを無意識に切ってしまう
そんな人が多い時代な気はします。

昔のやり方押し付けるのは
褒められたことでもないのでしょうが、
でも良い面もあったのも事実。

選択肢が多いことはいいことでもあるけれど
決断する際にはきちんとステップを踏んで
検討していかないと難しくなるのも事実。

この辺りを今の時代の若い人たちに
説教じみず伝えられないかと日々考えている
お節介な初老になりつつあります(笑)。

最初に書いたマッチングアプリも
ユーザーが長期間使ってくれた方が儲かるので
(慈善事業ではなく商売ですから)
次々と飽きさせないように
魅力がありそうに見える新しい候補を
次々と出逢わせようとしてくるから
これまたタチが悪い(笑)。

真剣であればあるほど迷宮入りしそう。

こういった背景も冷ややかに知りつつ
マッチングアプリをスタートすることも
本当は大事なコツなんだと独り言・・・・。

無駄だと思う事に実は意味がある事が多いのも事実。

こんなこと言ったら
説教がましいおっさんの戯言になるんかな…。
気をつけて書いてみます。

先日、読んだエッセイに
最近の若い子は昔に比べて
無駄だと思う事を避けて
最短距離で成功したがると書いてました。

いやいやいや・・・。
・・・って言うかそんなことは
若い頃の我々も思ってましたよと
心の中でツッコミました(笑)。

誰も面倒くさい事なんかしたくないし、
ましてや失敗なんか
進んでしたいわけじゃない。

でも、何が意味のあることで
何が意味のないことなんて
やってみないと腑に落ちるわけもないし、
何が有意義で何が無駄なんて
教えられただけでわかるわけがない。

強いて言うのなら
失敗しないアドバイスをくださいって子に
じゃあ言った通りやってみてって思うくらい。

例えば、やったらいいよって言っても
それはやりたくないとか
それはポリシーに反するとかいってやらず
そのくせ成果が出ない時に
自分のせいだとは思わず、
いつまでたっても周りのせいにしてるとき
「どないやねん」とは言いたくなります(笑)。

でも、言った通りやらないくせに
できないときこっちのせいにする子って
年齢問わず、本当に多いんですよね。
でも、昔の自分もそうだしたから
何も責めれなかったりしますけど(苦笑)。

失敗するから気づきがあるし、
無駄足に終わっても経験するから
成長するきっかけもつかめるわけです。

何より最初は無駄だと決めつけてたことも
やってみたらそれこそが
「秘訣」や「コツ」だったことが
振り返ったら人生、結構あるんですよね。

これ結構アドバイスするんですけど
変われない子って聞いてくれないのが悩み。

だからもし最短ルートで成長したいなら
アドバイスは疑わず実行して欲しいですね。

余談ですが、
無駄なことはしたくないって
やたら発言する人が効率を言い出すと
だいたいその人の仕事は減るんだけど
周りの人に仕事をふってるだけで
周りの人が忙しくなることが大半。

分かりやすく言うと
その人だけが定時で帰ってるのに
周りの人は残業続きって現象が起こります。

残業多い人間は仕事できないからと
決めつけるのも実は危険。

自分の職場でそれが起こっている時
なぜそうなっているのかは
よくご検討くださいとこれもアドバイス。

信頼は悩みを共感することで生まれる。

12月になりました。
今年ももうわずか。
いい一年であったと思えるように
残り数日を大事に過ごしていきます。

「人が信頼しあえるのは
お互いの悩みを共感したとき。」

先日、そんな話を聞きました。
言われてみたら妙に納得します。

何か楽しいことがあるから一緒にいる人より
これといって何もないけど一緒に入れる人の方が
実は一緒にいて幸せな相手って話に似てます。

楽しさを共有するから仲良くなるのではなく
悩みに共感しあえたから仲良くなった。

自分の人生を振り返ったら確かにそうですね。

楽しいだけの関係は結局長続きしてないし、
うわべだけの関係って気がしますが、
悩みを共感したり一緒に頑張った仲間は
何年経っても大切な関係だったりします。

新人時代の上司が酔っぱらったら
「苦労は共に、心は一つ。」と
よく絡んで言っていました。

当時は、面倒くさいなと思ってましたが
歳をとるとなんか妙に沁みてきます。

結局のところ、言葉がどうこうでなく
絡まれるのが嫌だっただけでしたね(笑)。

住宅営業マン時代を振り返ったら
確かに私はよく共感していましたね。

提案も商品もいいものだったことは前提。
でもそれだけじゃ売れないのが販売の世界。

(いいものさえ作ったさえ売れるのなら
世の中の真面目な会社はみんな成功します。
いいもの作っても伝えきれなかったら
買ってもらえないのが販売の世界。
だからみんな苦しむわけです。)

家づくりをすると決心したことを称える。
家族間で一番弱者の味方になって話を聴く。
臭いものに蓋をしない。
無理強いしない。
娘は本当に可愛いとただ熱く語る・・・・。

そして、相手の悩みをはっきりさせて
共感して一緒に悩んで
その人の答を見つけていました。

(時にはその答えを手伝えるのは
私では無理なので笑顔で
サヨナラしたこともいっぱいあります。

時間の無駄とは思ってません。
その代わり1~2回の打ち合わせで
方向性は決めさせてもらってました。)

親友って一緒に悩んだり
励まし合ったりした仲間だったよなって
想い出したらどんな人間関係も同じって
ふと気づいたときがあったのがきっかけ。

もちろん、仕事だけでなく
家庭でも友人でもどんな世界でも
一緒に悩めることが人間関係には
一番大事なのかもしれませんね。