ボヘミアンラプソディ

音楽ネタが続くのも恐縮しますが、
書かずにはいられない森下です(笑)。

先日、やっと観にいってきました
映画「ボヘミアンラプソディ」

テレビや雑誌で評判も知っていましたが、
何より音楽好き問わず、
映画を観た友人達が全員、絶賛!

中にはもう3回観にいった友人もいて
なんとしても観たかったので
移動中の合間、東京で観てきました(笑)。

観た感想は・・・・
みんなが言うようにとてもいい映画でした。

ネタバレしてはだめなので
多くを語りませんが、

クイーンの楽曲の素晴らしさ。

フレディ役の俳優さんが途中から
本人にしか見えなくなる錯覚感。

最後のライブエイドのステージが
本物にしか見えない作り方・・・。

クイーンへの愛がいっぱいでした。

(余談ですけど映画の前半、
フレディ役の方がフレディというより

若い頃のミックジャガーに見えましたが、

最後はフレディ以外に見えなくなって
その役づくりにも本当に感心しました。)

フレディが抱えたきた
たくさんのコンプレックスや苦悩。

アフリカで産まれインドで育ち、
移民してきたことの人種差別。
改名してフレディ・マーキュリーとなったこと。
上の歯が多く、前歯が出ていたこと。
父親との軋轢。
メアリーとの日々での違和感?、
それが同性愛者であったこと。

あそこまで成功し認められても
心の底に貼り付いていた複雑な思いが
ぬぐいきれない様子。

そういった思いが積み重なって
「ボヘミアンラプソディ」という
今回の映画タイトルになった曲が
できていった背景みたいなものが
すごく感じられたから
とても感情が入っていったように思います。

映画の中、ライブエイドでのシーン。
最初にこの曲を歌ったとき
私は涙がこぼれました。

ボヘミアンラブソディは
こんな歌詞です。
最初の部分のみ抜粋してみます。

「ボヘミアンラプソディ」

これは現実なのか
それともただの幻か
まるで地滑りに遭ったようだ
現実から逃れることは出来ない

目を開いて
空を仰ぎ見るがいい
僕は哀れな男 だが同情は要らない
いつでも気ままにさすらってきたから
いいこともあれば 悪いこともある
どっちにしたって 風は吹くのさ
僕にはたいしたことじゃない

ママ たった今、人を殺してきた
あいつの頭に銃口を突きつけて
引き金を引いたらやつは死んだよ
ママ 人生は始まったばかりなのに
僕はもう駄目にしてしまった

ママ ああ ママ
ママを泣かせるつもりじゃなかったんだけど
明日の今頃になって僕が戻らなくても
今のままで生きていって
まるで何事も無かったかのように

もう遅すぎる 僕の最期が来た
体中を震えが走る
体中が苦痛に責めたてられる
さようならみんな 僕はもう行かなくては
あなた方の元を離れ真実と向かい合う時だ

ママ ああ ママ
僕は死にたくないよ
時々考えてしまうよ
いっそのこと生まれてこなきゃよかった

(詞:フレディ・マーキュリー)

誰しも悩みやコンプレックスはあります。
でも、それを乗り越えるというより、
事実は事実で受け止められないと
いつまでたっても何かのせいにしかできず
ずっと苦悩し続けてしまいます。

私も後10cm身長が高かったら・・
と思ってばかりでしたが、
たぶん10cm身長が高かっても
考え方が変わらなければ一緒なんだろうなと
言うことは30歳過ぎたあたりに
なんとなく気づいたりしています(笑)。

この曲も最後の歌詞は

「何もたいしたこと無い
誰もが知ってることさ
たいしたことじゃない
本当に僕にはたいしたことじゃないさ
どっちみち 風は吹くのさ」
と言って終わります。

ボブ・ディランも
「(人生の)答えは風の中で舞っている。」
と歌っていますが、

私はたった一人でいいから
自分を認めてくれる理解者と出逢えたら
自分のことを受け入れられるように
自分で自分にOKが
出せるのかなと思っています。

それがいつどこで出逢えるかわからない。
だから風の中なんだと勝手に思っています。

フレディは出逢えたけど
パートナーがメアリーであって、
メアリーでないところが
苦悩の根っこだったのかもしれませんね。
映画をみてそんな気がしました。

私は人生で
一人のパートナーと
一人の親友と
一人の恩師に巡りあえたら
素晴らしきものと思っています。

ありがたいことに人生振り返ったら
巡り合えたように思います。
後は、そのことに感謝して
自分自身のOKが出せるように頑張ります。

しかし、この映画はよかったな。
こんな映画に出逢えたこともラッキーですね。

キャッチコピー

12月になって
暖かい日もあるなとか思っていたら
翌日、メチャクチャ寒かったりします。
出張の時の服装にとても困っています(笑)。

先日、出張先で時間つぶしに
お店に入ったときのこと。
有線だと思うのですが、
懐かしい曲が流れていました。

その曲のタイトルは
「KISSIN’ CHRISTMAS」
私が中学2年生だった32年前(!)
テレビ番組の企画で作られた曲です。

番組目は「MERRY X’MAS SHOW」

人気ミュージシャンが勢揃いした音楽番組。

司会は当時、人気絶頂の明石家さんまさん。
さんまさんは32年後の今も人気絶頂。
本当に「お笑いモンスター」ですね(笑)。

エンディングの曲が
詞を松任谷由実さん、曲を桑田佳祐さんが
作ったこの日限りの曲だった
「KISSIN’ CHIRISTMAS」でした。

当時、レコード化する予定はないといった
ふれこみでしたが、
桑田さんが歌って音源になっているんですね。

その懐かしい曲が流れてました。
(当時、録画したものをビデオテープで
何百回って観たので、今も口ずさめます。)

曲も演奏も当日唄われた
歌手の方々ももちろん素晴らしいのですが、
この曲は歌詞がとても素敵です。

中でも特に素敵なフレーズがあり、
それは1番のサビの最後のこんな言葉でした。

「今年の想い出にすべて君がいる」

たったこの一行のフレーズが
田舎の坊主頭で中2だった私の心を
鷲づかみにしたのです(笑)。

たった一言の言葉なのに
今もその言葉が相手の胸に残っているって
スゴイことですよね?

このときも今も思うことがあります。

伝えたいことを相手に
うまく伝えることって難しいです。
あーだこーだと言葉の数が増えても
いいたいことがうまく伝えられない。

簡潔な言葉で相手に伝えられることって
本当に難しいです。

その思いを一言で相手に伝えられることは
本当にスゴイなと思っています。

キャッチコピーがまさにそうですよね。

(若い時に一瞬、
コピーライターになりたいとか
思った時期があったように思いますが、
語るほどに恥ずかしく赤面してしまうので
なかったことにしておきます・・・(笑)。)

ちなみに有名なキャッチコピーの中なら
「恋は遠い日の花火ではない」とか

「NO MUSIC,NO LIFE!」とかありますが、

個人的に一番、一言で
相手に言いたいことを伝えている
名キャッチコピーは
仲畑貴志さんが作ったこのコピーと思います。

「ベンザエースを買ってください。」

どうですか?この超ド直球(笑)!

しかもCMに出ているのは
当時、人気絶頂だった小泉今日子さん!
面と向かって言われたら
「はい」としか答えられないですよね(笑)。

(といっても私は
ルルをよく買ってましたけど・・。
ハハハ♪)

なので話が長くなりがちな私は、
伝えたいことが簡潔に
相手に伝えられるように
日々、気をつけていきたいと思います。

伝えたいことを日常の会話でも
キャッチコピー化できたら素晴らしい!
なので、話が長くなってきたら
「手短に!」とツッコんでくださいね。

名つなぎ役

12月になりました。
今年がよい1年だったと締めくくれるように
踏ん張っていきます。

昨日、姫路で落語がありました。
東西落語名人会と称して行なわれたこの会は
桂文珍さんと春風亭小朝さんといった
名人の競演ということもあり、
おおいに盛り上がり楽しい一時でした。

今月、誕生日の母親と一緒に行ったのですが、
いい親孝行になりました。

小朝さんは「文七元結」という
聴きたかった古典落語をされて、
文珍さんは「不思議な五圓」というお話。
あっというまの2時間半でした。


(落語は、帰るときによく入り口に
その日の演目が貼ってありますから
ぜひチェックしてください。)

仲入り後、舞台に立たれたのは
動物モノマネの江戸屋小猫さん。

小猫さんは以前、
浅草と新宿の寄席で観たことがあり、
今回3回目の鑑賞となりましたが、
今回もメッチャ面白く大笑いしました。

動物モノマネが面白いの?と思う方も
いらっしゃるかもしれませんが、
こういう言い方も失礼ですが、
予想以上に面白いので、観た人で
ビックリされる方も多いと思います。

寄席は、落語目当ての方が多いですが、
漫才や奇術、切り絵などの方も出演され
落語以上に盛り上がることも多いのです。

今回も大爆笑の小猫さんのステージでした。

昨日の会は当然、
文珍さん、小朝さん目当ての方が大半。

小朝さんの熱演後、しかも休憩明けに
登場する文珍さんの舞台のため
もう一度、会場の空気を元に戻すのは
なかなか大変だと思いますが、
小猫さんのステージで一気に活気が戻り
文珍さんの舞台が盛り上がったのでありました。

観てるこっちの「笑う体勢」が整った感じ。

一般的な組織においても
こういった人がいるかいないかは
かなり大きいことではないでしょうか?

矢面に立つ人や第一線に立つ人が
何事もうまく交渉したり、
話せたりするためにやりやすい場を
作ってくれる人がいると、とても助かります。

自分の力だけでできていると勘違いしがちな
経営者や営業マンってたくさんいますが、
話しやすい場づくり、温かい場づくりを
作ってくれている仲間がいることに
感謝して気づけているかって
とても大事ですよね。

私が昔、社長しながら
営業をしていたころに会社で
受付をしてくれていた女性がいました。

いつも元気で世話焼きで
どのお客様にも笑顔で対応してくれ、
何より全てのお客様の名前や家族構成を
ほぼ覚えていてくれたので
誰に対しても大歓迎ムードを出してくれて
とても助かりました。

そういった場づくりを彼女が
築いてくれてたからこそ商談も
うまくいくことが多かったのでしょう。

彼女は50代でした。いつも
「社長、受付はもう若い娘にさせましょう。」
と言っていましたが、断固拒否して
彼女にお願いしていました。

体調を崩し会社は辞められてしまいましたが、
10年以上助けてもらいました。
体調が戻ってから、食事にもいけて
きちんと御礼も言えたのでよかったです。

本当、こういう人が一人いるだけで
組織、チームはとても助かります。
そんな人の貢献度に気づける社長でいたいと
ずっと思っていました。

偉そうに言っても気づけなかったことも
あったかもしれません。すみません。
でも、そう思えることは大事にしたいと
思っていました。

今回、文珍さん小朝さんもそんな想いから
小猫さんに声をかけたのではと思いつつ
そんな昔のことを思い出していました。

華やかな部分ばかりに目を取られずに
しっかりと全体を見れるように
自分自身の舞台も気をつけて
みていかないといけないですね。

追伸
夏に神戸の寄席で笑福亭鶴瓶さんの落語を
聴いたことがあるのですが、
今回の落語を見て文珍さんと鶴瓶さん、
舞台での雰囲気が
ソックリなことに気づきました。

本当、余談で恐縮しますけど・・・(笑)。

相手を思う気持ち

11月ももうすぐ終わり。
今年も後1ヶ月となりました。
インフルエンザの予防接種も済まして
万全の体制で年末を迎える森下です。

先日、奥さんのおばあちゃんの
三回忌があり、法事に参加しました。
親戚の人達とも集まり、故人を偲んで
いろんなお話になりました。

私は11月から年末年始に向けて
いろんな人とお別れしていることもあり、
この時期が来ると、いろいろ思います。

先述したおばあちゃんは2年前の
11月末に亡くなりました。

独身時代、ずっと遊んでた親友や
新人時代の同期が亡くなったのも11月。

若い頃に可愛がってくれた先輩や
18歳のとき父が他界したのは12月。

父方、母方の祖父は2人とも
小学生の頃、お正月に亡くなってます。

なので、寒くなりだしてきたら
故人を偲んで、
昔話になることが多くなりました。


(幼い頃の私と父)

一般的に「供養」とは
法事やお墓参りといった行動を
指すことが多いように感じます。

もちろんそれらも大事なのですが、
私は「供養」とは、
何年経っても故人を偲んで
想い出話をすることが一番だと思っています。

同じ話が繰り返されてもいいわけで、
あんなことあったなとか
こんなことあったなとみんなで
ワーワー言ってほしい。

なので7年前に亡くなった親友のことは
今でも当時の仲間達と忘年会を口実に集まり
想い出話をして7年経ちます。

「いい奴やったな。・・・アホやったけど。」
「優しい男やったよな。・・・アホやったけど。」
「楽しい人やったで。・・・アホやったけど。」

誉めてるのか、けなしているのか
よくわからないですけど(笑)、
そう言いながら酒を呑み、
親友のことを思い出しています。

そして、仲間達と
「今年一年、頑張りました。
来年も頑張ろう!」と
握手をして別れて1年が終わるのです。
なので来月、楽しみにしています。

形式とか決まりも大事ですけど
まずは「忘れないこと」
「思い出すこと」そして
「語り続けること」がなくては
本来の意味ではないように思います。

他のことでも言えるかもしれませんね。

お墓に行ったから。
お経を唱えたから。
ご仏前を供えたから。

それでOKなのではなく
当たり前ですけど、
そこに「偲ぶ気持ち」がなければ
何をしてもそれは「供養」にはならないわけで

何事も「相手を思う気持ち」が
まず一番最初になかったら

人間関係も
商売も
遊びも
奉仕も
なんか別のものになるのかな?

そんな風にいつも思っています。

でも、意外とこれって
できていない人が多かったりします。
自分は日々、気をつけていきたいですね。

ちなみに私は死んでからではなく、
死ぬ前に大切な人は逢いたいので
元気で入れたら70歳で生前葬をする予定。

誰も来なかったら寂しいので(笑)、
そのときはみなさん
是非、逢いに来てください!

私は今、46歳。
ということは24年後のお話。
ずいぶん先のお話です。

百聞は一見に如かず・・・・

出張が続き、ブログ更新が遅れました。
さっそくの言い訳からのスタートです(笑)。

先日、東京にて研修に参加しましたが、
午前中は時間があったので
東京都美術館で開催されている
ムンク展に行ってきました。

朝一に行って並びましたが、
開場前で200名~300名くらい?
会場内は思っているより少なくて
結構ゆっくり見れました。

最大のみどころは
もちろん代表作「叫び」
せっかくなので3回くらい見ました(笑)。

そんな芸術が語れるほど
目が肥えてるわけでもなく、
知識があるわけでもないので
ここで専門的な話はできませんが、

それが絵画であれ
書道であれ、仏像であれ、
なんでもいいのですが、

有名であったり、
何百年と語り継がれてるものは
見れるのならきちんと見る機会を
作るようにしています。

わからないなりにも
見て何かを感じてみたいと思っています。

「百聞は一見に如かず」と
言うやつです。

事実をありのまま見ることは
仕事においても人生においても
とても大事です。

例えば、イベントなどの反省会でも
「近隣の人が来てくれてたな~。」と
漠然と語るのではなく、
「総来場は50組、近隣の方は15組」と
具体的に確認しないと
正しい判断の参考資料にはなりません。

国語的目線ではなく
算数的目線でないと
その結果はデータにはなりません。

そういう観点からも
事実をきちんと見ておく姿勢、
百聞より一見しようとする気持ちは
大事なわけです。

ただ、この言葉 続きが有ります。
その続きまで読んで
初めてこの言葉の意味がわかります。

「百聞は一見に如かず
 百見は一考に如かず
 百考は一行に如かず
 百行は一果(効)に如かず
 百果(効)は一幸に如かず
 百幸は一皇に如かず」

意味は以下のようになります。

聞くだけでなく、
実際に見てみないとわからない。

見るだけでなく、
考えないと意味がない。

考えるだけでなく、
行動するべきである。

行動するだけでなく、
成果を出さなければならない。

成果をあげるだけでなく、
それが幸せや喜びに
つながらなければならない。

自分だけだなく、
みんなの幸せを考えることが大事。

事実をありのまま見て、
考え、行動し、成果を出す。
それが周りの人も含めて
幸せになる事が大事。

はい、その通りです・・・(笑)。

そうなるためにも
まず最初に自分はどうなりたいか
どこを目指すのか
そこははっきり決めておかないと
行き先が見誤るので
まずは「よく見てよく考える」ことを
改めて取り組んでみたいと思います。

 

 

謙虚に生きると言うこと

朝、姫路の気温は11℃。
朝一に粗大ゴミを捨てに行ったのですが、
短パン、裸足、サンダルで行ったら
すれ違う人に二度見を3回されました(笑)。

11月になってから研修や集まりで
懐かしい方々とお逢いする機会が
3回ありました。

その中で改めて思ったことがありました。
それは、やっぱり人間は謙虚に
生きないといけないなって話。

先日、5年ぶりや10年ぶりに
お逢いする人がいました。

変わらず、元気に笑顔で接してくれる人。
普通に挨拶だけされる人。
なんだかよそよそしい人・・・・などなど。

いろんな方がいましたが、
久しぶりにお逢いしたその人は
なかなかの無礼でした(笑)。

昔も丁寧な方でもなかったですが
久しぶりにお逢いしたので
私からご挨拶したのですが、
知らん顔されました(ビックリ)。

その以後も勘違いされた
立ち振る舞いが続きました。

昔からその人を知っている
一緒にいた人とも、
もともとそんな人っぽかったなと
後ではお話になりましたが、
思わず「えっ?」ってなりました。

親の後を継ぎ、社長になられ、
偉くもなられたのでしょうが、
職歴もですが、
年齢もその人、ちなみに年下です♪

まぁお逢いすることも
ほとんどないのでいいのですが、
さすがにこれはマズイなと・・・
他人事ながら心配になりました。

低姿勢な事だけが謙虚とも思いませんし、
自信がある立ち振る舞いが
謙虚でないとも思いません。

でも歳を重ねて、
なおかつ偉くなったのなら
なおのこと「謙虚さ」って
大事なことだと思います。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ですね。

お客さん商売ならなおのこと、
お逢いしたときに
お話して気持ちいい人でないと
なかなかその後は続きません。

会社の看板がデカかったり、
親の威光もあれば、あるところまでは
有耶無耶にできますが、
ただこれは長続きしないんですよね。

丁寧さにかける。
謙虚さが無い。
それで苦戦、苦労されている
二代目社長さんは本当によくお逢いします。

子育てに似てますが、
それって、やっぱり先代(親)が
逃げてはいけない宿題だと思います。

自分自身に置き換えても
「人の振り見て我が振り直せ。」

子育てにおいても
自分自身においても
今一度、謙虚さについては
きちんと気をつけていきたいと思いました。

親の背を見て子は育つ

11月になり、朝晩冷え込んできました。
猛暑だったのが嘘のようです。

気管支炎をこじらせていた次女が
扁桃腺を腫らしたのを機に
体調が戻ってきたのですが、
次女が体調復活してきたのに合わせて
夫婦で体調を崩し始めています(笑)。

先日、届けるものがあり
久しぶりに実家に顔を出しました。

この年末には78歳になる母親が
ご飯を作ってくれたので
久しぶりに母とご飯を食べながら
いろいろと話をしました。

食べ終わり、母が台所で
食器を洗っていたのですが、
会話も途中だったので
洗い物をする母を眺めながら
会話を続けていたのですが、

食器やフライパンを洗い
シンクや天板をふきんで拭いている
母の姿を見て、大笑いしてしまいました。

何故、大笑いしたかというと
台所で洗い物や片付けをする姿、
シンクや天板を拭く姿、
何よりその順番が私自身に
ソックリだったからです(笑)。

というより、私が母にソックリなんですね。

我が家は共働き子育て世代なこともあり、
出張など仕事でいないとき以外は
家事は基本、私がしています。

朝御飯を作り、嫁の弁当を作り、
スーパーに買い物行きますし、
晩御飯も作ります。
食器洗いや片付けもちろん私。
洗濯やアイロンがけもやります(笑)。

リアル・クッキングパパ状態です♪

誤解無く聞いて頂きたいのは
私は好きでやっているだけです。
趣味の延長です。

なので奥さんが鬼嫁というわけでは
ありませんので、あしからず(笑)。

私はご飯が食べ終わったら
洗いものして、皿を拭いて食器棚に片付け、
最後は天板やシンクを
これでもかと言わんばかりに
一人拭き続けています。

自分でも実は最近、
何でこんなに最後に拭き掃除を
するんだろうと思っていたのですが、
その疑問の答えが目の前の母の姿に
あったので大笑いしたのでした。

でも、考えたらそうですよね。
そのやり方しか見たことがないから
それを真似てやるのは仕方ないです。

自分が育ってきた家庭しか
じっくり見る事なんかないわけで
そう思ったら娘たちも今の家庭が
これからの考え方のベースに
なるわけだから気をつけないと。

以前、書いたことありますが、
「子どもは親の言うことは聞かない。
でも、親の真似はする。」
まさにこれですね。

以前、テレビで林修先生が言ってた事。

「どうしたら子どもが
本を読むようになりますか?」との問いに
「お母さんは家で本を読んでますか?
親が楽しそうに本を読んでたら
子どもは絶対、読書が好きになります。
でも、親が読んでなかったら
子どもは本を好きにはなりません。」
と答えていたことありましたが、
まさにこの通りなわけです。

会社も同じ。組織は同じ。
社員は社長の言うことは聞かないけど
社長の真似はします。

遊んでばかりの社長が
「どうしてうちの社員は
真面目に働かないんだ?」と言ってみても
それは仕方ないわけです。

残ってくれる社員が社長の考え方に
ソックリになっていくのも当たり前だし、
全然、方針に沿わない社員が辞めていくのも
仕方ないのかもしれません。

そう思ったら親子が似るにも当然なわけで
顔立ちやしぐさは、産みの親に似たとしても
行動や考え方は、育ての親に似るわけです。

20年や30年先に娘たちが
何かと私や奥さんのやり方に
ソックリな姿を見て
母を思い出し、笑いつつも
いろいろ思い出すんだろうな・・・・。

たまには母と過ごすのもいいものですね。

「親孝行したいときは親はもういない。」
この言葉通りにならないように
こんな時間も大切したいです。

「会議」で一番大事なこと

ドラフト会議も無事終了。
10月も終わろうとしています。

あんな特殊な会議もないですが(笑)、
やってみたい気がしないでもないです。

先日、ある会社さんにお伺いしたとき
会議の司会をしていました。

スタッフの皆さんから様々な意見が欲しくて
どんどん意見をだしてもらう展開に。

もちろん仕事の会議なわけですから
皆さん真面目な意見を出してくれます。

でも、企画会議や商品開発会議って
ちょっと不真面目なくらいでいいので
もっといっぱい意見を
出してほしいと思っています。

ありきたりな意見ばっかりでは
ありきたりな結論しか出ず、
斬新な結論は突拍子もない意見が
大きなヒントになって
新しい方向性が生まれるのが常です。

アメリカのGE社家電製品開発会議で
有名なエピソードがあります。

「トースターって使わないで閉まっておくと
ネズミが寄ってきて、衛生上よくないから
ネズミ捕りつきトースターはどうですか?」

会議でこんなふざけた意見がでました。

そんな意見に「まじめにやれ!」とは怒らず
こんな感じで進んでいきました。

「アホなアイデアだね。
ところでなんでネズミが寄ってくるの?」
とその社員に上司は質問をしました。

「パンくずが残っているからですよ。
あっ!!!! だったら、
パンくずがたまらないトースターって
作れませんか?」

「そ、それだよ!!」

こうしてGE社のトースターは
大ヒットして、世界中で売れたそうです。

アメリカでは、その分野を知らない
素人に会議に参加してもらい
自由に発言してもらう会議の手法も
あるそうです。

そういえば、昔、私も
新しい商品を考えるときや
みんなの前で話した内容が適正だったか、
部下をきちんと叱れていたか、
(怒るではなく叱るができていたか)
部下をきちんとフォローできていたか など

それを隣で聞いていた
その業務には直接、携わっていない
パート社員の女性のスタッフたちに
いつも確認していました。

彼女たちは結構ストレートに
「問題なかったと思います。」
「あれはもうちょっと言い方があります。」
アドバイスくれたので助かりました。

(組織における女性の立ち位置に
「母親のように遠慮なく言ってくれる」要素は
とても大きいと思っていました。)

日本でも村おこしの成功の秘訣は
「若者、よそ者、馬鹿者」が鍵を握るとも
言われているそうですね。

シャッター商店街を復活させたエピソードに
よくそんなニュアンスがあるようにも思います。

なので、会議は
いつも活気ある場でありたいですね!

とはいえ、
「ウチの会社の会議は元気がない。」
「長いだけで無意味」
「社長が一人で話してるだけ。」
そんな声も聞きます。

会議を意味あるものにするのは
参加した社員全員が傍観者にならず
意見をどんどん言うことが大事。

その場では言わないくせに
終わってからグズグズ言ってることが
元気なく、意味無く、誰かだけのものに
なってるということを
全員が真摯に受け止めてくれたら
一瞬で変わるのにな・・・と思ってます。

ただ、これをストレートに言うと
痛いところをつかれるのか
みんな逆に無口になるので
うまく伝えることを
いつも気にしています(笑)。

ニホンゴ ッテ ムズカシイナ・・・。

(ちなみに途中のお話は
ひすいこたろうさんのコラムから
引用させてもらいました。)

<追伸>

先ほどいったような町おこしの一環。
実際歩いて見かけた大阪の
シャッター商店街の各店のポスター。
秀逸すぎて腹かかえて笑いました。
せっかくなので何点か最後にご紹介。

プライド

10月姫路はお祭りのシーズンです。
様々な地域で賑やかに行なわれています。

大人も子どももケガが無いように
気をつけてくださいね。

先日のテレビでのこと。
昔のスーパースターだった人が
ライブで観客が集まらなかった理由で
直前になって中止した話がありました。

まぁ、自分の行いは、
全て自分に降りかかってくるので
自己責任といえばそこまでですが、
ちょっと大人げないと言うか
大人としてカッコ悪いなと
個人的には思いました。

「各々の生き様を他人が
どうこういうものではない」みたいな
意見もあるでしょうが、
他人様に迷惑をかけてまでいいものかは
その人の良識が問われるわけです。

そもそも評価や値打ちは
自分で決めるものではなく、
他人が決めるものですから
あんまり自分の意思を押し通すのも
どうなんでしょうか?

それで見捨てられたり
見限られたりしては
元も子もないように思います。

一般的にはこういった話は
プライドが許さないからなのでしょうが、
そもそもプライドって何なんでしょうか?

プライドという言葉は
辞書(デジタル大辞泉)によると
誇り、絶対譲れないもの、自尊心、自負心
とあります。

(自尊心とは、
「自分の人格を大切にする気持ち、
自分の思想や言動などに自信を持ち、
他からの干渉を排除する態度」
自負心とは、
「自分の才能や仕事について自信を持ち、
誇りに思う心」という意味)

自分の考えを曲げないといった意味合いで
一般的には使われていますが、
これって言い方を変えたら
「やりたくないからやらない。」と
言ってるように思います。

プライベートや遊びならいいですが、
仕事だったり、
常識、ルールといった面でみたら
「やりたくないからやらない」なんて
許されるわけもなく、
ましてやチームや会社といった組織では
トラブルにしかなりません。

「やりたい、やりたくない」のレベルで
やりたくないから やらないのが
プライドなのではなく、
「やりたくなくても
やりきらねばならない事を最後まで
やりぬくこと」がプライドだと思うのです。


(こういう考え方もありますが、
これは「やらなくてもいいのに
やりたくないことはやらない」という事で、
「やりたくはないけれど
やらなくてはならないことはやる」事と
都合よく混同してはややこしくなります。)

チームの和を乱す人は
「やりたい。やりたくない」で勝手に
ルールを変える人です。
そもそも事情が変わり
ルール変えたいのならそれはきちんと
対話をもって正式に変えないといけません。

スーパースターだった人には
何をしても許してくれる
熱狂的な支持者がいるでしょう。
でも、もう見限ってしまうファンも
たくさんいるわけです。

全ては自己責任ですが、
意地だ、プライドだというのなら
集まってくれた7000人ものファンに
やれる限り、約束をやり抜いてから
「今の自分にはこんな大きい会場で
やり切れる力は不足していた。」と
言ってくれたらカッコよかったのになと
思ったりするわけです。

現実を受け入れること や
きちんと謝れることこそが
本当はプライドが高いことなんだと
みんなが思えたら
チームや会社で起きるイザコザって
8割は無くなるのではないでしょうか?

私の好きな歌の歌詞に
「中途半端な正義感が話をややこしくする。」
というのがありますが、
「中途半端なプライドの高さが
話をややこしくする。」と言い換えても
いいかもしれませんね(笑)。

なので、毎日の生活の中で
「事実をきちんと受け入れる」
「キレイに謝れることができる」
そんな奥さんのことを
私は心から尊敬しています。

偉そうに言っても私はまだ未熟者。
まだまだ試練の毎日です・・・・・。

可愛げ

急に冷え込んできました。
季節の変わり目は体調を崩しがち。
みなさん、気をつけてください。

さて、読書の秋ということで
ここ最近は時間があれば、
ずっと本を読んでる森下です。

今更かもしれませんが、
先日、田中角栄さんの本を読みました。

強面なこともあり、
我の強い横暴な人といった
イメージが強かったのですが、
本を読んでみて、
とても魅力のある生き様を知り、
結局、3冊ほど田中角栄本を
一気に読んでしまいました(笑)。

改めて考えたら、
なにかしらの魅力が無ければ
ここまで伝えられる政治家のわけもなく、
当たり前といえば当たり前なんですが、
感心すること箇所が多々ありました。

お金の面で疑惑な部分や
何より賛否両論な人ですが、

自分の懐を肥やすための私欲というより、
お金は政策を実現するための方法論でしか
ないようにも感じられましたし、
(現に公では派手でも、
私生活は質素であった言い伝えも
あるようです。)

どうやったら新潟の地元の人が
暮らしやすくなるようになるか、
どうやったら日本中のどこでも
暮らしやすくなるようになるか、

そのことを一心に思っていた
真っ直ぐさに結局、周りは
理解してしまうのでしょうね。

そんな田中角栄さんは、
類まれなるリーダーシップがあり、
存在感も行動力もあり、
とてもない大物なわけです。

でも、読んでて田中角栄さんの
一番の魅力はこういった部分でなく、
表現は不適切かもしれませんが、
「可愛げ」があることだと思いました。

周りはその「可愛げ」に
やられてしまうのでと思います。
「人たらし」といったほうが
いいかもしれません。

(「人たらし」って言葉は元々、
「人をだます」っていう悪い意味で
日常では「媚びる人」「八方美人」
なんてニュアンスが強いですが、
私は「可愛げ」って意味が
一番大きいと思ってます。)


(元祖 人たらし)

目下の人にも詫びれる度量の広さ。
政敵であろうが亡くなったら、
葬式には真っ先に駆けつけ涙する様。
子どもような負けず嫌い。
自分の弱さを認め、隠さなかったこと。

ボスとして君臨していても
大物政治家が相手でも
地元の農家のおばあちゃんにでも
誰にでも接する態度が同じであり、

その率直な人間の姿に
誰しもが尊敬の念を持ちつつも、
「可愛げ」を感じたのではないでしょうか?

実は、名をなしたリーダーの人って
結構、みなさんこういった
「可愛げ」があって、
部下や家族など周りの人から
愛されたエピソードが多いのも
同じことのように思います。

ちなみに現在、スーパースターで
素晴らしい実績を出しているのに、
目上の人も、年下の人も
誰もがカワイイと思ってしまう
「可愛げ」のある人って
この人ではないでしょうか(笑)?


(エンゼルス 大谷翔平選手)

とはいえ、「可愛げ」だけでは
リーダーには絶対なれないわけで、
統率力も覚悟もあってこそです。

最後に田中角栄さんが
1962年大蔵大臣に就任したとき、
大蔵省の面々を前にした演説を
最後に書いておきます。

存在感も 経験も 考え方も大事ですが、
自分の想いをこのような言葉で
相手に伝えられることは
とてもスゴイことです。

大卒のエリートから見れば、
学歴がないリーダーは見下されることも
多くあるかと思います。

しかし、親分とは
そんなことでは決まるものではありません。
それが分かるこの名演説。
私はこれ読んだときグッときました。

「私が田中角栄だ。
小学校高等科卒業である。

諸君は日本中の秀才代表であり、
財政金融の専門家ぞろいだ。

私は素人だが、
トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、
いささか仕事のコツを知っている。

一緒に仕事をするには
互いによく知り合うことが大切だ。

われと思わん者は誰でも遠慮なく
大臣室にしてほしい。

何でも言ってくれ。
上司の許可を得る必要はない。

できることはやる。
できないことはやらない。

しかし、すべての責任は
この田中角栄が背負う。

以上!」

田中角栄、44歳のときの演説。
(宝島社「田中角栄という生き方」より抜粋)