最近、どんなことにでも
〇〇ハラスメントって言葉が表現されます。
先日、ネット見てたら
「トーキングハラスメント
話したくないのに話しかけられる」とか
「ブリージングハラスメント
呼吸してほしくないのに呼吸される」とか
もう逆にそっちの考えの方が
ハラスメントなのでは?と
言いたくなるようなものから
「イグジスティングハラスメント
存在して欲しくないのに存在している」
といった言ったもはや言いがかりレベルの
ものまで存在するようです(苦笑)。
我々が若かった頃は
若い人や弱者には拒絶する権利はなく
上から傷つけられた世代なので
今の時代のように拒絶できる権利があるのは
いい事だと思いますが、
もう少し線引きをちゃんとしておかないと
逆にコミュニケーションが取り辛い…。
このネット記事でも若い人に
声が掛け辛くなる・・・と書かれていました。
とは言えセクハラやパワハラは
無くなって当然と思いますが、
個人的にはその2つよりも
モラハラの方が先に無くなった方が
世の中よくなると思っています。
セクハラやパワハラは相手が原因なのが明確。
なので相手を憎めるし、
周りから見ても相手が悪いとわかりやすい。
だけどモラハラは相手が全ての原因でも
自分にも原因があるんじゃないかと
自分を責めてしまい、
何より周りに相手が原因だと伝わりにくい。
何故ならモラハラの加害者は
善人面して外面がいいのが共通点。
だからタチが悪いわけです。
例えば、正論で叱ることは
最もらしく見えるのですが
相手が弱い者の時は、怒りの合理化に
過ぎないことがほとんど。
被害者はなかなか回復できず、
環境が悪いからと周りから思われないと
周りの人から我慢できない人だの
ワガママだの責められて傷つきます。
付き合う人が良い人の方がいいのは
当たり前な考えですが、
モラハラの加害者は全て、
善人面して外面がいいとすれば
良さそうに見える人には
注意したほうがいいとなるわけですね。
そう言えばこれまでにも
「人格障害者ほどフェロモンが出ている」とか
結果的に伝説のクレーマーになった人ほど
「最初はいい人だったんですけど・・・」と
聞くことが多かったので
同じような意味合いが強い気がします。
ちなみに私は第一印象が普通の人こそ
結果的に長くお付き合いできる人と思って
ここ10年、過ごしています。
そう思い行動するとあながち外れていません。
第一印象が悪い人はそのまま
付き合えない人が大半ですけど(笑)
良すぎる人は付き合いも長続きせず
紙一重な人が多いことに気づきます。
この見方が正しいかどうかの議論より
そうかもしれないなと一つの考え方として
頭の隅にでもおいて
行動してもらいたいですね。
人付き合いも仕事もうまくいくための
そんなヒントにしてもらえたら幸いです。
(加藤諦三著「モラルハラスメントの心理」
より参考引用させてもらいました)