今日は2020年12月13日。
亡き父の命日です。
亡くなったのが1990年でしたから
今日で30年経ちました。
当時高校3年生だった私も
今では50歳前のおじさんになりました。
年月の過ぎる早さに改めて驚いています。
30年も経つと父との想い出も
随分薄れてきたように感じますが、
頭の中にある「映像」や「写真」は
どんどん色褪せていくも
口癖や躾などの「言葉」は逆に
どんどん色濃くなっていくような気がします。
例えば、亡き父に口酸っぱく言われた事は
「挨拶をしろ」
「部屋を出たらドアはきちんと閉めろ」
「履物は揃えろ」
この躾の3つの言葉でした。
私と長女の年齢差は私と父と一緒。
成長のタイミングも一緒なこともあり、
今では同じことを娘に言ってます(笑)。
娘に言いながら昔言われてた自分を思いだし
一人で半笑いになっています。
そして、亡父はよく
「やったらしまい」って言葉を
口癖のように言ってましたね。
「(どんなことも)やったら終い(おしまい)」
やりたくないけどやらないといけないことって
日々の生活の中でもたくさんあります。
それをブーブーと愚痴ってダラダラやるなら
さっさと終わらせてしまったほうがいい!
そんなニュアンスだったように思います。
改めて思うのですがこれって結構、
私の中の骨であり、肉になっています。
嫌なことだったり、やりたくないことだけど
やらないといけないことほど先に始める考え方。
ご飯食べてても嫌いなものほど先に食べて
好きな食べ物は最後に味わって食べる感じ?
どんなことも取り組んだら
必ず終わるって考え方。
「誰がしてもいい仕事はみんなの仕事。
自分がやったら損だからやらずにいよう。
誰かがやってくれるから楽しよう。」
そんな考えでは生きれなくなりましたが(笑)、
おかげでそれでは見えなかったものが
見えるようになり分かるようになり
改めて有難かったなと50歳前の今、
しみじみ思っています。
考え方は人それぞれですが、
親分と言うか人の上に立つ人こそ
実はこんな考え方が必要なものなのに
できない親分が実になんと多いことか(苦笑)!
「人の上に立つこと」と「偉そうにすること。」
「人の上に立つこと」と
「部下を道具や駒のように使うこと。」
「人の上に立つこと」と
「しんどいことを部下に押し付けれること。」
これらは全く意味が違うものだと
歳とってから一層、理解するためには、
この言葉は本当に大切だなと思っています。
「やったらしまい。」
積極的に取り組む姿勢ってとても大切で
何歳でも忘れてはいけないことですから。
もしかしたら親から引き継ぐ遺産とは
お金や不動産ではなくて
価値観や躾、生き様かと思います。
30年経ってそう思えるのなら
幸せなのかもしれません。
父さん・・・・
別れてから随分、時間が経ちましたね。
私の家族を逢わせたい気持ちもありますが、
ふたりでサシ呑みしながら
いろいろ語り合いたいです。
まだ逢うには早いですから(笑)
随分先の天国で逢うことあれば
酒の一杯もご馳走しますね。
(45年くらい前かな・・・)