戯曲「米百俵」

「米百俵」と言うお話、ご存じですか?

北越戦争で敗れ禄高が3分の1になった長岡藩。
窮状を見かねた支藩から百俵の米が届き、
藩士達は少しは生活が楽になると思うも
大参事小林虎三郎氏はそれを藩士達に配らず
それを使って学校を建てると言い出した。

藩士達は怒って小林虎三郎に抗議するも
「百俵の米も食えばたちまちなくなるが
教育にあてれば明日の一万、百万俵になる。」
と諭して押し切り、学校を建てた。

ちなみにその学校からは東京帝国大学総長や
医学博士、司法大臣が生まれ、
有名な山本五十六海軍元帥も学んだとのこと。

実際にあったお話を「路傍の石」で
有名な山本有三さんが戯曲に書かれました。

今を生きることも大事で
どうしても目先の利益に目が奪われがちですが、

長い目で物事を考えた時に
どれだけ今を辛抱して先で利益をあげるかは
リーダーとなる名を成した成功者の器の大きさや
度量にかかってくるような気がします。

もちろん、何事も計画性次第だし、
結局は自己責任なことも分かっていますけど
大きく変わるには、力を持ったボスの
リーダーシップが大きいと言わざるをえません。

「自分さえよかったらいい。」
正直、そう考える人が多いのも事実。

名を成し、金を持った人のほとんどが
そう考えがちなのもよく知っています。
そうでなければ名を成せても
金を残せないものですから(苦笑)。

そして実際にそんな人達は
綺麗な言葉をよく言うのですが、
綺麗な行動は伴わなかったりします。

「言葉を信じるな、行動を信じよ。」
行動が伴うのは、本当凄いことです。

でも、こうやって私欲に走らず
先を考えられる人が
結果的に人を育てられる、
みんなを幸せにできるのだとしたら
令和の時代でも「米百俵」の精神は
ずっとあり続けて欲しいものですね。

「ひとつの仕事をして
金を残すのは三流、
名を残すのは二流、
人を残すのが一流。」という
故、野村監督で有名なこの言葉。

金を残せなかった者の妬みと言われたら
それはそれで何も言い返せませんが(笑)
人を育てるというか
未来に期待を残せるような生き方を
カッコいいなと思うのは
負け惜しみなんですかね?

そんなこと思った秋の一日です。

炎上する不快な記事が多い理由

ネットやSNS、youtubeなど今の時代、
何でも気軽に情報が手に入れられます。

正しい情報もあるのでしょうが、
情報発信者の責任が曖昧な分、
フェイクが多いのも事実でしょうし、
匿名な分だけ真実が多いとも
嘘が多いとも言われて逆に混乱します(笑)。

なので、手軽で無料ですがネットより
極力、発信者が明確な書籍を買って
情報や知識は得るように心がけています。
(特に古典などから)
その後、ネットでも見るのですが
順番だけは書籍で確認→ネットで再確認で
情報は仕入れることが多いです。
※これに関しては各々の見解で
善し悪しを議論する気はないのであしからず。

とは言え、スマホを見てたら
いろんな記事が目に入ってくるのですが
どうしてあんなに不快な記事や
炎上した記事を見かけることが多いのか
常日頃、不思議に思っていました。

そんな時、本を読んでたらそのことが
詳しく書いてあったので書いてみます。

今の時代、年がら年中
被害者の気分でいたがる人達、
かっこよく被害者でいたがる人達が
あらゆる階層、立場で数多く存在し
そういった人達が不正なことを知って
虐げられた気分になり、炎上させる。

それをメディアは煽って長引かせる。

これを作家ライアンホリディさんは
「アウトレージポルノ」と説明されてます。

アウトレージポルノ・・・
メディアが真実のストーリーや
問題を扱うよりも、
ある程度の不快感を与える話題を見つけて
それを広範囲な視聴者に流して炎上させ
その怒りの反響をさらに広めることで
新たな集団を激怒させる方がはるかに簡単で
儲かることに気づいたこと。

こうしたお互いにくだらない意見を
浴びせ合ううちに本当の社会的な問題から
注意をさらされていくようになる。

でもどうして中毒かの如く
いつも気分を害していたくなるかと言えば
ハイになれるから。
自分だけがいつも正しく道徳的に
優位でいられて気持ちいいからとのこと。
(以前書いた 正論バカに通じますね)

疑問に思っていたことが見えてきて
読んでて妙に腑に落ちました。

~「その決断がすべてを解決する」
マークマンソン著 より紹介~

例えば、元芸人youtuberの方が言ってた
「ファンであれアンチであれ
動画を見てくれたら再生回数が伸びて
金が儲かるから誰が見てくれてもいい」
みたいな発言はこういうことなんでしょうね。

要は、敵でも味方でもアホでも利口でも
シニアでも中学生でも誰でもいいから
再生してくれただけでいいって理由。

誰が見てもいいから広告を出している背景。
でもこれはテレビの視聴率も一緒か。

何かこういう相手の魂胆こそ実は
不愉快だと思うのは私だけなんですかね・・・。

まぁ情報は、利用すべきもので
支配されるものではないと言うこと。

物事が「苦痛」になるか「活力」になるかは
それは自分が選択したものか?
それの責任を負うのかどうか?で決まります。

他人に問題を押し付けるのが簡単になったのが
ネットやSNS社会の副産物と言われるのなら
やっぱりこういった情報を活用するのは
「慎重さ」と「丁寧さ」が必要になります。

何より画面を通じた関係性でも
そこに人とのコミュニケーションも含まれるなら
やっぱり相手への「敬意」がないと
利用されて終わるだろうなって感想ですね。

自分だけが正しいと思うのではなく
正直であることを前提に受け入れないと
怖いものだなとも思いました。

デジタルだけが大事とは思っていない
アナログ寄り人間の独り言です(笑)。
お後がよろしいようで。

プロらしくルールを学び、アーティストらしくルールを壊す。

先日、読んだ本に
こんな言葉が紹介されていました。

画家ピカソの残した言葉で、
「プロらしくルールを学びなさい。
そうすればアーティストらしく
そのルールを壊すことができる。」

簡単にまとめられていますが、
「なるほどな~。」ととても感心したのです。

プロである以上、
やりたいやりたくないといった判断ではなく
やらなければならないことを
きちんとやりきらなくてはなりません。

そうしていく中で
絶対ズレていけない視点や
絶対変えてはいけない考え方を知り、
その上で新しい何かを見つけ出すことや
新しい何かを作り出すことが
アーティストらしくルールを壊していく
そんなプロの姿勢なわけです。

凄い実績を残した選手や
天才って言われている選手ほど
何歳になっても基本的な練習こそ
欠かさなかったします。
走り込みやキャッチボール、素振りなど。

例えば、打率こそ大事といった価値観を
安打数に向けたり、
草野球だったら下手くその定位置ライトを
憧れのポジションに変えたイチロー選手や
二刀流なんて絶対無理、
そんな考えを吹っ飛ばして
メジャーで本塁打王を狙う大谷選手らが
そんな何かを壊していったわけです。

イチロー選手や大谷選手といった
スーパースターのようにはできませんが、
もっと一般レベルで考えたとしても
壊してはいけないものを理解した上で
変えていっていい何かを変えていく
そんな挑戦はしていきたいですね。

庶民レベルで・・・(笑)。

区切りをつけることは大事

昨日は奥さんの祖父の命日で一回忌でした。
こんなご時世なので少人数で墓参りして法事。
娘たちは留守番させてたのでお弁当貰って
昼には家に帰りました。

おじいちゃんが亡くなって1年経つのが
早いななんて言いながら昔話もしました。

一般的に亡くなられたら1年後から
法事をされるケースが多いかと思いますが
こういった区切りをつける儀式は
生きていくうえでとても重要だと思っています。

故人を思い出して偲ぶ機会にもなりますし、
みんなが集まるきっかけにもなります。
そして新しく何かを決意したり
引きずっている何かを手放す機会にもなります。

色んな人を見て思うのは、
こういったことをきちんときっかけにして
区切りをつけれる人はなにかしら形づいた
成果を出せているってこと。

きちんと成果を出せている人は
きちんと〆切を決めて行動している人です。
運がいい事もあるでしょうが、
区切りをつけるから良い運が転がりこむと
私は逆に思っています。

売れる営業マンは期限を決めて行動します。
売れない営業マンは期限を決めずに行動します。

そして、期限を決めない人は
出来なかったときに言い訳して
出来なかった事を正当化し始めます。

期限を決めて行動する人は
仮に期限内に結論が出なかったとしても
事実を受け止めてどうするのか考え直します。

スキルも知識もあるでしょうが、
まずは〆切を決めることが差を生む大きな要因。

正直に言えば、建てたいのに家が建てれない人や
土地が決めれない人、結婚できない人など
やりたいことがやれない人は
お金や環境も要因にはあったとしても
①やろうと決心する
②いつまでにするか決める
この2点が曖昧なことは共通しています。

「ご縁」ということもありますが
「ご縁」ですら実は自分で変えれるものならば
まずは〆切を決めることから行動すると
やりたいことをやる、なりたいものになる
そんな機会にも出逢えるような気がしています。

区切りをつけることは
〆切や期限を決めることに似ているのなら
法事をして亡くなった人を改めて思い出して
その上で自分は新しい未来を決めれたら
人生の達人に少し
近づけるのではないでしょうか?

お宮参り
七五三
入学式
卒業式
成人式
結婚式などなど

形はどうであれ区切りをつける機会は
人生をより充実したものにしてくれる、
背中を後押ししてくれる
そんな前向きなものとして活用したいです。