先日のFBにも書きましたが
ローリングストーンズのドラマー
チャーリーワッツが亡くなりました。
高校2年の初来日の時をきっかけに
ストーンズを知り、大好きになりました。
ストーンズは私の音楽の先生です。
初期のアルバムはカバー曲がほとんど。
古いブルースやR&B、ロックの名曲を
アルバムを通じて教えてもらい
そのルーツを知ることで
一層、音楽好きになっていきました。
そのおかげで今でも底なし沼のような
オールドブラックミュージックの虜になり
現在に至ります。
バンドってボーカルやギターといった
フロントのメンバーに注目が行き、
ドラムって軽視されがちな時もありますが
実はストーンズはチャーリーのドラムこそ
ストーンズの象徴だったりします。
ミックやキースの華やかさや楽曲も
素敵なことはもちろんなんですが、
ストーンズを「うどん」に例えたら
ミックはうどんそのもので、
キースやロニーは天ぷらやお揚げ。
チャーリーのドラムは出汁といった感じ。
でも、汁物は出汁こそ一番重要。
出汁のまずい「うどん」は「うどん」にあらず。
チャーリーがいなくなることで
あご出汁から鰹出汁に変わるくらいの変化。
なので、もしかしたらストーンズは
もうある意味終わってしまうような気がして
とても寂しく思っています。
人間関係と言うか組織、チームには
目立たないけど精神的支柱の人っていますよね?
会社なら社長やトップ営業マンが目立つけど
実はその人たちをつないでいたのは別の人で
その人の価値を誰もその時は気づかないんだけど
いなくなって初めて気づく存在感。
マスコット的な人もそうです。
いるときは皆、からかったりしてるんですが
いなくなって気づくんですよね。
いかにそのマスコットの人がチーム内の
衝突を中和していたってことに。
仕事そのものに直結していないと
そのことには気づきにくいのですが、
当事者たちがどうして
うまくいかなくなったんだろう?って時、
気づかない不振の理由の一つだったりします。
(これを絶対認めないリーダーがいかに多いか)
周りからみたらわかりにくいけど
あの人にどれだけ助けてもらっていたのか
自分の身の周りでもそんなことがよくあることに
気づかせてくれるそんな機会にもなりました。
私の好きな都都逸
~人の値打ちと 煙草の味は
煙になって わかるもの~
いなくなって気づくその人の意義、存在感。
残された方はそのことを嚙みしめて
次の世代へと繋いでいくのでしょうね。
「死んだら後は知ったこっちゃない。」と
好き勝手に生きてる人も多いです。
自分さえよければいいと…
生き方は人それぞれの価値観なんで
個々で勝手に思って生きればいいのでしょうが
残された者の為には
綺麗に生きることこそ大事だと思います。
死んだあとに
「お前の親は不義理する人だった。」
「お前の親分はしょうもない男だった。」
「お前の社長は金に汚かった。」
そんなこと言われる家族や子分、社員って
正直たまったもんじゃありません。
「我が子が可愛い」だの
「社員が大切だ」の言ってるのなら
煙になった後で値打ちのある人だったと
言われるように生きることが
金や形に残るもの以上に
残された人にとって大事な気がしています。
(池袋暴走事故にも同じことを思います)
チャーリーワッツはある意味、地味な人でした。
ただこれからは存在が実は強烈だったことに
ファンである私たちですら感じるのでしょう。
そして、その存在感の大きさを
改めて知ることになるのだと思います。
カッコいいですね。
チャーリーワッツのご冥福を
心よりお祈り申し上げます。
残されたメンバー、特にキースリチャーズが
老けこまないか心配ですが
名前の如く「転がる石」のように
命尽きるまで転がり続けてくれることを
一ファンとして心より祈念申しあげます。