漫画の影響って大きいですよね…

東京オリンピックでの日本選手勢の大活躍。
本当に凄いですね。
開催国での優位性もあるのでしょうが
毎日のメダルラッシュに歓声をあげてます。

私が子どもの頃はメダルなんて
そんなに獲れなかったように思います。
メジャーの大谷選手といい
ゴルフの渋野選手といい
バスケの八村選手といい
本当、心強い若者がたくさんいますね。
日本もまだまだ大丈夫そうです(笑)。

オリンピックは柔道をメインで観てましたが
これからはレスリングや陸上競技を
観ることが増えてきそう。

実は昔、陸上部だったこともあり
陸上競技はそれなりの知識もありますが、
野球やサッカーはまだあったとしても、
柔道やレスリングなどの種目に
触れるきっかけは幼い頃は
実際ほぼなかったように思います。

でもルールも面白さも知ってるんですよね。

ルールや面白さを何で知ったかと
よくよく振り返ってみたのですが、
それはたぶん全部、漫画の影響ですね(笑)。

ラクビーもWCを観に行くくらい好きですし、
麻雀は暇があったらケーブルテレビで
この20年間しょっちゅう観ています。
これらも全部、面白さを知ったきっかけは
やっぱり漫画だったりするのです。

今はもう漫画を読むことはかなり減り
本を読むことのほうが増えましたが、
本屋に行きビジネス本や論語などでも
漫画化されてるものも多いのを見れば
何歳になってもきっかけになるのでしょう。

以前にも書いたことがありますが
エルマーの冒険の翻訳者の方が言われた言葉。

アンパンマンなどに子どもが興味を持ち
絵本を読んで夢中になるのは、
「実在しない生き物が
子どもの心に椅子を作り、
それが去った後に実在する大切な人を
座らせることができる」って言葉。

実は、漫画も一緒ですよね。

今まで知らなかったことに
漫画で知り、興味を持ちだし、
心の中に興味を入れる引き出しを作って
その中に入れてそれを好きになっていく。

例え、漫画でもそれがきっかけとなり、
そのものに興味を持つようになって
自分自身がそれを突き詰めていったり
それを見て楽しめるのなら
とても素晴らしいことだなとふと思いました。

そして物事を突き詰めていくことは
多くの専門用語を知り学んでいくということ。

でもそれを誰かに伝えていくときには
何かに例えたり何かで代弁したりすることが
とても大事になっていきます。

私は、物事の奥深さや本当の意味は
そのものから感じることよりも
余韻や余白、行間にこそ滲み出て
感じるものと思っています。

そうならきっかけは
どんなきっかけからでも全然いいし、
一見、遠回りに見える専門外の知識も
知っていたほうが実は最短で
物事を理解できる手助けになるはず。

ひとつのことを深く知る前には
たくさんのことを浅く知っておくのも大事。
とすれば漫画も捨てたもんじゃありません。

別に漫画を読むことを
必死で推奨してるわけでもないですが(笑)、
漫画から学べることもたくさんあるのなら
興味を持つのならなんでも触れてみることを
改めて主張したい気になった次第です。

私たちの子どもの頃は
そんな漫画がたくさんありました。
今の時代もあるのかな?

若いうちにいろんなものを知って
その中から自分がやりたいことに
出逢える人生を送ってほしいと願います。

偏りがちな見方に注意!

最近、本を読んでいると
どんなジャンルの本を読んでいても
「バイアス」って単語がよくでてきます。

バイアスとは、偏った見方といった意味。

昔からある言葉なのでしょうが
最近、本当よく見かけるようになりました。

おそらくネットやyoutubeを使うことで
捉え方が偏ることが多くなっているから
一層、最近言われるのでしょうね。

例えば「確証バイアス」の意味は、
自分の考えや仮説に沿うような情報のみ集め、
仮説に反するような情報は無視する傾向。

Aと言う考え方とBという考え方があり、
自分はAの方が正しいかな?と思ったら
ネットでAの方が正しいと言っている
意見や情報ばかり集めて、
Bの情報を集めないどころか無視してしまう。

そんな風にしていくことで
考え方がどんどん偏ってしまうようです。

そういわれたらビジネスも派閥も宗教も
確証バイアスが強化されていくことで
成立していくことが多い?

そう思ったら発信側は、
バイアスをうまく利用したほうが
優位にたてるし金儲けもできる。

逆に受信側、受け手側なら
どちらの意見にも耳を傾けた方が
冷静に判断できることに気づきます。

「偏った見方をしない」ことは、
自分から見た相手を客観視して判断するよう
自分を戒めるために大事ですが、

逆の立場で考えてみたら
そもそも相手にそんな風に偏ったように
思わせている自分の発言、行動、態度を
見直す機会にもできたほうがいいですね。

評価は自分がするのではなく
他人がするものだとしたら
バイアスという見方そのものを知ることが
自分にとって大きなヒントな気がします。

「プロ」とは2つのバランスが取れている状態

その道のプロになるって言うことは
どういうことなんだろう?

年数を重ねたからプロになれるでもない訳で、
お金で買えるわけでもありません。

プロの意味を調べたら大きく2つ
①専門的な仕事に従事し、その能力が高く、
その仕事の技術に優れ確かな仕事をする人
②主たる収入を得るために特定の分野に
従事している人

どっちかに偏りがちですけど
この2つのバランスが大事だと思います。

情報を集め知識や経験を増やして
専門家になることを指しがちですが、
その専門的なことを素人の相手に
どれだけわかりやすく伝えて選んでもらい
お金を支払ってもらえるかと言うことから
目を背けたら商売にならないのも事実。

技術者は専門用語で生き、
販売者は日常会話で生きる。

どっちが上かではなくどっちも大事。
そしてそこにお互いが敬意を持たないと
組織でする商売ってうまくいきません。

技術者がいいものを作って、
販売者が気持ちよく選んでもらう。

料理は美味しいんだけど流行らない店。
いいものは作るんだけど売れない店。
頼りになるんだけど選んでもらえない店。
逆もまた然り。
うまくいかない時って偏ってませんか?

モノが悪けりゃヒトがよくても
まず選んでももらえないので
まずは技術が第一ですが、
それをうまく相手に伝えられるヒトがいないと
お金にならずやり続けられないのが現実。

宣伝広告な販促面も踏まえて
組織のみんながお互いに敬意をもって
協力しあえることがもしかしたら
プロになる第一歩なのかもしれませんね。

オリンピック開催について独り言・・・

もうすぐオリンピックが開催です。
直前になって無観客試合になるとか
迷走ぶりが半端ないですね(苦笑)。

コロナの影響で1年延長になり
ここまで状況が変わらないとなると
何かにつけ賛否両論はあるとは思いますが
そもそもの話、一つだけ疑問があります。

何故もっと早い段階でやるかやらないかを
決めなかったんだろう?

状況を見てから「やる」か「やらないか」を
決めるのではなくて
「やる」と決めたからコロナを止めるために
1か月間、都市封鎖しますといって
全てを止める判断って難しかったんですかね?

あんまり政治のことに口を出すのは
控え目にしているのですが
この状況見てたら一度、言いたくなりました。

「様子を見て決めます」って行為は、
いろいろ理屈をこねてみても
実は問題を先送りしているだけで、
責任の所在を曖昧にしていることが大半なのは
日頃の生活の中でみんな薄々、
感づいてたことなのに・・・。

仮に情報収集や検討の時間が必要としても
結論をいつに出すか〆切を決めてない時点で
こうなるのは予想できたはず。

仕事で結果が出せない人のプロセスと
本当によく似ています。

もちろん、難しい問題なのは理解しています。
でも、難しいことと難しいから〆切を決めずに
だらだら考えていいこととは違うはずです。

昔、家づくりの営業をしていたときのこと。
なかなか家をすると決心できない人が
「一生に1回のことだから決められない。」
と言って、結局建てない人も多々いました。

でも、一生に1回のことだから
勇気をもって自分で決めた〆切までに
決心しないと建てられないんですよね。

家づくりのお手伝いしてて思ったのは、
家はお金や土地があるから
建てられるのではなく
家を建てようって覚悟を決めた人しか
結局は建てられないってこと。

オリンピックもいろいろあるけど
開催すると決めたから
開催するためにこういったことを
みなさん協力して欲しいって言ってたのなら
こんな なし崩し感満点のオリンピックには
ならなかっただろうなと思ってます。

コロナが招いた混乱と言うより
どうするか決めれなかったことによる
迷走っていったほうがいいのかな?

(もちろん偉そうなこと言っても
決めた通りにならないことも
多々あるのが現実の話。

でもその時はその時にもう一度
考え直せばいいわけです。

方向や目的を決めないことと
方向を目的をまず決めて行動し、
問題起きたらその時に考え直すことを
一緒の意味にしてしまうことが
一番、迷走する理由ですよね・・・。)

2週間くらい前になって無観客って・・・

チケット払い戻しも大変だけど、
ホテルや交通手段のキャンセル、
会社の有給届引き下げなど
お盆前の忙しい時期に手間が増えただけで
本当、何がしたかったんだろうと思います。

オリンピック開催を反対してた人や
開催を反対してたマスコミの中にも
いざ開催されるとなったら
観戦する人もいるし、応援する人もいるし、
放映する人もいるわけで・・・・・・
もうなんだかよくわかりません(苦笑)。

とは言え、出場する選手たちは
頑張って欲しいので、
仕事の合間にテレビで
私は応援しておきます。

でも、今回のオリンピックは
客観的にいろんなことの大事さを
気づいた機会にはなりました。

私は私で今後の人生に活かしていきます。

可愛げがあったほうがいいに決まってる

子どもはもちろんのこと
もうおじいちゃんであったとしても
人づき合いにおいては
可愛げがあったほうがいいに決まってる。

それは、おとなしい人が悪くて
活発な人がいいってわけではありません。
不貞腐れている人より
助けてって素直に言ってくる人の方が
人は手を指し伸ばしやすいってこと。

例えば、言い古された表現ホウレンソウ。
報告・連絡・相談をしようって話。
ホウレンソウを最初に言いだしたのは、
山種証券(現SMBC日興証券)の山崎富治さん。

確かに数人以上が関わって行動する以上、
仕事でもスポーツでも
共有しあわないといけないことが多いので
日頃のホウレンソウが大事。

でも今の時代、このホウレンソウすら
パワハラ的だの何なのと言われていて
何だか真意を分かちあいにくくなってます。

そもそも山崎さんがこう言い出したのは
この3つを怠らず、ポパイのように
イキイキと仕事をしてほしいという願いから。

ホウレンソウしてくれたら
問題が起きた時に部下を守ってやれますが
勝手に進めてこじれるだけこじれてから
バトンを渡されてもどうしようもなく、
早めに言ってくれたほうが
みんなも助かることがほとんどです。
(たまにウチの上司は言っても無駄だと
ホウレンソウをしない人もいますが、
それはホウレンソウが無意味なのではなく
その上司に問題があるからなので
意味をゴッチャにしない方がいいですね。)

だから形式にはこだわらず
「今、大変なことが起きてます」(報告)
「今晩、先方と話し合います」(連絡)
「どうお伝えしたらいいですか?」(相談)
そんなことを隠さず率先して言わないと
やっぱりみんなで取り組めず
フォローしあえないですよね。

困った時に困ったと言えることは
可愛がられる基本の一つ。
可愛がられないとなかなか応援してもらえない。

となるとやっぱり可愛げがないといけないし、
可愛がられる=成長していく為にも
ホウレンソウは大切な手段の一つと思います。
(ホウレンソウが目的になるのは危険)

今の時代は「ホウレンソウ」は古い、
これからは「カクレンポウ」
(確認・連絡・報告)の時代だとか
これからは「おひたし」
(怒らない、否定しない、助ける、指示する)
の時代だよと言ったような形について
あーだこーだと議論する気はないのですが、

要は相手だけに理由や原因があるわけでなく
自分自身にもあるのだとすれば
可愛がってもらえる自分を心がけることも
成長していく段階では大事な気がします。

可愛げは何歳になっても大事とは言え
可愛げしかないおっさんも
それはそれで問題なので気をつけます(笑)。

そう思ったら就職したての頃に
当時、元気だったお祖母ちゃんに合うたび、
「会社の人らに可愛がってもろとるか?」って
聞かれてた事の意味が
今になって胸に沁みてきます。

おばあちゃん、ありがとう。