大切なのは、心配した後に行動すること。

ペンシルバニア州立大学の調査によると
心配事の79%は起こることがなく
残りの心配事のうちの16%は事前に
準備をしていたら対応できることだそうです。

ということは心配事は
5%しか起こらないもののようです。

そう思えばいつも最悪を予想して
あらかじめ対処方法を考えることが多いですが
起こらないことがほとんどだったりします。

ネガティブな目線で考えたら
「どうしてそんな起こらないことに
気を取られて考え込んでしまうんだろう?」と
自分を責めてしまいますが、
ポジティブな目線で考えたら
「心配しすぎるのは前向きな証拠。
注意力があって実行力があるからだ。」と
自分を誉めることもできそうです。

物は考えよう、物は捉えようで
気持ちの持ち方が大きく変わってきます。

決断力のない人を
優柔不断と責めることができますが、
慎重な証拠と受け入れることもできます。
(昔、住宅営業してたとき
決断できないご主人を責める奥さんに
家族のことを考えたら
慎重にならざるを得ないですからと
よくフォローしてました。
とは言っても決断する勇気こそ
家づくりを具体的にスタートするには大事。
最初の一歩は覚悟ですよとお伝えして
家づくりのお手伝いはしていましたが・・・。)

心配することは準備にもつながり大切ですが
心配しすぎて行動できなくなるのは本末転倒。

きちんと心配した上で行動することは
リスク管理の上での夢を実現する方法。

心配して対処する準備を心がけたら
後は実行、実践あるのみ。
行動してる時は心配のブレーキを踏まない。

成果が出たら繰り返す。
成果が出なかったら考え直して再度やる。

確かに成果を出してる人達って
これができている人達が多いな~と
思いあたることが多かったので
言ってる私もまずやってみます(笑)。

清志郎さんが生きていたら…

コロナはいつ頃、落ち着くんだろう?
緊急事態宣言もまだまだ続く感じだし・・・

そもそもオリンピックは開催されるのかな?

やるならやる
やらないならやらないといった判断は
さすがにもうタイムリミットを
越えているように思うのは私だけ?

ウッドショックで建築業界も先行き不安だし
飲食業界もタクシー業界も観光業界も
いろんな業界がどうなることやら。

オンラインに切り替えて
仕事ができる人たちはまだいいとして
1年以上もこんな状態続いていて
まだまだ続くとなっては経済も止まる。

ワクチンが広まって落ち着いて
1日も早く元に戻って欲しいと思う今日この頃。

そういえば今月2日は忌野清志郎さんの命日。
もう12年も経っているんだな…。

でも清志郎さんが生きていたら
どんな歌を
どんなメッセージを発信してくれただろう。

33年前の曲。
原曲はバリーマクガイヤさん、
日本でも高石ともやさんが
カバーしていた曲に手を加えて
更にカバーした問題作カバーズの1曲目
「明日なき世界」

『狂ってきたこの世は騒がしいぜ
こんなとこからは逃げるに限る
一週間ほど宇宙旅行に
でも戻ってくる場所はもとの故郷
進軍ラッパが闇の中にひびく
潜水艦がジェット機が国を取り巻く

でもよォー 何度でも何度でも
おいらに言ってくれよ
世界が破滅するなんて嘘だろ 嘘だろ~』

清志郎さんが生きていたら
この曲の先の世界を歌っていて
もう奮い立たせてくれているでしょう。

困った時や悩んでいる時に
音楽は元気と勇気をくれるものだと
いつの時代も私は信じています。

今の時代も勇気づけてくれる曲は
あるのかもしれませんが、
歳をとってきたら察知するレーダーが鈍って
古い曲ばかり聴いてたりします。

以前にも紹介した曲ですが
こんなときだからこそ古い曲ですが
清志郎さんの「JUMP」って曲を聴いて
一人で先に奮い立っておきます(笑)!

『何が起こってるのか誰にもわからない
いい事が起こるようにただ願うだけさ』

 

「言葉の使い方」

緊急事態宣言も延長されました。
仕事以外何もできない状況なので
結局、読書三昧の森下です。

連休だったこともあり
仕事に限らずいろんなジャンルの本を
暇を見つけては乱読してたのですが
読んでてとても共感したお話がありました。

伝説の刑事と言われた大峯泰廣さんの
取調べの裏話が書かれた本「完落ち」

大峯さんは、ロス疑惑やサリン事件など
数多くの大事件に関わってこられました。

連続幼女誘拐殺人事件の犯人だった
宮崎勤の自供も大峯さんが取られたのですが
その取調べの話の際に書かれてた
「調べの極意」がとても興味深いものでした。

大峯さんは「調べの極意」は
3つあると言われています。
その3つめが私はとても腑に落ちました。

1つめは「間合い」
2つめは「タイミング」
そして3つめが「言葉の使い方」

この「言葉の使い方」って言うところがミソ。
言うのは易いが、やるのは難しいものです。

例えば、セールスにおいても
「やらないといけないこと」や
「言わないといけないこと」って
案外、誰しも分かってたりするものです。

でも、売れる人と売れない人に分かれる。

例えば、「契約してください」って言葉は
誰しも言わないといけないと分かってますし、
似たようなことは言えますが、
売れる人は、はっきりと言えてますが
売れない人は遠回りな表現だったり、
何よりきちんと言えてなかったりするものです。

そういったことが言える空気を作り
適切なタイミングを計って
はっきりと明確な言葉で伝える。

書くのは簡単だけど
実践するのは難しいものです。

実際、日頃は高圧的な態度で
ズケズケ言うような人でも
営業や販売の場となったら
明確な言葉でお客様に
全然言えない人が多かったりもします。

そんな人はそもそも
お客様にも言葉の使い方が高圧的すぎて
ちゃんと言えない以前に
嫌われて商談が終わる人も多いし、

逆に言葉の使い方が頼りなさ過ぎて
期待感が全く無くて
嫌われることも多いから本当に難しい(笑)。

そう思ったら
相手に正直な気持ちを話してもらうためには
①「間合い」
②「タイミング」
そして③「言葉の使い方」

本当に<言い得て妙>な極意です。

昔、読んだ田中角栄さんのエピソード。

「カネは心して渡せ」
人にカネを渡すときは頭を下げて渡せ。
くれてやるといった態度が少しでもあれば
そのカネは死にガネになる。

これこそまさに
間合い、タイミング、言葉の使い方に注意した
究極の実践例のような気がします。

もうすぐ私も50歳。
世間でいう「年寄り」の域に入ります。
粋なジジイになれるように
今から心掛けておきます。

母の日にふと母を想う・・・

今日は母の日。
私も来年50歳になるいい歳ですが、
いくつになっても母親には
頭があがらないものだったりします(笑)。

母の日なので、母との話を書いてみます。

自分を振り返っても
母に限らず、まだ子供だった頃に
親が言った言葉って
いつまでも胸に貼りついてて
何年経っても影響を受けてるものです。
(なので親になった今、娘たちに
言う言葉や感情は気をつけています。)

田中角栄さんのお母さんの有名な言葉

「人間には休養が必要である。
休んでから働くか、働いてから休むか。
そのときには働いてから休みなさい。
それから悪いことをしなければ
住めないようになったら、
家に帰ってきなさい。
また金を貸した人の名を忘れても、
借りた人の名は絶対に忘れてはなりません。」

15~16歳の頃に母に言われた角栄さんは
この言葉が生涯、胸に貼りついていました。

私自身、そんな偉人でもなければ
母も一般人のごく普通の母ですが、
そんな私でも貼りついてる言葉あります。

それは私が高校生だった頃の言葉。

我が家は母以外は全員、男といった家族。
ガサツで騒がしい家だったでしょうし、
勿論、女性の気持ちなど気にしたどころか
考えたことすらなくスクスク育ちました(笑)。

そんな息子なので母は心配したのでしょう。
こんな言葉を言いました。

「高校生になったら女の子と二人で
遊びに行くこともあるやろう。
その時はどこに言っても意図的に
こまめにトイレに行きなさい。」
と言われました。

「なんで?」って聞いたら
続いて母はこんな風に話しました。

「年頃の女の子は誰しも自分の気持ちを
ストレートに話せるわけじゃない。
その子は恥ずかしくてトイレに行きたいって
気軽に言えない女の子かもしれない。
アンタにはわからへんやろうけど
女の子には月に1回、生理があって
体調がいつも万全じゃない。
何よりこまめにトイレに行けないと困るもの。
遊びに行く先にはトイレがあるか?
アンタが何回もトイレに行くのなら
ついでに恥ずかしがってる女の子でも
気軽に行きやすいやろ?
そういうことを黙って配慮してあげれる
そんな男になりなさい。」

10代の私はそう聞いて
なんと女性とは面倒くさいんだと思いつつも
了承しました。
そしてその言葉は胸に貼りつきました。

なので今でも、女心とやらは皆目わからない
難問のままではありますが、
若かりし頃の私は見た目によらず
紳士的に振る舞ってたように思います。

言われるがまま女性に気遣い、
こまめにトイレに行きたいと言う
そんな男になっていったわけですが、

何処に行ってもすぐトイレに行こうというので
そんなことを気遣っていることなど
相手に真意は伝わらぬまま
単なる「トイレが近い男」として
空回りの青春時代を送ったことは
令和になった今でも内緒話です(笑)。

でも、いまでも胸に貼りついてる
親の言葉は今でもいくつかあります。

親になった今、今度は逆の立場で
娘たちが素敵な女性になれるような
父親としての素敵なアドバイスを
してあげれるように
いまだに日々、修行中の我が身です・・・。

ハートの強さ

今日は「野球」の話でも・・・

緊急事態宣言で今年のGWも
これといって予定もなく家で待機。

おかげで晴れの日は洗濯三昧
天気が悪い日は家の片づけして読書と
それはそれで有意義に過ごしています。

今年は阪神タイガースが開幕から好調で
ペナントレースも面白く、
家にいることが多いこともあり
ついつい野球中継を観戦しがち。

人それぞれ意見はあるでしょうが
今年の阪神の開幕からの快進撃は
ルーキー佐藤選手の存在と思っています。

鳴り物入りで入団、オープン戦でも快打連発。
大いなる期待を持ってペナントが始まるも
三振が続くスタート。
本塁打やヒットも打ちますが
最初の期待が大きい分、
プロの壁と言うか苦戦する様もあり
やっぱり厳しい世界なんだと思いました。

暫く三振が続いても全然フルスイングを
辞めない佐藤選手。
場外本塁打を打つなど大物の片鱗チラホラ。

そんな姿を見続けていると
実は佐藤選手の凄さって長打力どうこうより
三振が続いてもバットをフルスイングで
振り続けるハートの強さだと思えてきました。
エラーしても堂々としてるように
個人的には見えてしまってたりします(笑)。

どんな世界でも結果がでないと
消去的になって元気がなくなっていくもの。
売れない時の営業マンの挨拶の声が
日増しに小声になっていくことに似ています。

失敗が続いてもおおらかにミスを許す
上司や首脳陣がいる前提とは言え
ここまで姿勢を変えずに一貫できるのも
本当に凄いなと感心してしまいました。

一般的に思われがちな「明るさ」ではなく
騒がしさではない「強い明るさ」も
備わっているのでしょうね。

佐藤選手の凄さを長打力とかだけで
判断すると本質を見誤りそうですが、
ミスにも へこたれないあのハートの強さは
彼から見たら父親くらいの年齢の私でも
見てて本当、感心してしまいます。

今、世界中のスポーツの世界で
20代の日本人の若者たちが活躍しています。
我々世代から見たら信じられないレベルで。

体格や体力といったフィジカルな面もですが
おそらくメンタルな面でも
大きな差があるのでしょう。

怒って直させる時代から
叱って気づかせる時代を経て
誉めて伸ばす時代というのか・・・

どの時代にも一長一短あるとしても
今の時代の背景の良いところや見習う面は
素直にきちんと受け入れて
我が身にも染み込ませていきたいものです。