「数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う」

数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う。

政治アナリスト伊藤惇夫さんの言葉。
数年前に偶然、ネットで見かけたときに
昔から胸でモヤモヤしていたことが
スッキリしたことを覚えています。

事実である以上、統計値は信用しています。

でも、数字の話を聞くときに
たまに感じていたあの違和感は、
統計値を都合よく利用している人や
それでお金儲けしている人の
話だったんだなと腑に落ちた時が、
私なりの気づきの時でした。

例えば、平均と言った言葉も
言う側と聞く側の定義がよくズレています。

聞く側は平均と聞いたらちょうど真ん中とか
一番多い層であると思いがちです。

でも、それは言う側のデータが
算術平均(合計数字の平均)なのか
中央値(人数のちょうど真ん中)なのか
最頻値(一番人数の多い層)なのかによって
感じ方は大きく変わりますよね?

平均年収とか平均貯蓄額の話の時に
よく定義がズレてて、言う側と聞く側の
感じ方が違うことが多かったりします。

これは平均と言う言葉の意味が
とても曖昧なことを利用して
種類の異なった平均を使い分けています。

私なりに定義が違うことで、
捉え方が大きく変わる話があります。
それは、離婚率の話。

これもどの意見が正しいかの議論でなく
言う側と聞く側の定義のズレが大きい。
(ちなみに私なりの解釈なのでご了承あれ。)

「夫婦の3組に1組が離婚している。」

そんな話を最近よく耳にしませんか?
確かに離婚される方は身近にもいますが
そんなにも今は多いのか?と思います。

これを平成28年のデータで解説しますね。

平成28年の1年間で熊本県を除く
46都道府県では、
婚姻届は62万531件提出されたそうです。
ちなみに離婚届は21万6531件提出されました。

1年間で出された届を元に計算すると
62万531件÷21万6531件=2.865…
よって、2.86組結婚して1組離婚する。
これが世間でよく言われる3組に1組が
離婚する話の根拠だったりするそうです。

「・・・あれ?」
聞く側の我々はそんな1年のみの数字で
判断するのではなく、
もっと大きな分母で理解してないですか?

ちなみに平成28年時点での
熊本を除く日本総世帯数は4994.5万世帯。
この時点で累計で考えたら
これだけの家庭の数があるわけです。

内訳
①夫婦のみの世帯    1185万   世帯
②夫婦と未婚子の世帯  1474.4万世帯
③単世帯        1343.4万世帯
④一人親と未婚子の世帯     364万   世帯
⑤3世帯          294.7万世帯
⑥その他          333万   世帯

③単世帯と④一人親と未婚子の世帯は
離婚がないので省きます。
すると離婚する可能性がある世帯合計数は
離婚数を分子と考えたら分母は3287.1万世帯。

ざっくり計算としても
21.6万÷3287.1万=約0.66%
⑥のその他の方を省いて計算しても約0.73%
初婚や再婚といったことや
何らか他の原因を含めたとしても
変わったとしても最大1%ほどでしょう。

と言うことは自分の周りで婚姻している世帯を
分母としたら1年間で離婚されるのは
100組に1組と言うのが事実。

過去の離婚した話も含めたら
体感する数字はもう少し高いでしょうが、
とは言っても3組に1組が離婚するというのは
かなり大げさなことが分かります。

全体的に把握すれば1%にすぎないことも
これで何らかのビジネスをしようとする人や
このデータを利用して何かを企む人は
3組に1組の夫婦が離婚しているだの
離婚率が33%といった表現になるわけです。

でも、この話って
数字の嘘は言ってないんですよね(笑)。

集めたデータを捏造するのではなく、
元々からこっちの意のままの集計になるように
意図して集計する相手を選び、
意図して集計する内容にしているわけなんです。

そう思うと、数字の話はなおさらですが
お互いがどういう条件で、
お互いがどういう定義で、
そのことを対話しているのかを
よく理解していないと
本来、自分が思っている理解とは程遠い答に
たどり着いてしまうことがあるわけです。

数字は嘘をつかないが嘘つきは数字を使う。
事実を間違って理解しないためにも
気をつけていきたいですね。

追伸

最後に、こういった数字、データを
正しく理解するためにオススメの本をご紹介。

1冊は約50年前に書かれた本
「統計でウソをつく法」
もう1冊は2年前に出版されたベストセラー
「ファクトフルネス」
この2冊は面白すぎて、
しかもとっても為になる本なので
お時間ある方は是非読んでみてください。

自分が頭のキレた人になったかのように
錯覚できて、気分がよくなります(笑)。

「優しい言葉」

先日、ネットで見かけたお話。

90歳超えたおばあちゃんが
会う人に「お元気?」と聞かれるけど
この歳になったら元気な日なんかほぼないので
「お変わりないですか?」って
聞くようになったとの話に
それを読んだ他の方が、
「その言葉は優しい言葉でいいですね。」と
コメントされてました。

「元気にしてる?」とか
「頑張ってる?」とか
浪花商人テイスト満載な聞き方で
「儲かってまっか?」みたいな挨拶もありますが

それらは、どこか押しつけがましいような
時としてガサツな感じもすることを思えば
確かに「お変わりないですか?」って言葉は
相手にしてみたらとても優しくて、
労わりのある言葉だなって思いました。

そんな話を読んでたら
自分のおばあちゃんのことを思い出しました。

11年前に90代半ばで他界。
最後の10年ほどは痴呆もありましたが
赤ちゃんの頃から随分、
可愛がってもらいました。

私も大きくなり学校を卒業し、
就職してからのこと。
実家から車で1時間半ほどの距離なので
お盆やお正月に会いに行っていました。

就職してから他の人に逢えば、だいたい
「仕事頑張ってるか?」とか
「社会人はどうや?」とか
言われることが多く、その都度
「わからないことがまだまだ多いな。」とか
「仕事って大変やけどボチボチやってる。」
といったように答えていました。

「そうか、頑張れよ。」みたいな話で
やりとりが終わればいいのですが、
だいたい、その後いつもくっついてくる
「若造はそれが当たり前」
「グズグズ言わんとやったらええねん」的な
偉そうに言いたいだけの大人の言葉が多くて
何か違和感と言うか、
嫌な感じが多かったように思います(笑)。

そんな中、そのおばあちゃんは
「仕事がどう?」とか「大変か?」とかでなく
「周りの人に可愛がってもろとるか?」って
いつも聞いてくるのでした。

「うん、可愛がってもらってるで。」と言うと
「そうか、そうか。それはよかった。
周りのみんなに可愛がってもらって
仕事を覚えていけよ。」と言われることが
なんかいつも暖かい気持ちになって
嬉しかったことを思い出しました。

そう言えばおばあちゃんは
私が大学生になって一人暮らし始めてからも
「ご飯、食べとるか?」しか聞かなかったな。

そんなおばあちゃんの言葉に
何だかいつもホッとしていたような気がします。

自分が社会人になった時の
支店長の年齢に今年なることを思えば(笑)
今はもうおばあちゃん側の立場・・・。
娘も春から中学生になりますし、
親としても意味のある言葉がけができるよう
日々の自分を改めて気をつけないといけません。

「許すこと」と「甘やかすこと」の意味を
履き違えないようにした上で
次の世代に教えたり、伝えたりしていくとき
もし仮に厳しい内容や指摘だったとしても
「優しい言葉」で言える大人でいれるように
自分自身、気をつけていきたいですね。

昔の仲間や友人達にも
「お変わりないですか?」と労って話せるよう
今日から気をつけたいと思います。

「人を残すは一流」

昨年の2月11日に野村克也監督が
亡くなられて1年経ちました。
多くの実績を残された方でしたが、
多くの言葉も残された方でした。

その中で有名なものに
「金を残すは三流、名を残すは二流、
人を残すは一流」というものがあります。

この言葉も見る角度によっては
いろいろな解釈が生まれる言葉。
(ちなみにこの言葉は類似語も多く
二流の「名」は「事業」や「仕事」に置き換えて
言われている人も多いみたいですね。)

当たり前ですが、
人はまず「金」を稼ぐことを目標にします。

お金が稼げるようになったら次は
「名」を残すことを目標にします。

そして、その2つを達成できたときに
それ以上に「人」を育てることこそが
生きてきた証として、
最後の目標にするのかなと感じています。

年齢を重ね、経験を積んでいく上では
考え方も捉え方も変わって当然ですし。

その上でこの言葉を
私なりに解釈している見方があります。

この3つ全てを残したような
ごくわずかの例外な偉人もいるでしょうが、
どの道、この1つでも手にした人は
人生において成功者と言われています。

仮に、二流と表現されている
「名」「事業」「仕事」を残した人を
この3段階の基準としたときに、
自分さえよかったらいいと思った人が
「お金」だけを残したように見られ、
周りの人をみんなよくしようと思えた人が
「人」を育てられたと思われると
私になりに解釈しています。

「下が上を養うもの」と考えて
子分から尽くすことを要求する親分を
子分は世話になってても慕わないでしょうが、
「上が下を守るもの」と考えて
子に愛情を注ぐ親のことは
子は死んでも慕うことに似ていますよね。

以前にも書きましたが、
海賊の世界ですら成果をほぼ山分けにするから
子分は親分を裏切らなかった話も
こういった話の裏付けになるような気もします。

リーダーになり金も名声も得ると
傲慢になり欲深くなるのでしょうが、
値打ちや評価は他人がするもの。
自己顕示欲、承認欲求が強い欲深い人ほど
本当は歯を食いしばって、
人を育てたほうが満たされるのかもしれません。

噂ではあの世にお金とやらは
持ってはいけないようなので・・・・・(笑)。

「どうにもならぬ事など何もなかったのです」

コロナ緊急事態宣言も1ヶ月延長。
そう言えば、ちょうど1年前の今頃は
マスクの売り切れが始まったくらい。
1年経ってもこんな状況が続いてるとは
思ってもいませんでした。

オリンピックもどうなることやら…。
今更ながら一日も早い決断と対応を望みます。

こんな情勢なので友人たちも
メールや電話で連絡を取り合うくらい。
なかなか景気のいい話も少なくて、
お店をどうしていこうかなんて話になりますが、
元気だけは出してやっていこうって結論で
いつも会話は終わります。

先日、ふと聴きたくなって
仲井戸CHABO麗市さんのCDを聴いてました。

CHABOさんは
RCサクセションのギタリストで
故、忌野清志郎さんの盟友。
かれこれ30年間の私のアイドルの一人。
70歳になった今でも
精力的に活動をされています。

「ガルシアの風」という曲があるのですが
その曲にこんなフレーズがあります。

聞きようによっては究極の開き直りにも
聞こえなくもないますが(笑)、
どうしようもないことを
いつまでも悩み続けても
どうもできないのなら
その事実を見ないフリするのではなく、
受け止めた上で大人は
乗り越えないといけないなと
改めて気づかさせてくれます。

そう言えばブルーハーツも
似たようなことを言っていたな・・・。

どうにもならない事なんて
どうにでもなっていい事・・・。
ブルーハーツ「少年の詩」より

自分なりの答えを見つけようと
誰もがいつも答えを探し続けていますが、
結局は答えはどこかにあるのではなく
自分で作り出すものだと気づきます。

そんな時、答えはさておき
いつの時代も 気づくヒントは
本や音楽、映画、絵、劇など
芸術や文化の中にあると思ってます。

本屋やCDショップ、映画館、
美術館、博物館、演芸場などはもちろん
思い出の景色を見にあの場所に行くこと等
そんな機会こそ今、大事だと思っています。

コロナが落ち着いてそんな機会も
1日も早く元通りになりますように・・・。

ガルシアの風youtubeで貼り付けておきます。
よかったらどうぞ。