『言葉で絵を描きなさい』

コロナ騒動がなければ
今頃はいつも通り夏休みの終わり。
若かりし頃の森下少年は
夏休みの宿題に追われていた頃(笑)。

計画性をもって生きる大切さを
いまだ身に着けることなく
無駄に歳だけ重ねてきています・・・。

今月22日に女性漫才師の内海桂子さんが
亡くなられていたニュースを昨日見ました。
機会あれば生で観てかった芸人さんです。

浅草の寄席に何度か行ったこともありますが、
なかなか出演されたときには行けなくて
ついに叶わぬ夢となりました。

弟子のナイツ塙さんが、
師匠の内海桂子さんは日頃から
「言葉で絵を描きなさい。」と言われてたと
コメントされていましたが、
なかなか奥深い言葉だなと思いました。

話の上手な人、言葉選びが上手な人って
言葉を聞いただけで、
頭の中に映像が広がるイメージがあります。

(歌詞でもそうですよね。
例えば、RCサクセション忌野清志郎さんが
書いた名曲スローバラード。

「昨日はクルマの中で寝た
あの娘と手をつないで」
と歌った後に唐突に続く
「市営グランドの駐車場」って歌詞。

初めてちゃんと歌詞カード見ながら聴いた時、
急に頭の中に映像が広がった気がしました。

その時に「やっぱりキヨシローは、
ステキで上手な歌詞を書くな~。」と
生意気に上から目線で
思ったこと思い出しました。
あれは俺、18。
路地裏の少年の頃(笑)。)

例えば、話の下手の人が
「嫌いな人」といったテーマで話したとき。

「嫌いな人ってどんな人?」って
唐突に聞き始めてもおそらく
個々で頭に描く嫌いな人の像は様々。
ということは会話も抽象的で
なかなか噛み合わなかったりします。

でも、話が上手な人なら
「例えば、苦手なタイプって色々あります。
時間を守れない人が苦手という人もいれば
お金にルーズな人が苦手、
他には陰口を言う人が苦手な人もいます。

そんな中でも私は、
嘘をつく人が苦手なんですが、
みなさんはどんな人が苦手?
もっと直球で言ったら嫌いですか(笑)?」って
話される感じがします。

そもそも「嫌い」って言うような
ネガティブな表現も
「苦手」っていう少しソフトな表現に
変えたほうが人は言いやすくなりますし、

各々が描くイメージを具体的にしていきながら
会話を始めていったら
みんな頭の中にいろんな具体的な絵が浮かんで
会話も弾んでいくように思います。

ちなみに頭で、
絵を描いてもらいやすくするには
抽象的なことを具体的にすることが大事。

なかでも「比喩表現」が一番やりやすい
具体的な方法だと10代の終わりに
島田紳助氏のトーク番組を見て
私は、こっそり気づいたわけです(笑)。

例えば、落語や講談の世界でも
名人と言われる人ほど
頭の中に映像が浮かぶ感じがします。

講談師 神田伯山さんが言われてましたが
「落語が会話形式で伝え
講談はナレーションで伝える。」
これも技術の一つなわけです。

例えば、寒さを伝えたいなら
落語なら
「源さん、雪が降ってきたね。」と言いつつ、
寒そうに会話する様子で伝えていきますが、
講談なら
「時は元禄〇年、雪が深々と降る夜に・・・。」
こんなナレーションで伝えていく。

方法はどっちでも相手に「寒さ」を
絵で伝えきれることがOKなわけで、
日常の会話形式がジャンル問わない
フリースタイル(笑)の我々は
自分に合った方法を参考にすればいいのです。

内海桂子さんが言われた
「言葉で絵を描きなさい。」
相手にちゃんと真意を伝えるためには
覚えておきたい大事なこと。
心にとめておきたいと思います。

追伸

売れない営業マンほど
抽象的な質問しかできなかったり
するように思います。

「私たちは いい家を建てています。
あなたにとっての いい家って何ですか?」

全然、頭の中に絵が描けないですよね?
各々、具体的に思うイメージは違うわけで。

売れてる営業マンは、
商品そのものが極端によいケースでなければ
たぶんこんな質問はされていないと思います。
(なによりも売れてる営業マンは
もっと自分にとって都合いい方へ導きますし、
自分の強みに共感させる力技も持ってます。
それは何か詳細が知りたい人は
また個別で聞いてください(笑)。)

ぶっちゃけ、モノさえよかったら
営業マンもそれほどスキルなくても
売れたりするものですが、
普通は最低限のセールストークの準備や
ロープレでの練習がないといけないわけです。

そんな中で相手に選んで頂くためにも
相手の頭の中で
「絵を描けるような言葉がけ」もできないと
いつも競合で負ける理由は
「価格差」や「会社の規模」になりがちな
言い訳営業マンなってしまいます。

自分ができることを整理して
戦う準備をすることに逃げず、
まずは「言葉で絵が描ける」練習を
営業マンは、やってみるのもいいですね。

偶然の産物

暑い日が続きます。
私が子どもの頃は、ひと夏で
30℃超える日はあっても2~3日くらい?
ここ最近は35℃とか当たり前。

コロナもですが熱中症にも
みなさん気をつけてくださいね。

さて、コロナもまだまだ先が見えません。
先日、始発の新幹線に乗ったのですが
結局、東京までに
同車両に乗った人数は私入れて6人!

飲食店の人に聞いても
タクシーの運転手さんに聞いても
まだまだ厳しい状況です。

とは言っても何か手を打ちたいわけで・・・。

業種によってはオンラインで
新しい取り組みにしてコロナ以前より
うまくやられている方もいます。

諦めずに何か考えて、
みんなが上手く行ける方法がないかな?
そんなこと思ったりする今日この頃・・・。

今まででも当初の目論見ではなく
予想外の展開を見せて
成功されたお話なんかを聞くと
まだまだ何かできる可能性はありそうです。

現にコロナ騒動で
今までなら夏に売れてた日焼け止めや
制汗剤などは売れ行きが伸びないのに対して
入浴剤や食品保存袋なんかは
予想以上の売れ行きのようです。

マスクやうがい薬、トイレットペーパーや
ティッシュペーパーも予想外の
品不足になったりしましたね。

例えば、ゲームのテトリスは
当初、教育用のソフトウェアとして
開発されたようです。

サランラップは食品用ではなく
戦場での銃弾、火薬を湿気から守るため開発、
シュレッダーばさみも
最初は刻み海苔を作るためだったようです。

今はビジネスでも遊びでも活用される
youtubeも最初は出会い系サイトとして生まれ、
Googleは図書館の蔵書検索サービスがきっかけ。
バイアグラも当初は
咽頭役の薬として生まれたのに、
興味深い副作用から今の用途として
使われるようになったのだそうです(笑)。

「偶然の産物」と言えばいいのかな?

今の厳しい時代の中では
今まで通りのやり方だけでは厳しく、
少なくともこの1~2年は
乗り越えられないかもしれません。

となると何か新しいチャレンジが必要です。

絶対成功する方法は何かはわかりませんが、
新しいチャレンジしていかない限り、
上記のような偶然の産物にも巡り合えません。

基本、人生は自己責任ですが、
こんな時代の中では
何かを分かち合おうと協力しあうことも
大切なことですよね?

偶然の産物ですら
出逢えるのは何かにチャレンジしないと
出逢えないのなら
その場に立ち止まって愚痴る前に
何かやってみようと思える熱意が
新しい扉を開ける鍵だと思うわけです。

みなさん、お互い頑張っていきましょう!

HAPPY

ここ数日、暑い日が続きます。
お盆休みに入られた方も多いかと思います。
コロナも心配ですが、
熱中症にも気をつけてくださいね。

さて、お盆になりました。
私事で恐縮しますが、
明日8月14日で48歳になります。
自分の年齢に自分自身が
一番驚いてたりしますが(笑)、
4回目の年男を迎えます。

例えば、20歳の頃の自分と比べて
何が成長したのかすら分からず、
何一つ変わっていない
未熟なおっさんとしか思えないのですが、
世間から見たら年齢だけは不惑の初老(笑)。
なんせ織田信長なら死ぬ1年前の年齢です♪

47歳になって しばらくした頃、
悔いのない人生を送れるようにと
自分が思うがまま
他人の目を気にせず生きていこうかとか
思った時もありました。

ただ、真面目に
生きてきた人ほど多い傾向らしいですが、
我慢し続けた人生の反動で
もういい歳まで耐えてきたのだから
これからは他人のことなど顧みず、
自分の好き勝手生きていくと思った人が
世の中で言う「老害」と言われる年寄りに
なっているのだと聞き、思案。

そんな考えに急ブレーキを踏んで、
ステキで可愛いジジイになるためにも
節度ある人生を送ろうとした次第(笑)。

自分勝手で意見を押し付けてくる
感情的なジジィは面倒くさくて最悪と
急ブレーキを踏んだ方針には
家族も賛成してくれてます♪

さて、私が17歳の時に来日してから
30年間、アイドルなのが、
ローリング・ストーンズのギタリスト
キース・リチャーズ氏。
初来日したのは48歳になってすぐの頃。

私もあの時のキースと同じ歳になります。

17歳の私から見て48歳のキースは
ずいぶん大人で、遠い年齢の人でしたが
自分もそんな歳になるのかと思ったら
なんかいろんなこと考えてしまいますね。

とは言っても健康には気をつけて
地に足をつけた我が子に胸が張れる人生を
歩むことができたら本望です。

最後に1990年2月初来日した時に
キースが歌った曲
「HAPPY」を貼り付けておきます。
一時期、私のテーマ曲でした(笑)。
(まだこんなに老けてないと思うのですが)

48歳の一年間が
HAPPYな一年でありますように・・・。

正しいことをいうときは・・・・

本を読んでいても
詩を読んでいても
曲を聴いていても
映画を観ていても
時に胸をグッとつかまれるような言葉に
出逢うことがあります。

例えば、大学生の頃に
桑田佳祐さんの曲を聴いてて
「粋で優しい馬鹿でいろ」って言葉に
初めて触れた時、衝撃を受けた感じ。

例えば、30歳くらいの頃に
茨木のり子さんの詩
「自分の感受性くらい」を読んで、
カッコ悪い自分にハッて気づいたとき。

例えば、37歳で次女を授かった時、
様々なリスクを考えて産むか産まないか
奥さんと悩んでた時に、
産婦人科の先生に
「産まれてこようとするお子さんのこと
信じてやってもらえないですか?」って
言われたあの瞬間。

生きてたら本当、胸を鷲掴みされるような
出会いがしらに ぶつかるような
そんな言葉に出逢えることがあります。

先日、吉野弘さんの詩を読んで
ハッと気づかされる言葉に出逢いました。

「祝婚歌」
吉野さんが姪夫婦に贈った詩。
これから一緒に暮らしていく2人に
こうあったほうがいいと語っていく内容。

その中にこんな言葉がありました。

「正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい」

なんか胸の中でモヤモヤしてたことが
なんかスッキリしました。

時として人は、正論であればあるほど
高圧的に上から目線で語りがちです。

自分は正しい。
自分が正義なのだから
間違ってる相手は傷ついて構わない。

そんな考えで
誰かに攻撃され傷ついたことも
誰かを攻撃して傷つけたことも
思いあたることはあるはずです。

正しいことを言うときに
相手を傷つけるものだと気づいていたら
もっと言葉を選んで
もっと建設的な話ができたよなと
詩を読んだ瞬間にいっぱい頭をよぎりました。

パワハラもモラハラも
根っこはこんなことかもしれません。

正しいことであればあるほど
言い方を間違えたら相手には
一生、伝わらなくなってしまうことも
たくさんあるのではないでしょうか?

本当はそんな結末なんて
誰も望んでいるわけではないのに、
本当はそのことが正しいことを
お互いが分かっているはずなのに、
言い方を間違えただけで
言った方は相手を馬鹿にして、
言われた方は相手を恨んで、
ただ後味が悪いだけ。

親子や夫婦、親しい友人あればあるほど
取返しのつかなくなるときって
もしかしたら内容がどうではなく
言い方がまずかっただけなことが
いっぱいあるように思います。

「それを言っちゃおしまいよ。」でなく
「そんな言い方したらおしまいよ。」
って感じかな(苦笑)。

言い方はどうでもいいんだ。
正しいことは正しいと
受け入れられないといけないんだと
言ってくる人はいるでしょう。

それも正しい考えなのかもしれませんが
それで相手に伝わらなかったときに
相手が悪いと責めるのなら
正しいこと言ってたとしても
その人は嫌われても仕方ないですよね。

なのに、なんで嫌うんだ?と言われても
それはいかがなものか?と思います。
どっちやねん!っていうほうがいいかな。

祝婚歌の最後はこんな言葉で終わります。
夫婦間であれ、友人間であれ
こんな関係でいれるように
相手に敬意をもって生きたいですね。

そんなことを思わされる
素敵な詩との出逢いでした。
いい機会でした。

「健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい

そしてなぜ胸が熱くなるのか
黙っていてもふたりには
わかるのであってほしい」

伊達政宗の「五常訓」

梅雨明けしました。
しばらくは暑い毎日が続きそうです。
コロナも心配ですが、
熱中症や日射病にも気をつけていきましょう。

伊達政宗の「五常訓」ってご存じですか?

これがなかなかうまくまとまった文で
戦国時代を生きぬくことはもちろん、
我々の日々の生活の中でも
ハッとするヒントになりますね。

いろいろありますが、
要は、何事もバランスが大事と
いったことを教えてくれます。

「伊達政宗五常訓」

仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。
礼に過ぎれば諂(へつらい)となる。
知に過ぎれば嘘をつく。
信に過ぎれば損をする。

気ながく心穏やかにして、
よろずに倹約を用い金を備うべし。
倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、
この世に客に来たと思えば何の苦労もなし。

朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。
元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。
今日の行くを送り、
子孫兄弟によく挨拶して、
娑婆の御暇申するがよし。

【意訳】
相手を優しくしすぎたら
自分が弱くなってしまう。
正しいことばかりに囚われては
融通がきかず柔軟な対応ができない。
礼儀正し過ぎたら、嫌味となり逆に失礼。
知識が増え賢くなると嘘つきになる。
他人を信じすぎたら損をしてしまう。

気を楽にして心を穏やかにして、
多少の不自由があっても倹約を心がける。
この世にお客さんとしてきていると思えば、
不足に思うこともないでしょう。

朝食や夕食がおいしくなくても
おいしい言って食べるように。
元々、お客さんであれば
好き嫌いを言える立場でもないですし。

そうやって生きていき、
いつかあの世へ旅立つときには
家族や子供に「ありがとう」と
ちゃんと挨拶をして旅立てばいい。

まずはなんでも「おいしい」って
言いながら食べることにしようっと・・。