「見捨てない」ということ

今日は5月10日。
我が夫婦の結婚記念日です。
11年経ちました。
あっという間の11年でした。

この1年も奥さんの尻に敷かれて
日々平和に過ごしていきたいと思います。

さて、そんなおめでたい今日ですが
朝から我が家は騒がしかったです。

というのも、最近、小5の長女が
悪知恵が働くようになったのか
要領よく手を抜く術を覚えたのか
やらないといけないことをやらずに
ごまかしていることが目につき始めました。

これはこれで成長していることなので
まぁいいかと思う気持ちもありますが、
だからいって親としてそれを
見過ごすわけにもいかないわけで
なんだかんだ叱っちゃいます。

第一子にありがちな
真面目でいい子ちゃんと思ってましたが、
要は普通の子でした(笑)。

でも、実際いい子すぎるのも困りもの。
いい子すぎる子は成長していく中で
時として困ったちゃんになることが多いので
逆に安心したのも親の本音です。

あんまり叱りたくもないのですが、
ここ数日同じことが続いているので
叱らざるをえない状態。

私は外面がいいのか(笑)、
前職時代のお客様の奥さんが私に言ったり、
また、子どもの友達のお母さんたちが
うちの奥さんに私のことを
「いつもニコニコしてて、ご主人は
お子さんを怒ったりするんですか?」と
言われるようですが、
ご期待に沿えず申し訳ありませんが
すみません、しっかり叱ります。

しかも、怖いくらいに(笑)。
(娘達は父ちゃんは
世界で一番優しいけど、
世界で一番怖いとも思っているようです。)

でも、自分の自己満足、やつあたりに
ならないように怒らずに
子どもの成長を願って
しっかり叱るようには気をつけてます。

叱るときは感情的にならず
冷静に諭すようにつめていくので
娘達もイヤでしょうが(笑)、
同じことを毎日叱り続けないといけないのも
こっちもあんまり
気分がいいものではありません。

でも、これって
子どものことを思えばの行動であり、
我が子のことを思えば
面倒くさくても言い続けれるわけです。

もうこんな奴いいやと見限っていいのなら
楽チンなわけです。

子育てや家事って大変って言いますが、
それは早起きしてご飯を作ることとか
毎日洗濯をするといった行動が
大変と思いがちですが、
じつはそうではなく、
相手を見捨てないと言うことが大変なんだなと
最近、改めて思うのです。

学校の先生も
部活のコーチも
会社の上司もみんな一緒ですよね。

もうこの子の成長は諦めよう。
面倒くさいからと辞めていいものなら
実はたいして大変でもなかったりします。

それがどんな相手でも
いくら言うことを聞かない相手でも
言い訳ばっかりしてている相手でも
見捨てずに相手をし続けないと
いけないから大変なわけです。

そう思ったら見捨てるこということは
本当の指導ではないわけで、
相手のわがままを安請け合いして
見過ごしていくことも
指導者としていかがなものか?と
思わざるを得ないわけです。

大人の世界では
度を過ぎればその相手を見限ることも
周りの人への影響を含めても
仕方がないことですが、

未熟な相手、
それが子どもや新人相手なら大人は
見捨てることは決してしてはいけない、
安易に相手を未熟さを受けてはいけない、
勇気をもって怒らず叱っていく。

真剣に相手に言い続けられないのなら
やっぱりこっちも上から目線で
偉そうには言ってはいけないわけです。

ちなみに娘達は小学生ですが、
まだ子どもだからと言って
簡単にスルーはしないのが我が家の方針です。

場の空気を読めずに騒がしくしていても
それが子どもだから仕方ないと
許したことはありません。
そもそも騒いだこともなかったですが・・・。

子どもだからといって仕方がないよと
したり顔で甘やかし、許してしまったから
騒いでも子どもは許されるんだと学習して
言うことを聞かなくなったわけです。

そして、そんな子どもが大人になったときも
そのことがいけないことでも
叱られたこともなけりゃ
怒られたこともないから
20歳を越えてもルールが守れないコトナ
<大人の見た目で中身が子どものこと。
by前田日明(笑)>になってると思います。

そして、それを本人も悪いと思ってないから
タチが悪いわけです。

これに似た話が以前、
ダウンタウン松本氏が言われてた
「新幹線で子供がうるさい。
子供に罪は無し。
親のおろおろ感なしに罪あり。」
ってコメントですね。

もし、我が子が
後輩が、教え子が、部下が
いくら言ってもできなくても
よっぽど致命的なモンスターでなければ
その相手を見捨ててしまっては、
自身の値打ちも下がってしまいます。

だから教育、指導、育てることって
本当に大変なわけで、
責任を持って言い続けること、
見捨てないことが
親、先生、上司の大事な業務なわけです。

ちなみに私は娘を叱るときはもちろん、
いつも言ってる台詞があります。

「父ちゃんのことをうるさいなと
嫌うならどうぞ嫌ってください。
こんな奴、嫌いと思ったのなら
どうぞいつでも嫌ってください。

父ちゃんは嫌われても全然OK!

父ちゃんの願いは、智美と志保に
自立した素敵な女性になってほしいこと。

そんな女性になってくれたら
父ちゃんは本望です。
だから、大人になるまではいつまでも
あなた達に悪いことは悪いと
言い続けます。
でも、いいことしたときは全力で
いいことしたねと誉めます。

あれ?いいことしたのに
父ちゃん、全然誉めてくれないなと思ったら
いつでも言ってきてください。」

こっちも真剣だから娘も真剣に聞いてます。

二人が素敵な女性になってくれて
大人になったとき、
一緒にお酒が呑みにいけたらなというのが
私の父親としての最大の願い!

そのためにもいつまでも見捨てない
真剣の父親であり続けたいと思っています。

明智光秀を知り、いろいろと考える・・・・

令和になって1週間が経ちました。
皆さんはどんな連休を過ごされましたか?

我が家は、なぜかこの連休に
ジャッキーチェンの映画「香港国際警察」を
part1~part3まで家族で観ました。

いつ観てもジャッキーはスゴイですね。
小学校1年生のときに酔拳を観て以来、
私のアイドルの一人です。

さて、このGWは
10連休とはなりませんでしたが、
結構、休ませてもらいました。

1泊2日ですが、平成最後に
滋賀県へ家族旅行に・・・

彦根城や多賀大社、信長の館、
近江八幡、比叡山延暦寺、
近江神宮に琵琶湖ミシガンと
強行スケジュールで観光してきました。
延暦寺はメインの根本中堂が改修中で
しかも雨で大変でしたが(笑)。

最近、百人一首に興味を持ちだした娘達は、
百人一首の聖地、近江神宮では
かなりテンションが上がり気味。

そんな旅行をしたこともあり、
帰ってきてから家族そろって
歴史の漫画をただ読みまくると
いった展開に(笑)。
あっ、百人一首も娘達は
やっていましたが、父ちゃんは爆睡・・・

今回、近江や安土を観光したので
読んだ歴史の漫画も
信長や秀吉、家康、石田三成や
明智光秀といった武将を読みました。

読んでみたら敗者の立ち位置の
三成や光秀がとても優秀で魅力的な
人物であり驚きました。

勝てば官軍。
成功者の言葉しか残らないから
見過ごされますが、
どんな時代でも集団のトップに立った人で
あるなら魅力的な人だったとしても
不思議ではありません。

特に明智光秀が魅力的な人であることを
知れてとてもいい機会でした。

この漫画の台詞を借りたら
光秀はこんな風に紹介されていました。

戦上手とたたえられ
戦国の世を渡り歩いた男

妻と子をこよなく愛し
家臣を大切にした男

領地に善政を敷き
民に慕われた男

比類なき武将 信長に
最も信頼された男

そして
信長を裏切った男・・・・

(朝日新聞出版「マンガ日本史」より)

信長を裏切った男といった側面でしか
見ていなかったことに気づきましたが、
結構、こういうことって多いですよね。

ある側面だけで判断するのではなく、
多面的に物や人をとらえるように
心がけることが大事なわけです。

戸田智弘さんという方が書かれた
「ものの見方が変わる座右の寓話」を読むと
こんなことが書かれていました。

ある日、六人の盲人が象を触って
その正体を突きとめようとした。

一人目の盲人は象の鼻に触り、
「象とはヘビのようなものだ」と言った。

二人目の盲人は象の耳に触り、
「象とはうちわのようなものだ」と言った。

三人目の盲人は象の足に触り、
「象とは木の幹のようなものだ」と言った。

四人目の盲人は象の胴体に触り、
「象とは壁のようなものだ」と言った。

五人目の盲人は象のしっぽに触り、
「象とはロープのようなものだ」と言った。

六人目の盲人は象の牙に触り、
「象とは槍のようなものだ」と言った。

それから、六人の盲人たちは
長いこと大声で言い争い、
それぞれが自分の意見を譲らなかった。


(あくまでイメージ画像です)

傍で見てたら滑稽な話です。
でも私達も物や人の一部分だけを理解して、
それが全てだと錯覚を起こしてしまうことが
多々あるわけですから、笑えない話。

またこの話は、
真実を表現する方法が異なっているだけであり
真実が異なっているわけではありません。

誰か一人が正しくて、
他の五人が間違っているのではなく、
また全員が間違っているわけでもない。
全員が正しいからややこしいわけです。

明智光秀の話もですが、
信長の裏切り者といった側面も真実ですが、
戦上手で渡り歩いたことも、
妻や子、家臣を大切にしたことも
善政で民に慕われたことも
信長に誰よりも尽くし、信頼されたことも
すべて真実なわけです。

ある一面だけでその人のことを
こんな人だと決めつけがちになりますが、
視野を広げて多面的にとらえられるように
ならなければと思った次第です。

ちなみに京の医師、
江村専斎は光秀のことを
「実直で礼儀正しい人だった」と評してますが、
イエズス会の宣教師ルイス・フロイスは光秀を
「裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷。
抜け目がなく、はかりごとの達人だった。」と
評していたようです。

実際、どんな人だったのでしょうか?
明智光秀の本が読みたくなりました(笑)。