音楽ネタが続くのも恐縮しますが、
書かずにはいられない森下です(笑)。
先日、やっと観にいってきました
映画「ボヘミアンラプソディ」
テレビや雑誌で評判も知っていましたが、
何より音楽好き問わず、
映画を観た友人達が全員、絶賛!
中にはもう3回観にいった友人もいて
なんとしても観たかったので
移動中の合間、東京で観てきました(笑)。
観た感想は・・・・
みんなが言うようにとてもいい映画でした。
ネタバレしてはだめなので
多くを語りませんが、
クイーンの楽曲の素晴らしさ。
フレディ役の俳優さんが途中から
本人にしか見えなくなる錯覚感。
最後のライブエイドのステージが
本物にしか見えない作り方・・・。
クイーンへの愛がいっぱいでした。
(余談ですけど映画の前半、
フレディ役の方がフレディというより
若い頃のミックジャガーに見えましたが、
最後はフレディ以外に見えなくなって
その役づくりにも本当に感心しました。)
フレディが抱えたきた
たくさんのコンプレックスや苦悩。
アフリカで産まれインドで育ち、
移民してきたことの人種差別。
改名してフレディ・マーキュリーとなったこと。
上の歯が多く、前歯が出ていたこと。
父親との軋轢。
メアリーとの日々での違和感?、
それが同性愛者であったこと。
あそこまで成功し認められても
心の底に貼り付いていた複雑な思いが
ぬぐいきれない様子。
そういった思いが積み重なって
「ボヘミアンラプソディ」という
今回の映画タイトルになった曲が
できていった背景みたいなものが
すごく感じられたから
とても感情が入っていったように思います。
映画の中、ライブエイドでのシーン。
最初にこの曲を歌ったとき
私は涙がこぼれました。
ボヘミアンラブソディは
こんな歌詞です。
最初の部分のみ抜粋してみます。
「ボヘミアンラプソディ」
これは現実なのか
それともただの幻か
まるで地滑りに遭ったようだ
現実から逃れることは出来ない
目を開いて
空を仰ぎ見るがいい
僕は哀れな男 だが同情は要らない
いつでも気ままにさすらってきたから
いいこともあれば 悪いこともある
どっちにしたって 風は吹くのさ
僕にはたいしたことじゃない
ママ たった今、人を殺してきた
あいつの頭に銃口を突きつけて
引き金を引いたらやつは死んだよ
ママ 人生は始まったばかりなのに
僕はもう駄目にしてしまった
ママ ああ ママ
ママを泣かせるつもりじゃなかったんだけど
明日の今頃になって僕が戻らなくても
今のままで生きていって
まるで何事も無かったかのように
もう遅すぎる 僕の最期が来た
体中を震えが走る
体中が苦痛に責めたてられる
さようならみんな 僕はもう行かなくては
あなた方の元を離れ真実と向かい合う時だ
ママ ああ ママ
僕は死にたくないよ
時々考えてしまうよ
いっそのこと生まれてこなきゃよかった
(詞:フレディ・マーキュリー)
誰しも悩みやコンプレックスはあります。
でも、それを乗り越えるというより、
事実は事実で受け止められないと
いつまでたっても何かのせいにしかできず
ずっと苦悩し続けてしまいます。
私も後10cm身長が高かったら・・
と思ってばかりでしたが、
たぶん10cm身長が高かっても
考え方が変わらなければ一緒なんだろうなと
言うことは30歳過ぎたあたりに
なんとなく気づいたりしています(笑)。
この曲も最後の歌詞は
「何もたいしたこと無い
誰もが知ってることさ
たいしたことじゃない
本当に僕にはたいしたことじゃないさ
どっちみち 風は吹くのさ」
と言って終わります。
ボブ・ディランも
「(人生の)答えは風の中で舞っている。」
と歌っていますが、
私はたった一人でいいから
自分を認めてくれる理解者と出逢えたら
自分のことを受け入れられるように
自分で自分にOKが
出せるのかなと思っています。
それがいつどこで出逢えるかわからない。
だから風の中なんだと勝手に思っています。
フレディは出逢えたけど
パートナーがメアリーであって、
メアリーでないところが
苦悩の根っこだったのかもしれませんね。
映画をみてそんな気がしました。
私は人生で
一人のパートナーと
一人の親友と
一人の恩師に巡りあえたら
素晴らしきものと思っています。
ありがたいことに人生振り返ったら
巡り合えたように思います。
後は、そのことに感謝して
自分自身のOKが出せるように頑張ります。
しかし、この映画はよかったな。
こんな映画に出逢えたこともラッキーですね。