10月姫路はお祭りのシーズンです。
様々な地域で賑やかに行なわれています。
大人も子どももケガが無いように
気をつけてくださいね。
先日のテレビでのこと。
昔のスーパースターだった人が
ライブで観客が集まらなかった理由で
直前になって中止した話がありました。
まぁ、自分の行いは、
全て自分に降りかかってくるので
自己責任といえばそこまでですが、
ちょっと大人げないと言うか
大人としてカッコ悪いなと
個人的には思いました。
「各々の生き様を他人が
どうこういうものではない」みたいな
意見もあるでしょうが、
他人様に迷惑をかけてまでいいものかは
その人の良識が問われるわけです。
そもそも評価や値打ちは
自分で決めるものではなく、
他人が決めるものですから
あんまり自分の意思を押し通すのも
どうなんでしょうか?
それで見捨てられたり
見限られたりしては
元も子もないように思います。
一般的にはこういった話は
プライドが許さないからなのでしょうが、
そもそもプライドって何なんでしょうか?
プライドという言葉は
辞書(デジタル大辞泉)によると
誇り、絶対譲れないもの、自尊心、自負心
とあります。
(自尊心とは、
「自分の人格を大切にする気持ち、
自分の思想や言動などに自信を持ち、
他からの干渉を排除する態度」
自負心とは、
「自分の才能や仕事について自信を持ち、
誇りに思う心」という意味)
自分の考えを曲げないといった意味合いで
一般的には使われていますが、
これって言い方を変えたら
「やりたくないからやらない。」と
言ってるように思います。
プライベートや遊びならいいですが、
仕事だったり、
常識、ルールといった面でみたら
「やりたくないからやらない」なんて
許されるわけもなく、
ましてやチームや会社といった組織では
トラブルにしかなりません。
「やりたい、やりたくない」のレベルで
やりたくないから やらないのが
プライドなのではなく、
「やりたくなくても
やりきらねばならない事を最後まで
やりぬくこと」がプライドだと思うのです。
(こういう考え方もありますが、
これは「やらなくてもいいのに
やりたくないことはやらない」という事で、
「やりたくはないけれど
やらなくてはならないことはやる」事と
都合よく混同してはややこしくなります。)
チームの和を乱す人は
「やりたい。やりたくない」で勝手に
ルールを変える人です。
そもそも事情が変わり
ルール変えたいのならそれはきちんと
対話をもって正式に変えないといけません。
スーパースターだった人には
何をしても許してくれる
熱狂的な支持者がいるでしょう。
でも、もう見限ってしまうファンも
たくさんいるわけです。
全ては自己責任ですが、
意地だ、プライドだというのなら
集まってくれた7000人ものファンに
やれる限り、約束をやり抜いてから
「今の自分にはこんな大きい会場で
やり切れる力は不足していた。」と
言ってくれたらカッコよかったのになと
思ったりするわけです。
現実を受け入れること や
きちんと謝れることこそが
本当はプライドが高いことなんだと
みんなが思えたら
チームや会社で起きるイザコザって
8割は無くなるのではないでしょうか?
私の好きな歌の歌詞に
「中途半端な正義感が話をややこしくする。」
というのがありますが、
「中途半端なプライドの高さが
話をややこしくする。」と言い換えても
いいかもしれませんね(笑)。
なので、毎日の生活の中で
「事実をきちんと受け入れる」
「キレイに謝れることができる」
そんな奥さんのことを
私は心から尊敬しています。
偉そうに言っても私はまだ未熟者。
まだまだ試練の毎日です・・・・・。