この夏の天候は極端ですね。
台風が続いたと思ったら、
合間はあいかわらずの酷暑。
みなさん、体調管理には
気をつけてくださいね。
さて、今日は天才と秀才は
一体、何が違うのだろう・・・ってお話。
というのも仕事柄、
いろんな人に出逢ってきました。
スゴイなって思う人は
どちらかのタイプにわかれるわけで
その違いってなんなのかな?と
思うことが多くあります。
ちなみに先日、この人は
天才タイプだなと思う人がいたので
書くきっかけになりました(笑)。
みなさんはどんな違いだと思われますか?
個人的には
天才は
「努力しなくてもできてしまう人」
秀才は
「努力した結果、できるようになった人」
ってニュアンスが一般的には
多いように思います。
でも、もちろんのこと
天才型のタイプの方も人の何倍も
努力をされているんですよね。
成果=「質」×「量」
の計算式でいう「量稽古」は
天才も多くしていて当然なわけです。
(そもそもたくさんの量をこなせる
心の強さが天才である
由縁だったりしますから(笑)。)
400勝投手の金田さんは
誰よりも走り続けたと言いますし、
アントニオ猪木さんも道場では
誰よりも練習したと言われます。
将棋の羽生さんでも
落語の立川談志さんでも
どの世界の天才や名人たちは
みなさん努力家であったのは事実です。
では、天才と秀才って
一体、何が違うのでしょうか?
努力できることが天才と言うなら
秀才ってなんていえばいいのか
わからなくなります(笑)。
私は「天才」とは
どうやったらその結果がだせたのか
説明が言葉でできないけど、
素晴らしい結果を残せる人で
「秀才」とは
どうやったらその結果がだせたのか
説明が言葉や絵でできて
素晴らしい結果を残せる人
っていうことかなと思っています。
もっと簡単に言ったら
素晴らしい実績、結果を出せた人で
「人に教えられる人が秀才で
人に教えられない人が天才」
ってことですかね・・・。
例えるなら(想像ですけど)
「どうやったら内角の速い球が
打てるんですか?」と聞いてきた選手に
「ビュッ!ってきた球は
ズバッ!と打てばいい。」
という長嶋監督と
「配球を読み、肘をたたんで
コンパクトに振る練習をしたらいい」とか
「まずは緩い内角球を芯にあてることから
やってみたらいい。」とか
「わざと外角球はバットをふらず、
内角球を大振りして内角を狙ってるように
みせかけて相手に内角を投げさせなく
すればいい。」みたいなアドバイスをする
野村監督の違いでしょうか(笑)?
(あくまで私の想像ですけど♪)
天才の人が指導者になったとき
なかなか結果をだせない部下には
「どうして出来ないんだ?」って言うことが
多くはないでしょうか?
「簡単なことだろう?」と
自分がたやすくできたので理由がわからず
相手を責めることが多いように思います。
でも、これをされたら特に若い人は
萎縮してできなくなってしまいますよね?
「名選手、名監督にあらず」の
最たる理由はこれだと思います。
アメリカは、選手自体の実績と
指導者の能力はあくまで別らしいですが、
日本は選手時代の実績がないと
選手に舐められ指導できない背景があります。
以前にも書きましたが
だからこそ指導者は技術はコーチが教え
監督は人格を教えるべきなのですが
監督が専門外の技術論に口を出し始めたら
そのチームの人間関係は
壊れていくことが多いと思います。
(監督を社長、コーチを上司、
チームの会社に置き換えたら
分かりやすいです)
また、天才タイプは若くして
結果を出せた人がほとんどですが、
秀才タイプは最初は
全然、結果が出せなかった人が圧倒的多く、
それであるがゆえ
経験の浅い人や能力の低い人の底上げは
上手だったりします。
自分ができなかったのに
できるようになったのだから
できるようになるコツは教えられますから。
私は若い頃、全然
結果は出せませんでした。
disられることもたくさんありました。
その中でいろいろな方と出逢い、
いろんなことを知る縁に恵まれ、
なんとかやれるようになりました。
自分を秀才というのは
恐れ多いですが、
できるようになっていけたのも事実です。
難しく言おうとすれば
さも難しくも言えますが、
簡単に言うのなら
コツなんて何個かしかありません。
ただ知ったらすぐ出来るものでもなく、
それをどう自分にあった型なり
言い方などの表現方法にするかは
人それぞれなわけです。
会社として、個人としての
形付けを希望される方は
いつでもお声掛けくださいね・・・
と最後にアピールしておきます。
これが私の仕事なので
最後に売り込んですみません(笑)♪