人生の教科書

台風がいつもと違うルートで
日本列島直撃しています。

幸い姫路は早朝の2~3時間ほどで
おおよそ通り過ぎてくれました。
被災地方面に向かっていますが、
災害がでないことを祈念いたします。

自然災害には準備や予防はできても
これといって対処の答はわかりません。
人間関係も同様のようですが、
先人たちの書物などから
ヒントやもしかしたら答かな?と
いえるようなものがあったりします。

私にとってそんな「人生の教科書」
ともいえる1冊の本があるので
ご紹介させて頂きます。

この書物は、
明治5年に初編が発行され
明治9年に十七編まで続いた作品。
これが明治13年に1冊の本として
出版されて70万冊が売れた
当時10人に1人が読んだとされる
大ベストセラー作品です。

そもそも最初は小学校の教科書として
書かれた諸説もあります。

この本の名前は「学問のすすめ」

お札で有名な福沢諭吉さんによって
書かれた本です。

この本は
「天は人の上に人を造らず、
人の下に人を造らず」といった言葉から
始まっているのは有名なお話。

この言葉を聞いた多くの人は
「人は生まれながらにして皆、平等」
といった感じで受け取られますが、実際は
「生まれながらにして貴賎、貧富の差はない。」
と言いつつも
「とはいえ、人間には違いはある。
それは学ぶか学ばないかの姿勢の問題で
きちんと学問を学ばなければ
地位もお金も差が開いてしまうから
学び続けなさい。」といった内容です。

生きていく先には様々なことが起こるけど
それらは全て学問によって
自らの受け取り方が変わっていき
乗り越えていけるといった内容。

今の時代でも通用する普遍的な論理ばかり。

なので、ど真ん中の正論や
聞いててぐうの音も出ない耳の痛い話、
みもふたもない反論のしようもない話が満載で、
読んでて思わず笑ってしまいます。

「どうして税金おさめないといけないか?」
と言った問いには
「税金を納めることで
国家は安全保障をする。
法律をつくり、悪人を罰して善人を守る。
盗賊や人殺しの心配なく生活できる。

これらを自分だけで守ろうとしたら
多額のお金がかかる。

なので国民は気持ちよく
税金を払うべきだ。
少しのお金で安全を買えるなんて
これほど安い買い物はない。」
こんなニュアンスで解説してくれます。

(だからこそ税金は、
「安全」「福祉」「支援」などに
きちんと使ってもらいたいわけです。
今なら「災害支援」などにもっと
使って欲しいです。)

「自由とわがままの境目は何?」
と言った問いには
「他人の害となることをするかしないか」

「勇気とは何か?」と言われたら
「ただ読書して得られるものではない。
読書は学問の技術であって、学問は物事を
なすための技術にすぎない。
実地で事にあたる経験を持たなければ、
勇気は決して生まれない。」
と言われています。

そして、次のような話もされています。

「知恵がないのが極まると
恥を知らなくなる。
世の中の法律を頼りにして、
身の安全を保って社会生活をしているにも
かかわらず依存するところは
依存しておきながら、都合が悪くなると
自分の私利私欲のために法律を
破ってしまう奴がいる。
矛盾していないだろうか?」

「法律が厳しかったり、
寛容だったりするのは
ただ国民に徳があるかないかによって
変わってくるものである。」

「法律を守るのは人民の責任。
しかし、学問がなく、物の道理も知らず、
食って寝るしか芸がない人間がいる。

無学のくせに欲は深くて、
ぬけぬけと人をだまして、
法律逃れをする人間がいる。

国の法律がどのようなものか
ということも知らず、
自分の仕事の責任というものも果たさず、
子どもは産むけれど、その子どもを
きちんと教育するというやり方も知らない。
いわゆる、恥も法も知らないバカ者である。

その子孫が繁栄したとすれば、
この国の利益にはならず、
かえって害をなすものであろう。

このようなバカ者は、
とても道理をもっては扱えない。
不本意ではあるけれども、力で脅し、
一時の大きな害を防ぐほかにやり方がないと
いうことになってしまう。
これが世の中に
暴力的な政府がある理由である。

そうだとするとある国の
暴力的な政治というのは、
暴君やとんでもない官僚のせいばかりでない。
その大元は、国民の無知が原因であって、
自ら招いた災いとも言える。」

「また、国によって定められた法は、
たとえバカバカしいものでも、
たとえ不都合なものでも、
これを勝手に破っていいという道理はない。」

「そのようなときは、今すぐ学問に志して、
自分の才能や人間性を高め、
政府と同等の地位に
のぼるようにしなければならない。」

こうやって何事をなすにも
常に学問が必要と切り返し、
学ぶべきであると説いているのです。

こういった内容を率直な言葉で
誤解をおそれることなく書いた書物。

読んでてあまりにも図星なことに
笑ってしまったり、
ちょっと心が折れたりもしますが(苦笑)
納得しつつ耳を傾けてしまいます。

そして、こういった話をこんな感じで
言葉、文章に落とし込めるところに
とても感心してしまうのです。

人によっては素直に
耳を傾けれない箇所もあるでしょう。

でも、生きていくうえで参考になる
道標にもなる言葉が満載で
初めて読んだのは10年くらい前ですが、
今もたまに読み返してしまうのです。

何よりこの本を明治時代初期に
書いていること自体、ビックリします。

男尊女卑の不合理なことや
DVを問題にする者がいなかったのか?と
疑問を投げかけたり、不倫への批判や
子どもを産まないこと、
授からないことへの労わり、
そして親孝行のことなど
今の時代でも通じる考え方が満載。

この時代でも是非ベストセラーになって
たくさんの人に読んで欲しい本です。

筋の通った一貫性ある表現に
魅了されると思います。

今回の記事は
ちくま新書 齋藤孝さんが訳された
「現代語訳 学問のすすめ」を参考に
書かせてもらいました。

是非、ご興味をもたれた方は
この本で読んでみてください。

最強より最高・・・・

暑い日が続きます。

昨日は埼玉県熊谷市で、
国内最高気温41.1℃を記録。

昔は日射病に
気をつけようとか言ってましたが、
今は熱中症に気をつけないといけません。
室内でもかかるようなので
水分補給、暑さ対策には万全の注意・・・・。

ただいま、全国高校野球
地区予選の真っ只中ですね。
暑い中ですが、天気に負けじと
熱い戦いが繰り広げられています。


(真紅の大優勝旗の実物です。)

今朝のニュースで、
昔のとある試合のことを話していました。

それは9回2死最終打者を
外野フライで打ち取ったと思ったら
外野手が落球して逆転され
敗戦となった試合でした。

落球した選手は
おそらく自分を責めたでしょう。
「かわいそうやな・・・。」なんて話を
夫婦でしてました。

とはいえ、スポーツでも何でも勝負事は、
勝者がいて敗者がいるわけですから
試合のたびにこういったことは
あるわけです。

勝負は勝ってこそナンボの世界なのも
分かった上でのお話ですが、
勝負って勝利が全てというより
むしろ敗北した先に
実は勝敗を超えた何かが・・
勝負を通じて本当に学ぶべきものが
あるように思います。

チームメートのエラーで負けたとき
その選手を責めるのではなく
そのミスを受け止めれたときに
そのチームの本当の強さが
あるのではないでしょうか?

個人競技なら敗戦のあとも
立ちあがってもう一度、
挑戦できる強さかもしれません。

20年前の高校野球での
松坂大輔投手のように
決勝でノーヒットノーランで
甲子園優勝!なんていうような
最後まで勝ち続けた
マンガみたいな勝者もいます。

でも、勝負は圧倒的に
敗者のほうが多いのです。

最後まで勝ち続けることも
もちろん素晴らしいですが、
仲間のミスを責めることなく受け止めて
笑顔で労える強さこそ
最高なんじゃないか?と思うのです。

そう思えたら
最強のチームは極少数だけど、
最高のチームはチーム数だけあるわけで、
だからこそ誰しもの心にも
あるのではないでしょうか?

この仲間達とやれてよかったって台詞は
全てのチームで言える台詞なのは
そういうことなのでしょう。

こういったことを思うと
昔、好きだったある漫画の台詞が
頭をよぎるのです。

それはクローズといって
不良高校生の漫画なのですが、
熱い言葉がいっぱいで、
よく読んでました。

最終回が近づいた場面で
こんな言葉があったのです。

「たかが最強程度で
最高に勝てるわけがねーだろうが!」

この台詞って本当、奥が深いですよね。

誰しも勝者でありたいと思っているけど、
勝負に勝つことが全てって人生は
勝ち続けたとしても
思っている以上に満たされないもので、

勝利も敗北も分かち合える
仲間に出逢えたり、
負けても負けてもチャレンジし続けた
気持ちのほうが
実は大事だったりするわけです。

こういうと勝者からみたら
負け惜しみかもしれませんが(苦笑)、
負けてもそれを受け入れれたとしたら
それこそが「強さ」のように思うのです。

(ちなみにプロレスの世界では
負けたら人気が落ちる選手よりも
負けても人気が落ちない選手の方が
重宝されます。)


高校野球にはたくさんのドラマがあります。

選手たちにとって
どんな結果だったとしても
素晴らしい夏であることを
心より祈念申し上げます。

しかし、この歳になったら
ガムシャラに打ち込める若さが
羨ましいですね。

とりあえず私も今は
仕事、家事、育児に頑張ろうっと(笑)♪

土台づくりの名人

この前、東京にいったとき
神保町にある「冷やし中華」発祥の店
揚子江菜館にて 冷やし中華を食べました。

以前書いた発祥の店好きとして
日々ブレることなく過ごしています(笑)。

今日は、私が影響を受けた人のお話を
したいと思います。
その影響を受けた人の名は、
根本陸夫さんと言います。

もう亡くなられて20年近く経ちますが、
「球界の寝業師」と呼ばれ
プロ野球界に大きな影響を与えた人と
言われています。

失礼な言い方ですが
選手としても監督としても
素晴らしい成績を残したわけではありません。
しかし、その後の活躍は
めまぐるしいものがあります。

導入期ともいえる時期に
体制を整え、人員を揃え
次の人にバトンを渡した
その組織はその後、大きく成長します。

その後はGMとして、社長として
そのチームの監督を
支え続けていったのです。

広島東洋カープ監督時代は
引き継いだ古葉監督が
赤ヘル旋風を起こします。

西武ライオンズ監督時代は
引き継いだ広岡監督、森監督が
80~90年代の西武黄金期を築きます。

ダイエーホークス監督時代は
引き継いだ王監督が優勝し、
ソフトバンクに変わっても
今も強いチームとして存続しています。

こう伝えたら野球の好きな人には
凄さが伝わるかと思います。

根本陸夫さんは
まさに土台づくりの名人なのです。

何の世界でも
成長期、成熟期といった時期の
指揮官に評価が集まります。

結果が全てと言われる
勝負の世界ではなおさらのことです。

でも、どの組織も
最初から強いわけではないわけで
導入期、成長期、成熟期
その時期によって望まれるリーダー像は
違うわけで、
そのなかで最も地味な時期
導入期における理想のリーダーが
根本さんのような人であったわけです。

そんな目立たないけど
とてつもない存在感であったことに
たまらなく魅力を感じたのが
大学生時代の私でした。

根本さんには
たくさんのエピソードがあります。

時として強引なまでに
ラインスレスレの力技(苦笑)もあったようです。
まさに寝業師の本領発揮と
いうことなのでしょうが、
そんな部分にもとても惹かれました。

決断力、分析力、覚悟・・
そんな部分がないとできませんから。

そんな根本さんの生き様に惹かれた私は
導入期 根本監督
成長期 三原監督
成熟期 川上監督を例にした
「時期におけるチームマネージメントの違い」
といった卒論を書いたりしたのです(笑)。
(先生には面白い!と誉めてもらえましたが♪)

根本さんはとても面倒見がよく
全国にシンパがいました。

世話になった人のほとんどが
根本さんを父親のように兄のように
慕っていたという話もあります。

そしてその人達が
根本さんが選手を獲得する時に
強い力となり協力していったのです。

そんな人情味ある部分も踏まえて
とても影響を受けました。

根本さんの考えに
「組織には軸となる
大きな柱がないと成長しない。
多少の血は流しても獲得して整備する。」
といったようなものがありました。

例としてそれは
西武時代は阪神から田淵選手を
ダイエー時代は西武から秋山選手を
獲得したエピソードとなっています。

なので私は、
監督や社長などのリーダーが
もちろん大事なのは前提ですが、

軸になる柱がいなければ組織は
なかなか強くならないという考えなので
一般的な組織であれは
母親役や右腕といったNO-2の存在が
なにより鍵になると思っているのです。

どの世界でも
華やか部分に目がいきがちでですが、
表があれば裏があるように
目に見えにくい部分にこそ
本当の秘密や秘訣があると思っています。

そして、相手のそんな部分にも
気づけるような人でありたいと思ってます。

私にとって学生時代のしめくくり、
大学の卒論にまで書いた人
根本陸夫さんに興味を持った方は
またいろいろ聞いてくださいね。

酒を呑みながらなら
5時間くらいは語れると思いますので(笑)。

「来た時よりも美しく」

サッカーの日本代表が敗戦しました。
そりゃ勝負事ですから
「勝った」「負けた」で言われがち。

でも人生、勝敗だけが全てなら
ほとんどの人が非難、批判をされます。

結果が全てとはいっても
負けたときにも声援を送るのが
本当のファンにような気がします。
(結果だけじゃなく、
プロセスも背景も人間ドラマも含めて
応援できるから私はプロレスが
好きなんですけどね・・・。)

「おつかれさまでした。」
胸をはって帰ってきて
これからも頑張ってください!!

そんな日本代表が
敗戦後にロッカールームを
キレイに掃除をしてした記事が
紹介されていましたね。

「素晴らしい!」と世界中から
賛辞を受けていました。

もちろんこの行為も素晴らしいですし、
掃除をして帰るサポーターも
誉められていましたが、

何よりこういったことを
当たり前のように教えてきてくれた
日本の文化がとても素晴らしいと
改めて気づかさせてもらいました。

小学校の低学年から
野外活動や遠足、運動場でも
先生に言われたあの言葉・・・

「来た時よりも美しく」ってやつです。

来た時よりも美しくして帰って
次に来た人が気持ちよく
使ってもらえるようにしましょう。

こうしてみると
マザーテレサのようだと思いましたが、
本を読んでたらマザーテレサも
同じような言葉を
言われているみたいですね。

「・・・やっぱり。」と思いましたが(笑)。

今、小学生の娘たちも
この言葉をよく言います。
「父ちゃん、来た時よりも美しくして
家に帰らないとアカンのやで。」
純粋な分だけ一生懸命です。

私たち大人も昔はみんな
そうだったのでしょうね。

でも、大人になると
そんな人ばかりでもありません。

例えば、挨拶。
子どもの頃に、出逢った人には誰にでも
大きな声で挨拶をしましょうと習いました。

でも朝、通りすがりで逢った人に
「おはようございます。」と挨拶しても
してくれない人が結構いることに
ビックリしたりします。
(近所の人で5年言い続けて
やっと言ってくれるようになった
人もいますから(苦笑)。)

そんな当たり前のように
教えてもらったことが
できなくなってしまうこともあるわけで、

今回のこのワールドカップが
ゲームの内容や選手の技術だけが
語られるのではなく、
こんないろんなことに
「ハッ」とできる機会であれば
もっと素晴らしいのになと思ってます。

個人的な話ですが、
出張でも遊びでも宿泊したホテルの部屋を
チェックアウトするときは
部屋に「ありがとうございました。」と
言って出ることを心がけています。

もちろん、娘たちも
「部屋さん、ありがとうございました。」と
言って出ています(笑)。

意味があるのかと言われたら
ないかもしれませんが、
そうすることでまたこの土地にきたときに
楽しいことがあったらいいなと思っています。

次の人にもいいことがあって
周り回ってまた自分にも
いいことがあればいいな。

金を払った客やから俺の言うことを聞け!
そんなことしても自分が損するだけ!
なんで俺ばっかりこんな目にあうんや!

そんなことを思うたびに
自分で自分の人生を
いっそう濁らせているのかと思うと、
気持ちよく過ごして
また自分に楽しいこともきてもらえるよう
プラスアルファの精神でやりたいですね。

「・・・・こないかもしれないけど。」

そのときは「弱ったな~。」と
笑うことにしましょう(笑)♪

それもまた笑いある人生です!!