「名前がついて 初めて意識する」

「何事も呼び名がついてしまうと
人々は強く意識するようになる。」

落合博満さんの本を読んでて
何気に胸に引っかかった言葉。

名前が定義されることで
曖昧なものが明確になり
いいこともあれば悪いこともある。

病気なんかがその最たるもの。
呼び名ができることで自覚もできるけど
おおげさにしなくていいときでも
体が悪いことにされてしまうのも
どうなんだろう?と思います。

外国人に「肩こり」の人がいないと
聞いたことがあります。

でもこれは「肩こり」が
日本人特有の症状でなく
海外には「肩こり」に変わる言葉がないので
自覚できないからだそう。

日本に来て「肩こり」という言葉の存在を知り
「肩こり」の症状を認識した時に
外国人の中にも「肩こり」に悩まされる人が
生まれてくるようで、
なんとも興味深い面白い話。

日々の生活でもそうですよね。

呼び名ができることで早期発見ができ
自己確認ができることもありますが、
わざわざ呼び名をつけることで
不安にさせて何かを売り込んでくるような
悪意ある人も結構いますから・・・。

またその相手が善意と思いこんで
断っても売り込んでくるときに
一層めんどくさいことにもなりがち(苦笑)。
(親戚のおばちゃんに
こんな人いたら困りませんか?といえば
ニュアンスが伝わりますかね(笑)?)

例えば、〇〇ハラスメントという呼び名も
悪意ある人間から身を守る為のものや
ルール違反する人への対抗であればいいですが、
果たさなければいけない責任を
果たせないときの正当化や言い訳になると
言葉だけが独り歩きして
ややこしい感情論だけになるような気もします。

とは言え、定義やルールは言葉にしないと
お互いが意味を意識しにくいので
きちんとしたほうがいいと思いますが、
誰かだけが得をするような
偏ったものにはならないようには
気をつけてやっていきたいものですね。

「心技体」の「心」とは「お手本になること」

ここ2~3年、娘達のピアノの発表会に
行くことが増えました。

コロナの影響でコンクールは軒並み中止も
発表会のような形では開催されてます。
座席も縮小され、ドアは開きっぱなしで
冬場はなかなか寒かったりしますが。

小学生とは言え、演奏しているみんな
とても上手で感心しています。

自分が子どもの頃は暗くなるまで
外で遊んでいただけなんで
親子でも随分違うものですね(笑)。

ピアノを弾く娘を見て
親としてふと思ったお話。

大相撲の世界でよく言われる
横綱は「心技体」が揃って
備わっていなければならない言い伝え。

でもこれはどの世界にも言えること。
なおかつその世界のトップは
こうでなければいけないなと
ピアノ演奏を聞いている時でも
会社で仕事をしている時でも
なんらかの地域活動をしている時でも
感じる場面が多々ありますね。

辞書やネットで見てみると一般的には
「心」は精神力
「技」は技術
「体」は体力といった意味で
捉えられていることが多いようです。

でも「精神力」や「技術」「体力」って
抽象的で分かりにくいので、
もっと具体的な表現にした方が
自分自身も認識し、誰かにも伝えやすいので
言葉を言い換えてみます。

私は「心」は「お手本になること」
「技」は「日々勉強して練習すること」
「体」は「姿勢」
と置き換えるようにしています。

「技」は知識や変換力、
「体」は元気、佇まい、華
と言い換えてもいいかな?

ただ「心」は「お手本」以外の表現では
私は言いにくかったりします。

横綱でも最後に問われる「心」
強いだけじゃダメ、華があってもダメ。
お手本になるような生き様も
頂点なら兼ね備えてほしいといった願い。

自分だけが偉いと勘違いした人や
自分だけがよかったらいいと思う人がいると
組織って濁りますから。

例えばの話。

会社内で売り頭のトップ営業マンが
周りの人に自分の仕事を押し付けて
自分だけ先に帰る。
総務や庶務の人は自分の奴隷かの如く
利用や使用している。
「誰のおかげで飯が食えてる?」みたいな
態度で部下や他のスタッフに振る舞う。
何より自分だけはルールを破っても
結果出してたら出世していく社風。

こんなことは問題だらけの会社でしか
起きていないでしょうね。
そして、こうした会社の一番の問題は
キチンとやってきた人ほど辞めていくこと。

でも、そんな会社が未だに多いのも事実。

またそんな人を咎めない社長の場合も
スタッフは本当に先が見えなくなります。

とすれば「心技体」は
3つ揃ってこそ始まるとしても
組織が続いていき成長していく為には
「心」である「お手本になる人」が
組織にいなければいけないと思うのです。

ピアノ演奏も評価が「音」だけでいいのなら
ただ「技」だけの話で終わり。

生で演奏している姿も評価するのなら
立ち振る舞いや椅子の座り方など
「体」も見ないといけません。

でも「選曲」や「服のセンス」「練習態度」
「敗者を冒涜しない配慮ある喜び方」など
年齢的にも存在的にも
周りのみんなの上に立つ位置にいるのなら
「お手本となる」ような「心」の部分まで
審査する人には見てほしいと思う訳です。

人によってはそれを
妬み、僻みと言うかもしれませんが
「技」があるだけで勘違いして
自分が万能の神になった偉そうな人って
嫌われ者しか見たことないので(笑)、

親としては娘達に
ピアノは「技」だけを習っているのではなく
「姿勢」と「お手本となる心構え」を
習っているのだと伝えてやりたいと思いました。

とは言え、私は音楽好きですが
「音感」も「音程」も全くない父なので
恥ずかしくて「技」は何一つ
教えてやれないことは
娘達には内緒にしておいて下さい(笑)。
ガハハ。

娘を持つ父親の独り言

コロナによる緊急事態宣言が再発令され、
オンラインによる業務の比率が高くなり
今年入ってからまた在宅ワークが増えました。

今日は土曜日なこともあり
奥さんも娘達も在宅しているのですが、
部屋にこもり仕事をしていたら
ノックして長女が入ってきました。

今春から中学生になる長女。
昨年末に採寸し購入した中学校の制服が
昨晩、宅急便で届いたのですが、
それを着て見せに来てくれました。

制服を着た我が娘を見て
涙がこぼれる親馬鹿な父ちゃんですが(笑)、
節目に娘の成長を感じられて感謝する毎日。

若い頃は大げさに思っていましたが
最近、西川きよしさんと比べても遜色ない
涙もろい感激屋さんになってきています・・・。

欲張っていろんなことを願う時もありますが、
元気に楽しく学校に行ってくれたら本望です。

友達といっぱいおしゃべりしたり、
好きな男の子と一緒に学校から帰ったり、
一般的にイメージしがちな青春時代を
多いに満喫して欲しいなと願っています。

父親として何がしてやれるのか
考えだしたらキリがないですが、
以前にも書いたことのある「無条件肯定」

無条件でただ愛してあげること、
日々の行動と日々の言葉できちんと
愛情を伝えてあげたいですね。

娘とは世代も大きく離れて、
価値観も考え方も全然違います。

娘たちはいわゆる「Z世代の最後」
(Z世代は1995年~2010年生まれの世代)

自己承認欲求と発信欲求が強く
過剰な自意識を持ちつつも
不安や競争は好まない世代。

新型コロナにおいての不安や怒りは、
米のZ世代は「政府政治批判」に向かうも、
日本のZ世代は「貯蓄志向安定志向」に
向かうような傾向があるようです。

こういった背景も認識しながら
少しでもヒントになるアドバイスが
父としてからだけでなく、大人として
人生の先輩として、できたらいいな・・・。


また、父親として愛情を娘に伝える言葉は
黒川伊保子さんの言葉をお借りして
私なりの言葉で伝えていこうと考えています。

黒川さんの言葉を最後に紹介しておきます。

「何かに勝たなくたって、
誰よりも優れていなくたって、
きみはきみでいればいい。
きみが笑えば、
お父さんは生きる力をもらえるんだ。
そのことにうんと価値があるし、
その価値をお父さん以上に
わかってくれる人たちに、
君はきっと出逢える。
人生とは、そういうものだよ。」

黒川伊保子「娘のトリセツ」より

「中途半端な正義感が話をややこしくする」

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

コロナウイルス感染者が増加して昨日、
東京周辺に緊急事態宣言が再発令されました。
全国的にも追随していきそうです。
コロナももうすぐ1年が経とうとしています。
そろそろ騒ぎも落ち着いて、
元の生活に戻って行ってほしいですね。

コロナに限らずですが、
世の中をいろいろと見ていると
話をややこしくしているのは
いつも誰かの中途半端な正義感な気がします。

「中途半端な正義感が話をややこしくする。」

この言葉は、敬愛するミュージシャン
HEATWAVEの山口洋さんの歌詞からの
抜粋なのですが、
14年前に発表された曲を聴いたときから
ずっと胸に張り付いています。

いろんなイザコザや争いを聞くたびに
いつもややこしくなる根っこは、
これなんじゃないかなって気がしています。

また、答え無き論争になればなるほど
ある正義の反対は、
また別の正義だったりするので
もめるのでしょうが・・・(苦笑)。

答えはいつも正義であることが
望ましいとは思っていますが、
仮に答えが不義や不正であったとしても
メーター吹っ切るくらい突き抜けてたら
事は落ち着き、治まるのかもしれません。

どっちにしても中途半端さが
話をややこしくするのなら
まずはこっちに進むって決めて行動する。
で、ダメなら早めに修正する。
これの繰り返しでしかないようにも思います。

答え無きものをノーミス、一発で
正解にたどり着こうとしても
それはかなりの難問です。
とはいってもいろんな意見がある中で
実行しないといけない時は
強力なリーダーシップが大事。

「人生はどの道、自己責任」が持論ですが
そろそろ各々の損得勘定は置いといて
「まずはあっちに進もう!」と行先を決める
そんなリーダーの意思、決意、覚悟は、
決めてほしいとは思います。

新年早々、熱く語ってしまいました。

1日も早く、落ち着いた生活になることを
心より祈念申し上げます。
今年も素晴らしい事がたくさんありますように。